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2007-07-10[n年前へ]

ワットの調速機と「正義」 

 ワットが蒸気機関に採用した調速機、遠心力と重力のバランスを原動力にして、蒸気機関の回転速度を制御する「調速機」は、フィードバック制御の典型的なものだ。状況を見て、出力が低下しているようであれば、出力が上がるように「制御」して、出力が高すぎるようであれば、出力が下がるように介入する。このフィード・バック制御は「神の見えざる手」に似ていると同時に、「正義」にも似ている。

「義」、確か中国語で、足りない物を補う、という意味じゃなかったかな。義手とか義足とか それから考えると、正義という意味は、正しい事が足りない状況に於いて、「正しさを注入して不均衡を均衡に戻す」って事じゃないですかね?
 旅先をする水戸黄門が、困っている人たちの状況を見て、助さんと角さんをその状況へ介入させる。状況を見て、足りない物を補う、そんな黄門さま御一行の旅は、フィード・バック制御の毎日だ。
 負のフィードバックが働く場合は、出力の増加が反応にブレーキをかけ、出力が低下すると反応は加速されるので、うまく働けば出力を一定に保つことができる。 Wikipedia フィードバック

いろいろ 

 from n年前へ.

 それは、まさに「"高学歴"な人たちが、各種技術を使いこなす一方で、安易な考え・物語を信じる」という「オウム的な構図」を生んだ土壌にそっくりな風景が見え隠れてしている気がしたからです。
対象に触発され、知覚・感情・理性・意志活動・喜怒哀楽・愛憎・嫉妬となって現われ、その働きの有無が、「人間と動物一般」、また「敬愛・畏怖の対象となる人と憎悪・軽蔑すべき人間」を区別するものと考えられる。
 正義の女神ジャスティス は目隠しをして、右手に持った剣でバッサバッサと人を切り捨てる。そう言われてみれば、キャッチフレーズ通り「座頭市」は"Justice is Blind"に違いない。
ずっと昔にラブホテルでバイトしていた時に「特別室」にだけ置いてあった「立体テレビ」 故障中で観ることができなかったけれど。ちょっと観てみたかったな。

2007-07-11[n年前へ]

正義とJustice 

 from セブン・イレブンの今日のn年前へ.

「義」、確か中国語で、足りない物を補う、という意味じゃなかったかな。義手とか義足とか それから考えると、正義という意味は、正しい事が足りない状況に於いて、「正しさを注入して不均衡を均衡に戻す」って事じゃないですかね?
 島本和彦のマンガで何人もの正義のヒーロー(ヒロイン)達が偶然出会い、「正義って何だ」と夜通し議論する話があった。 「オマエの-正義-は私怨じゃないのか」とか「オマエの正義は単なる俺ルール」だろう、とか。そして、最後にそれぞれの正義を持ちつつ、「いつかまたな」と別れていく話である。
 だとするとやっぱり、正義とJusticeはちょっと意味合いが違うかな

正義と"Justice"とフィード・フォワード制御 

 正義がフィード・バック制御に似ているとするなら、"Justice"はフィード・フォワード制御に似ているように見える。

 制御対象に対する正確な知識があり、外乱が存在しない場合は、制御=基準量となる操作量を計算し操作すれば、制御量と基準量を一致させることができる。 すなわち、フィードフォワード制御とは、制御量の現在値を用いず、操作量を決める制御である。 内山 章フィードフォワード・フィードバックと経営の関係http://www.posy.co.jp/3319-6uchiyama.pdf
 正義の女神ジャスティスは目隠しをして、右手に持った剣で人を切る。"Justice is Blind"と言われるように、目の前で起きている景色を直接見ることなく、「制御」という介入を行うのが"Justice"だ。何が起きるかを正確に知り、そんな状況を正す方法が存在して、その方法を少しの間違いもなく把握することができる、そして、その方法を確実に実現する。そんなフィード・フォワード制御と正義の女神ジャスティスは少し似ている。

 けれど、…こんな考え方もできる。"Justice"の"just"は「ジャスト」のjust"だ。右手に剣を持つジャスティスは、左手には秤を持つ。その秤で釣り合いを調べ、そして右手に持った剣で、秤が釣り合う「ジャスト」を実現する。それは、フィードバック制御にも重なって見える。

科学と経済学ともう一つ 

(dekirukana9/engineerEconomics)



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