hirax.net::Keywords::「幸せ」のブログ



2004-04-02[n年前へ]

どんなものでも寂しがりや 

 どんなものでも基本的には寂しがりやだという。だから、寂しい過疎の町からは段々人が出て行ってしまい、大都会にはさらに人が集まって行く。そしてまた同じように、中身が寂しい財布からは寂しがりやのお金が逃げだして、豊かな財布の中へ逃げ込んでしまうという。つまりは、ビンボー人はますますビンボーになり、金持ちの財布にはますますたくさんのお金が集まっていくのである。

 そんな哀しい真実を知ったのは西原理恵子のマンガからだっただろうか。そして、さらに哀しいことに、この法則はどんなものにも当てはまる。多分、人やお金だけでない。例えば、時間だって寂しがり屋だ。「時間」が無いところからはますます「時間」は逃げていくし、仕事はたくさんあるところにはますます仕事が集まってくる。「どんなものでも寂しがりや」なのだから、どんなものも仲間を呼び寄せようとするのだ。

 ということは、「幸せ」「不幸」なんてものだってきっと寂しがりやなのだろう。「幸せ」は「幸せ」を呼ぶし、「不幸」は「不幸」を呼び寄せるのかもしれない。すると、幸せになりたければ幸せな人にすり寄るのが一番だし、仕事を抱えたくなければ仕事を抱えた人に近づいてはイケナイという法則が導かれるわけである。逆に言えば、不幸な人からは人が逃げていくし、仕事を抱えた人の周りからは一目散に人は逃げていく、ということにもなるわけだけれど。

2004-05-15[n年前へ]

Castle imitation 

ニーナ、空へ行こう リンク先を変更した、鬼束ちひろのCastle imitation

 以前印象的だった「この世界で生きるしかないとしても。このまま生きる方が楽だとしても。その先に何があるかわからなくとも。知らない方が幸せだったとしても。たとえ世界を壊してしまうとしても。ニーナ、空へ行こう。世界に従うか 自分に従うか」というCMのビデオファイルはこれかな


2004-05-18[n年前へ]

「"幸せ"をはかる定規」なんてどこにも存在しない 

 「"幸せ"をはかる定規」なんてどこにも存在しない失くしたのは、左手のクスリ指。そこは、目で見ることができる女のコの"幸せ"が象徴されている場所だ

十一月の晴天の空の下、わたしは自分の指を踏んだ。その日から、もうすぐ十年になる。

2004-05-20[n年前へ]

「糸を信じる」という言葉 

 はてなダイアリーガイドの 監修の言葉

 ひとりひとりの生活の記録や考えごとなど、取るに足らない些細な物語かもしれません。(中略)一本一本は細い糸かもしれません。それでも、その糸と糸が複雑に絡み合い、見たこともないような布を織り成して、そして、その布のおかげでほんの少し、人生の幸せが増えることになればと願っています。
 この文章を眺めて、ふと糸信という名前の人のことを思い出した。その名前、その言葉には「糸を信じる」という気持ちが込められているんだなぁ、と気づいたのはその人を知ってからずいぶん時間が経ってからのことだったように思う。その名前を考えて選んだ人達の気持ちがこもっているんだろうな、となんだかしみじみとしたのは少し時間が経ってからだったような気もする。

 その人が体を壊して勤務先を退社した、と人づてに聞いたのはいつのことだったろう。そんなに昔ではないような気もするし、だけど結構前のことだったような気もする。あの人は今どうしているのだろうか。

2004-05-21[n年前へ]

人を"幸せ"を願うのび太たち 

 「あの青年は、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それが一番人間にとって大事なことなんだからね」と言われるのび太たち。二十一世紀の今、ドラえもん 恋愛編に収録されている二十一話を読んでみるのも面白いかも。 from YASWiki2実験室.

のび太「ぼくと結婚したらしずかちゃんが不幸せになる、だから嫌われなきゃ」
ドラえもん「ばかばかしいとは思うけど、いじらしくもあるなぁ」



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