2008-01-05[n年前へ]
■「宗教革命」と「フェルメール」
フェルメールはピーテル・ブリューゲルの100年後、新教が主流となったネーデルランド、それ以前のような宗教画を書くことはできない(もしも書いたとしたら「偶像崇拝である」と新教教会から弾劾される)時と場所に生きた。つまり、教会からの宗教画の注文が消え画家たちが路頭に迷い、豊かな市民たちへ肖像画・風景画を描くことを生活の糧にする、そんな時代を生きてた。だから、かどうかは知らないが、フェルメールの描く油絵には、まるでケータイ写真で撮影したような、普通の日常生活が写っている。
この瞬間にケータイを手に持って何かを眺めている人は一体どういう景色を、どんな風に見ているのだろうか。
2008-07-13[n年前へ]
■「奥行きを持ち浮かび上がってくる名画」グッズ
以前、『カンバスから飛び出す「名画の世界」』『もう一つの目から眺めた世界』などで、名画を立体視画像に変えて遊んでみました。本来は、「一枚の平面画像」であるものを画像加工することで、奥行き情報を適当に付加した上で、立体視ができるような画像に変えて眺め楽しんでみたのです。
右上の画像は、以前ミュージアムショップで買った名画たちです。といっても、ポストカードのような「いわゆる平面的な画像」ではなく、(下に張り付けた動画を見ればわかるように)手で丸めるように立体にすると直方体状に形が変わり、直方体に開けられている穴を覗いてみると、美しい名画が奥行を持った立体的な世界として浮かび上がってくる、という仕組みです。
こういった名画が一体どんな立体画像として見えるのだろう?と興味を持つ人も多いでしょうから、この「名画を立体視ができるようにしたグッズ」を覗いた時に見える景色、たとえばフェルメールの"Milk"を覗いた時に見える小さいけれど立体的な世界を、右にアニメーションGIFとして貼り付けてみました。といっても、カメラ付きケータイで「名画を立体視ができるようにしたグッズ」に空いている穴を覗きつつシャッターを押して、左右の画像を撮影しただけです。そのため、ずいぶん画質は悪くなっていますが、それでも、少しは立体的なようすがわかることを願っています。
ちなみに、下に張り付けたのは、平行法の立体視画像です。左右立体視ができる方であれば、こちらの方がずっと綺麗に立体感を持った世界を体験することができるかもしれません。奥行きを持ち浮かび上がってくるたくさんの名画を、眺めてみたくなりませんか?
2008-11-07[n年前へ]
■斜め下45度から眺める「フェルメール展」
東京都美術館で「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」が今夏から、12月14日まで開催されている。フェルメール展に行った時にこんなことを考えた。
(展示されている)フェルメールの絵を普通に眺めていると、絵そのもののせいか、あるいは、照明との位置関係のせいか、まるで、綺麗な画集を眺めているような気がする。それを逆に言ってしまえば、画集を眺めているのと変わりない、写真撮影した等身大の絵を眺めているのと変わりない・・・ということになってしまう。
けれど、絵の周囲を覆う手すりくらいの高さにかがみ、絵を少しづつ違う方向から眺めてみると、照明を反射し光る表面を通じて、絵の表面の凹凸が見えてくる。絵の中のどんな色の部分が出っ張っていて、どんな部分が凹んでいるのかが見えてくる。
つまり、絵がどのように描かれているか・フェルメールがどのように絵を描いていたのかが、朧気ながら見えてくる。灰色・人肌じみた色でキャンパス全体が塗られ、その上に薄めの色と淡い黒が塗られ、その上にさらに荒い黒と白が描かれているような感じが見えてくる。下地やモデリングやグレージング、そして、その上に画家が描いたハイライトと濃い黒い領域が見えてくる。
「絵が描かれた手順・方法」に興味を持つタイプの人は、レゾネと違う絵を見てみたい人は、フェルメール展を斜め下45度から眺めると面白いと思う。正面から見ると同じ黒が違う黒に見えてきたりと、少し違う立体的な絵が見えてきて面白いと思う。そして、立体的な景色から、その絵が描かれた時の空気が流れてくるように感じると思う。
2010-01-10[n年前へ]
■「明治末期」に行ってみた。
「古写真」と同じ場所で写真を撮って「タイムトリップ」してみませんか?というわけで、とりあえず、「明治末期」に行ってきました。行った時代が明治末期なら、行った場所は、東海道三島宿近くの三島大社です。歌川広重(安藤広重)が東海道五十三次の浮世絵「三島」(右隣の画像)に描いた「三島大社前」です。
さて、下に張り付けた画像が明治末期の三島大社前です。三島大社の大鳥居前を走るのが東海道です。右の方の先には、お江戸日本橋があって、左の方へ歩いて行くと伊勢神宮や京都があります。この写真なら、同じ場所にタイムトリップしやすそう、というわけでこの場所へ行って写真を撮ってみることにしました。
同じ場所で撮影してきたのが下の写真です。少しづつ変わっていっただろうものもありますが、時代が明治末期から平成22年の今になっても、変わっていないものもあります。何だか、不思議な気分です。
時間旅行から帰ってきてから気づきましたが、あと、百メートルくらい場所を移動して逆向きにシャッターを押してみれば、よかったと思います。
そうすれば、広重が描いた東海道五十三次の「三島」と同じ場所へタイムトリップすることができたはずです。「ヒロシゲブルー」の世界へ入り込むことができたはず、と思うと少し残念な気がします。
歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
「歌川広重」
2012-02-26[n年前へ]
■レンブラントの「"平均"肖像画」やフェルメールの「"平均"室内画」
「美術室の黒板」は「夕日に照らされる向き」に作られる!?で書いたように、北半球にある日本では、美術室やアトリエの窓は北側に向けることが一般的です。そして、利き手が右手、つまり右利きの人は、そんな北向きの窓からの光を左に見つつ(そうしなければ、絵に利き手の影が落ちてしまいます)、絵を描くことが多いものです。
陰影を強く描いたオランダの画家、レンブラントが描いた人の顔を51枚(顔)集めて「平均画像」を作ってみました(左上)。レンブラントが描く肖像画は、左から光があたるものが多いので、左から光があてられた顔が浮かび上がっています。
西洋絵画で光が左からあてられていることが多いことには、いくつもの・そして曖昧な理由があるだろうと思います。そんな(確かとは言えないけれど)曖昧な理由の中のひとつは、画家たちのアトリエの窓が北側に面していて、そして多くの画家が右利きであった、ということだと言われています。レンブラントも、自画像のX線解析の結果から、右利きだった可能性が高いと考えられていますから、北側の窓から差し込む光を左に受けつつ絵を描いていたのでしょう。
レンブラントと同じくオランダの画家、フェルメールの絵画を思い浮かべてみても、思い出すのは左側にある窓から部屋に光が差してくる風景ばかりです(フェルメールが描いた絵の数は非常に少ないですが)。試しに、フェルメールが描いた室内風景の「平均画像」を作ってみると、それはたとえばこんな具合になります。やはり、「窓は左(北)向き」で、画家の利き手(右手)は「サウスポー(南向き)」になっています。
学校の美術室で悲しいほどに不器用な絵を描いていた私たちも、キャンバスに信じられないくらいリアルに世界を浮かび上がらせる巨匠たちも、同じく北側の窓からの光を受けつつ絵を描いていた…と考えると、何か少し面白いな、と思います。
参考:スライド・デザインにおける「上手と下手」