hirax.net::Keywords::「反射」のブログ



2007-08-28[n年前へ]

越前屋表太と海辺の景色 

 夏の終わり、太陽が真上に昇る頃でも、風が涼しい。

 越前屋俵太がとても好きだった。街を歩く人々やあるいは、犬や猫にインタビューを続ける姿がとても楽しく面白かった。
 水に反射して写る空や草は、偏光フィルターをかけて覗く世界の様にとても鮮やかで美しい。鏡に反射して映る道や水に反射して映る世界にとても惹かれる。
 スーツを着て海に入り、「わたくしを含む生物がここから生まれてきたのです」と言いながら潮に流されて(画面の端に消えて)いくという状況が笑える。
 東京から長野まで歩いた。子供心に「歩き終えたら、何かになれる」ような気もしたけれど、結局そんなこともなかった。
 世界のどこであっても、人…、できれば猫でも犬でも出会った生き物を笑わせたいです。

2007-11-25[n年前へ]

「海面に写る太陽」の不思議 

初日の出と足元に広がるミステリー

 新年の代表的な景色が「初日の出」だ。海の向こう、水平線の向こうから太陽が姿を現す。空に太陽が昇ると、太陽に照らされ水面が静かに光りだす。そんな景色を見ているとき、ふと「あること」が気になりだし、とても不思議に思えてきた。

 海面に太陽が写っているようなのだが、海面に写った太陽はまるで「道」のように水平線から足元まで続いている。よく考えてみると、これは少し不思議に思える。海面に反射した、つまり、海面という鏡に映った太陽の姿がなぜ「上下反転した太陽」でなく「輝く道」のように見えるのだろうか。

 昔学校で習った理科の教科書の中には、確かこんな図が描いてあった。そして、太陽の光が水面で反射するときには、「入射角と反射角が同じになるように(海面からの太陽の反射光が)進む」ということだったように思う。そして、その結果、水面には上下さかさまになった太陽の姿が見える、はずだった。

実際、夕暮れ時に風やんだ静かな河口で夕日を眺めた時を思い出せば、それは川面に写る太陽は教科書通りの「上下さかさまの姿」そのままだった。なぜ、目の前の海面にうつる太陽は逆さの点光源ではなく、輝く道のように見えるのだろう?その理由を考えていくうちに、「海面が波立っていること」「太陽に対する(微小)海面の向き」「海面でのフレネル反射率」が原因だということがわかってきた。

 まずはじめに確実なことは、海面は平らでも滑らかでもない、ということだ。風や色々なものが原因で、海面は波立っている。海面はその場所ごとに、数限りない色々な方向を向いている。だから、「入射角と反射角が同じになるように(海面からの太陽の反射光が)進む」のだとしても、海面に写り込む太陽は、決して一点だけに見えるわけでなく、さまざまな海面上に写って見えることになる。

 実際、表面が粗く波立った海面に太陽光が入射した時の反射光の分布を計算してみると、右の図のようになる(Modified - Blinn - Phong Model)。海面が微視的に色々な方向を向いているので、海面からの太陽光の反射は一方向のみに照射されるのでなく、色々な方向に向く。しかも、右の図は、まだ比較的表面が平らな場合の計算結果なので、実際の海面からの反射光はもっとさまざまな方向に広がる。

 

 そして、重要なことは(微小領域ごとの)海面の向きにより海面からの反射光強度が等方的に分布するのではない、ということである。海面が太陽の方向を向いているときには、その(海面から見た)海面単位面積辺りに入射する太陽光強度が強くなる。そういった効果は、太陽の反射光強度を強める方向に働く。また、海面が私たちの方向に向いている(傾いている)箇所では、(微小海面から見た)水平に近い角度で太陽光が入射・反射することになる。すると、海面でのフレネル反射率が高くなり、これまた、太陽の反射光強度を強める方向に働く(右図は太陽光の入射角に対する海面での反射率を示したもの)。特にフレネル反射率は入射角度が海面に対して、水平に近くなればなるほど非常に高くなり、最後には全反射になる。そのため、「太陽光が私たちの目に反射するような角度になる微小海面」がそれほど多くなかったとしても、反射光は非常に強く見えるのである。

 

 これらの効果が合わさった結果、太陽光の反射光が眩しく映り込むような箇所はどのようになるかを図示して考えてみると、「自分の足元の海面から太陽の方向へ延びる線上」となることがわかる。太陽と私たちを結ぶ線以外の方向は、海面での太陽光の反射率が低くなるので、太陽の姿はほとんど写らず、波立った海面に映り込む太陽の姿が見えるのは、自分の足先の海面から水平線まで光り輝く道状の領域ということになるのである。


 私たちが眺めている景色には、「たくさんの不思議」が満ち溢れている。私たちの目の前に転がっている小さなミステリーを解決しようと、その未知のものに一歩足を踏み入れた途端、ただひとつの例外もなく、その奥にはさらに未知の大きな世界が続いている。それは、何だか元旦と新年の関係に似ているように思う。元旦になった今日、新しい未知の一年が始まる。私たちの足元から水平線の先へ、未知の道が続いている。


河口河口河口海辺海辺海辺ホワイトボードMod-Blinn-PhongPhongSurfaceFresnel全反射






2008-01-02[n年前へ]

モネの絵に見る反射の科学 

 『「海面に写る太陽」の不思議 -初日の出と足元に広がるミステリー-』について考えていた頃、モネの「霧の中の太陽」といった絵を眺めて、その写実性に改めて感心させられた。風や潮が水面に波を作り、その波面の傾き分布や屈折・反射の比率を反映して、水面に道のような太陽の反射像ができる。「霧の中の太陽」や「印象・日の出」といったモネの絵には、そんな光が理科の教科書より忠実に描かれている印象さえ受ける

 そしてまた、ゴッホの 「ローヌ川の星月夜」を眺めれば、太陽でなく、星空と街の灯りが作る光の道を見ることができる。ここに描かれているのも、水面の法線分布もフレネル反射率の角度依存も、すべて織り込まれた美しい世界だ。

 美術館に行くとき、科学館にいくとき、あるいは、街中を歩いているとき、つまり見るものすべては、1ミクロンほどの隙間もなく相互にハイパーリンクされあっているのだろう。目の前の世界を眺め、眺めたところをクリックした途端に別世界へ飛んでいきそうで、少し躊躇して少し心躍る。

Impression, SunriseImpression, Sunriseモネ印象・日の出徒然に『印象、日の出』の『クロード・モネ』ローヌ川の星月夜






2008-04-02[n年前へ]

偏光イメージングカメラ 

 株式会社フォトニックラティスの「偏光イメージングカメラ」動作原理は「CMOSやCCD前面に4方向の偏光子を(1画素に対し1つの偏光子を)敷き詰め、近接4画素の出力比較・演算により偏光の方向を求める」というもの。

偏光イメージングカメラ動作原理撮影画像例






2009-01-04[n年前へ]

釣り用(偏光)サングラスを美術館に持って行く!? 

 光が物体を照らすとき、その表面(空気と物体の間)で反射する光は(反射面に平行な偏光方向である)S偏光の割合がとても高い。たとえば、太陽の光が水面を斜めに照らす時、水面で反射する光のほとんどはS偏光である。だから、日に照らされて輝く海面を目の前にした時でも、偏光サングラスをかければ、海の中を泳ぎ回る魚や海草をとても綺麗に見ることができる。

 下の動画は紙面上に見える反射光を、偏光フィルタを通して眺めると、偏光フィルタの方向によっては「反射光が消えて画像が色鮮やかに見える」さまを確認してみたものだ。



 たまに、ガラスに覆われた名画を目の前にしたとき、「あぁ、偏光サングラスを持ってくれば良かった」と思うことがある。絵画を覆うガラス面に写り込んだ照明を邪魔に感じるとき、邪魔な反射光を偏光フィルタで取り除きたくなる。しかし、そう思いつつも、いつもサングラスを持参することを忘れてしまう。

 もしも、釣り用(偏光)サングラスをかけて美術館に行って、ガラスに包まれた名画を見たらどんな風に見えるだろうか。ガラス表面で反射する邪魔な光を消すことができるだろうか。あるいは、それとともに画家のマチエールも見えなくなってしまうのだろうか。



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