hirax.net::Keywords::「推敲」のブログ



2001-06-10[n年前へ]

MPEG2とシンデレラ 

 朝からビデオをがりがり作成。この日はまだDVでいくか、MPEG2でいくか決めかねてた。MPEG4は画質的にNG。夜はKさんの発表の推敲をしてた。深夜、前に買った長い差し棒を探し回るが見当たらない。しょうがないから、短いのを持参することに。時々、しみじみ話したりしながら、シンデレラが帰る頃に帰宅。

2003-05-27[n年前へ]

仮称NEKO@HOME 

 今日の夕方に簡単なデータ処理プログラムを書いた。すると、プログラミング素人の私が作ったので、当たり前のように計算領域のごく一部を計算するだけで10分弱も計算時間がかかるプログラムができた…。しかも、大領域で計算しようとすると2GB程度のメモリだとすぐに落ちてしまって計算ができない…。
 で、まともに考えれば計算ルーチンを推敲して作り直さなければイケナイわけなのだけれど、「できるかな?」的な無意味に大富豪プログラミングに走るクセのあるワタシは、質より量の並列コンピューティングに走ることにしたのである。もちろん、それはPS2クラスタリングの記事に影響されたに違いないのである。
 というわけで、「ネコがネットワークからデータを取ってきて計算した後で何処かへ返しに行く」というソフト仮称NEKO@HOMEに着手することにした。さてさて、どうなることやら。

2003-11-23[n年前へ]

正確な文章の書き方 

 「書き直しや推敲無しではよい文章を書けません。書いては削り、書いては削る。文章を書くためにたくさん時間をかけて下さい」という実に思い言葉が書いてある「正確な文章の書き方
 「見直し無しの、一回こっきり上から下への書きっぱなしの修正無し」の元文章を「明日の午後までの時間で」よい文章を書けるだろうか?と不安になりつつ、時間をちゃんと使えないそんな自分を反省する今日この頃。  from KLaxon - O.P. on HATENA

2004-06-26[n年前へ]

良いワープロソフト 

 良いワープロソフトを探している。個人的に理想的なのはWYSIWYGのLaTeXのようなものなのだが、中々良い環境がない。(ExcelとPowerPointは用途によっては素晴らしいと思うが)Microsoft Wordは問題外だし…、ということで今はワープロソフト代わりにInDesignを使っているけれども、これはワープロソフトソフトというには重すぎるし、推敲しながら書くには全然向かない。どなたか、良いワープロソフトをご存じないでしょうか。

2004-07-31[n年前へ]

「書き変えたベクトル」を眺めたい 

 先日、大阪で「電子写真の極限画質を探る」というシンポジウムがあった。プログラムには「電子写真プロセスを理論的に考える」と記載されているリコー渡邉/門永氏の講演は「電子写真プロセスを物理的に考える」という題名だった。そこには、「理論」ではなく「物理」だ、という両氏の意志があるわけだ。その「理論」→「物理」という二文字の変化の方向・ベクトルに、彼らのベースにある考えがほんの少し映し出されているわけである。

フォリー・ベリジェールの酒場 森村泰昌がマネの「フォリー・ベルジェールの酒場」の登場人物を演じることにより、「美術史の娘/劇場A」「美術史の娘/劇場B」を作成したときに、森村泰昌は「マネの絵では酒場のカウンターに手を置いているが、実際にやってみると描かれた(マネが描いた)酒場の女性の腕は極端に長くデフォルメされていた」ことに気づく。マネが腕を極端に長く事により、「白い顔・白い胸・白い腕」で形作られる力強い三角形が酒場の女性を力強い主役へと変え「その女性の力強さをマネは描いていた」のである。

美術史の娘/劇場A美術史の娘/劇場B 結局、森村泰昌は「長く太い腕を石膏でつくり、自分の腕と握り拳で女性の胸のふくらみを語る」ことにした。マネが描いた極端に「長い腕」を「石膏の腕」に変え、「白い胸のふくらみ」を「力強い握り拳」へと変えるのが、森村泰昌が書き換えたベクトルだったことになる。それは森村泰昌が示した強い意志に他ならない。

 よく、更新があったWEB日記などを見に行くと、書かれている内容は増えていないのだけれど、言葉が少し書き換えられていることがよくある。それは文章を推敲したことにより変わったのかもしれないし、何かの事情で書き換えたのかもしれないが、「変更前」→「変更後」という言葉を書き変えるベクトル・意図が書き手にあるのは確かだろう。その書き手のベクトルを眺めてみたい、とよく思う。

 更新チェックをするアンテナで、更新された履歴だけでなく、言葉が書き変えられた履歴を眺めてみたい。書き手がこだわって書き変えた小さな部分を知りたい、眺めてみたいと思う。何を意識して、「元の言葉」からそれとは違う「他の言葉」へと書き換えたかを知りたい。どう「書き方」を変えたかを知り、その書き手の中に流れる「何かを書き変えたベクトル」を眺めたい、と思う。そして、その先に示されている意志を想像してみたい。



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