2007-07-16[n年前へ]
■創造性とミューズ
世界は限りなく広い。けれど、それと同時に、そんな世界はとても狭い、と感じる瞬間があるのも事実だ。どんなに長く生きていても、地球の上にいる99.999…%の人には一度も会うことはない。けれど、意外なところで、よく知っている名前や顔と再開することがある。
画像処理のプログラムを作るために古今東西の絵画のテキストを読んでいる時に、こんな一節に出会った。
以前クヌースというアメリカの数学者と話したとき、「絵を描くとき、自分の意志というより、頭の中に誰かがいて、わたしの感性を左右するらしく…」森鴎外も、なんだか自分を支配するものが頭の中にいて…などと書いていますが、それはこういうことだったか…」とわたしは言いました。クヌース「という」アメリカの数学者と話したとき、である。(理系であれば知らない人はいないだろう)「ドナルド・クヌースと話した時」ではなく、つまりは「読者はしらないだろうが、あるアメリカの数学者と話したとき」だ。
安野光雅 「絵の教室 」
画像処理アルゴリズムを考えるために、絵画の本を読む。そして、ドナルド・クヌースに出会う。こういった巨人を見ると、世界が実に小さなものに見える。それは、一種の錯覚のであるとも思う。けれど、こうした巨人が世界を繋ぐ高速道路の役割を果たしているのも、また一面の真実であるとも思う。
森鴎外や安野光雅や口にした「頭の中にいる誰か」「感性や自分を支配するもの」の名前を、クヌースというアメリカの数学者は口にする。
はじめ、原因不明のふとした着想から考えを進めるのだが、すると、ひとりでに論証の車がまわりはじめて、論文が楽にできあがる。…思うに背後にいるのは、ミューズだよ。クヌースが言葉にした「頭の中にいる誰か」は、ギリシャ神話で芸術を司る9人の女神"ミューズ"である。私たちの頭の中で9人のミューズたちが踊り、絵画や文芸や論文やプログラムを作らせる。何だか、とても面白い。
ドナルド・クヌース
2008-02-09[n年前へ]
■合成されたドコモ・コマーシャル「国境を越えて」
瑛太と蒼井優が、日本の駅やバス停のベンチで、オーストラリアの荒野を走る道の上から、あるいは、マレーシアの川を走る船に乗って、ケータイ越しに会話を続け、最後にパリの凱旋門前で運命的に出逢う、というストーリーのNTTドコモのコマーシャル「DoCoMo 2.0「国境を越えて」篇(ロングバージョン)」には、(ロケでなく)合成撮影も使われているという話が、鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」に書いてあった。CMのメイキングを見てみると、確かにニューヨーク・マンハッタンのビル屋上シーンなどで合成撮影をしていることがわかる。
ねぇ。…なのかな?
どうなんだろうね。
「最後にパリの凱旋門前で運命的に出逢うシーン」も合成撮影で作られていて、この出逢うシーンの撮影とケータイの会話の音録りが一番最初に行われており、瑛太と蒼井優が二人揃う共演はその初日が最初で最後だった、という。「最後に出逢う」シーンが、「最初に」合成撮影されていて、それが「最初で最後の一日」だった…ということを知ると、何だか少し面白い。
人に訊かれて、「たぶん」って答えた。
「たぶん」て何よ。
このコマーシャルを見ていると、その背後に「判断」とか「決定」とか「たぶん」とか、そして「運命」とか、…そんな言葉の流れが見えてくる。そんな言葉が地球の周りをグルグル電波に乗って回っている。コマーシャルは、社会を写している。
ねぇ運命って信じる?
たぶん。
また「たぶん」なんだ。
2008-02-14[n年前へ]
■波が日本列島をノックする
「京都市は太平洋からも日本海からも、そのどちらにも同じくらいの距離に位置している」ことを知ったのは、学生時代に、地球物理関連のデータ計測に関する話を聞いている時だった。京都地殻の地面の奥底に設置された計測器のデータ解析をしようとするとき、太平洋と日本海の波によるノイズがそのデータ中に重なってくる、というような話を聞いた。
一年を通じて15℃ほどで湿度が高い坑道の中で、紙に印字された測定データを眺めていても、遠く離れた太平洋と日本海の波が日本列島を叩き続けているようすは想像できなかった。けれど、きっと測定データには「海の波が日本列島をノックし続ける」ようすが映し出されていたのだろう。
2008-07-07[n年前へ]
■「25年前に宇宙人へ送信した画像添付メール」の原画
今日は7月7日、七夕の日だ。そういえば、一月と少し前に、「25年前に電波送信した宇宙人へのメッセージ画像の原画が見つかった」というニュースを読んだ。6年前、「七夕の夜に願うこと」で書いた 「スタンフォードの46mのパラボラ・アンテナからアルタイルに向けて送り出された、13枚の画像添付メール」の原画だ。
地球からアルタイルまでの距離は約16光年。メッセージを乗せた電波信号は99年に到着している。知的生命体が住む惑星が存在し、すぐに返事を送ったとすると、2015年に地球へ届くことになる。
この原画だったか、あるいは、そのためのラフスケッチだったか、そんな画像を見たことがある。「少年ジャンプの企画中で、電波に載せて宇宙人へメッセージを送信してみるんだ」と、父が描いたラクガキを見せながら、父は愉快げな顔で話をしてくれたように思う。
宇宙人から返事がくる可能性はほとんどない。宇宙人へのメッセージは、生物の進化を示す画像群は、なぜかエタノールの分子式で終わる。ビールか何かを飲みながらそんな「低解像度のエタノールの分子式」について語る送信者の話を聞いていた覚えがある。
「でも、それでいい」
西暦2000年に送られた、アルタイルへの電波メールが宇宙空間をこの瞬間も秒速30万kmで伝播し続けている途中かもしれないと夢想してみるのも、とてつもなく楽しいことだと思う。
これから続く夏の空を眺めつつ、ビールでも飲みながら、天の川とベガとアルタイルのことや、酔っぱらい二人が送ったそんなメールのことを思い浮かべてみるのも、きっと気持ちが良いと思う。星空が綺麗な高原で、あるいは、星も見えないビル屋上のビアガーデンで。
2008-10-08[n年前へ]
■「たむらけんじ」で見る「東西の差」もしくは「蝸牛考」
地域・国ごとの文化の違いを見てみたい、とよく思う。できれば、とてもくだらないように思える地域ごとの、けれどそれはとても身近でもある文化の違いを眺めてみたいと思う。メディアの力で地球上どこでも同じような文化かというと・・・やはり、そんなことはないだろう、と確信している。何の根拠もないけれど、未来永劫そうなのだろう、と思う。
ふと、「たむらけんじ(たむけん)」で見る「東西の差」もしくは「蝸牛考」を見てみたくなった。・・・というわけで、まずは、「あなたがイメージする”たむけん”はどっち?」アンケートを作ってみた。こういうアンケートを「雑誌流行マップ」と同じように、アクセス元地域でマッピングしたならば、「たむらけんじ」という一人のイメージからから、「東西」や「日本列島に描かれた現代の蝸牛考」をも眺めることができて、とても面白いかもしれない。