2005-04-03[n年前へ]
■「話し方バイリンガル」で「異文化コミニュケーション」
仕事場での会話としては、私は「聞き手は話し手の語った内容を「聞き手の言葉で置き換えて話して、聞き手が受け取った内容=話し手が話したつもりの内容、であるかを確認」しなければならない、と思っている。できれば、そんな「確認を伴う」話し方を自然にできるようになりたい、と思っていたりもする。相手の話を「そうなんですよね」なんていう受け方は、話を聞いているうちに入らないとも思っている。つまりは、アンチ「そう」派なのである。
しかし、そんな風な話の聞き方を(仕事ではない場で)女性に対してやったら…、イヤ〜な印象を与えまくりだろうなぁ。ペラペラペラペラと喋られた内容に、「そうだよね」「そうそう」という言葉でなく、他の言葉で返事(相槌)をされたら、(例えそれが同意の内容でも)「なんだコイツ?」と思われるに違いない。「人の話を黙って聞きやがれ!」と、きっと思われることだろう。先のリンク先によれば、「女性は、想像可能なあらゆる話題に関して - 彼女らの - 気持ちを述べるのを好む」らしいし、決して「聞き手の言葉で置き換えて確認」なんかされたくないに違いないのである。というわけで、こんな状況では「そうそう〜」「そうだよね〜」「そうかも〜」と、「何はともあれ、『そう』から言葉をはじめる(それで終えてもいいくらいかも)」べきなのかもしれない。
というわけで、「確認を伴う」話し方を自然にできるようになった場合、そんなしゃべり方だけであると、非常に女性にイヤがられるしゃべり方になる可能性が高い。やはり、「確認を伴う」話し方と、「(そう)で相手の話のジャマをしない」話し方、という二つの「話し方バイリンガル」にならなければきっとダメダメなのだろう。もしかしたら、男と女の世界はもしかしたら「異文化コミニュケーション」の世界なのかも。もしかしたら、NOVAにでも駅前留学したら、良いのかも。
2005-04-23[n年前へ]
■「歩いて伝わっていくこと」 その1
過去の富士ゼロックスの広報誌GRAPHICATIONを読んでいると、阿部謹也が「歩く文化」をめぐって算額(全国一覧)のことを書いていた。
江戸時代には、算学者というか数学者も日本中を歩き回っていましたね。これは専門の学者ではなくて、アマチュアの数学好きな(道楽)人たちです。そして、各地の神社などに数式を書いた絵馬を奉納してゆく。…誰か解く者はいないかと。そして、絵馬に書かれた問題を解いて廻って腕を磨くわけです。阿部謹也 「歩く文化」をめぐって GRAPHICATION日本全国津々浦々、数学の道場破りをしていくとは。四国一周八十八札所巡りみたいに、算額八十八札所巡りみたいなものもあるのだろうか?
この後に書かれている「江戸時代の農書では、農民がやってはいけないとされていることとして、美田を買うこと・賭け事・酒を飲む、などの中に-算数に凝る-というのがある」という話も面白い。ということは、つまり算数をしたがる農民も多くいた、ということだろうか? 十字架を隠し持っていた隠れキリスタンのように、算数クイズを隠し持つ隠れ算数農民たちがいたのだろうか?【わしらも実はカネゴン】
2005-08-07[n年前へ]
■人生等時線
「読者の生年」を横軸に、縦軸に「読者がマンガ作品を読んだ年齢」とってグラフ化してみたという、夏目房之介の「夏目式年表」
マンガに限らず色々な文化や色々な出来事で、こんな「人生等時線」を描いてみると面白そうだ。
2005-08-31[n年前へ]
■「毎日かあさん」論争
『「毎日かあさん」論争、表現の自由か教育的配慮か 』 「教育的配慮」という言葉の意味・用法も使う団体・人それぞれなのかも。
何かを表現すれば、どこかにその言葉で傷ついたりする人はいる。もちろん、それを意識しないことは今ひとつ気持ちよくないかも、とも思う。西原理恵子の希有な才能と作品を読みたいファンとしては、「配慮」という言葉のもとに、何も表現しないのは何だかとてもツマラナイとも思う。
2005-09-27[n年前へ]
■渋谷 複雑なものは、言葉でしか表せない
少し前に、プレゼン講習で「相手が見たことがない知らないものを、(相手に)言葉で説明することは不可能だ」なんていう話をした。だからこそ、画像とか動画像とかデモンストレーションというのは便利なんだ、と話したような気がする。
今日、ふと喋ったことは、「あまりに複雑なものは、言葉で説明する方が楽だ」ということである。英語(文化)の学習用にジェスチャーゲームをやらされることがあった。出題された「英単語」をジェスチャーで他の人に伝える、ゲームである。"DNA"とか"Acid"なんていうのが出題された時には、頭がまっ白になった覚えがある。そんな時に、あまりに複雑なものは言葉でしか表現できない(もちろん乏しいながら)、と思ったりもする。