2001-06-21[n年前へ]
■二十一世紀の「ミニスカートの幾何学」
可愛いAIBOはちょっぴりエッチ
「面白い記事がありましたが、読みましたか?ふふっ(笑)。」というメールが先日私に届いた。さてさて、一体どんな記事だろう?うむむ…?と見に行ってみると、それはZDNNのこんな記事だった。
- 「しつけ」られたAIBO——無線遠隔操作ソフトに,盗撮防止機能
- ( http://www.zdnet.co.jp/news/0106/08/aibo.html?0b06012410 )
しかし、しかし、である。これだけでは、先のメールの書き主が私にわざわざこのニュースを知らせてくれる理由がわけ判らないではないか。私はお茶ノ水博士のようなロボット博士でもなければ、TVチャンピオン常連のおもちゃオタクでもないのである。ましてや、先のメールの「ふふっ(笑)」は奇奇怪怪としか言いようが無い。もしかしたら、これは新手のAIBOの売り込みだろうか?あのSONYもついにSPAMを出すようになったか、あのSONYがなぁ、と思いつつ記事を読み進んでいくと、記事の終わり近くになってやっと疑問は氷解したのである。その部分を少し引用してみると、
今回,遠隔撮影を可能にするAIBO Navigator開発にあたって,ソニー社内でも盗撮問題が再浮上。AIBOを担当するエンターテインメントロボットカンパニー内に「倫理委員会」を設置するなど,盗撮問題に対して真面目に取り組んだという。ということだそうだ。なるほど、これはまさにである。理系学生の憧れナンバー1といえばソニーであるが、そのソニーの「真心」とも言うべきソニーの「倫理委員会」と私は同じような「研究」をしていたわけである。「女性のためのミニスカート理論の構築を目指していた」ミニスカートの幾何学はまさに「真心・倫理」を具現化した研究と言っても良いくらいであるが、やはり判る人には判るのである。先のメールの主は私に「あなたのレポートはまさに日本の倫理のために役立っているのですよ」と教えて下さっているに違いないのである。もっとも、残念なことに私はソニーの倫理委員会と違って「短いといわれているミニスカートの丈の長さを実際に定規で測って調べたり」する機会には恵まれなかったのである。
「AIBOのアタマが,ある角度以上に上を向くと,見てはいけないものが見えてしまう」(ソニー)ということで、倫理委員会では、まず盗撮される側のデータを収集。女性の平均身長の調査から始まり、短いといわれているミニスカートの丈の長さを実際に定規で測って調べ、AIBOの頭部カメラがどの角度までなら大丈夫かをさまざまな角度から調査。その結果、可動角度を最大20度とし、首の位置が20度以上動くようなモーションをしなくてはいけないときは、動画が止まる機構までも装備した
が、そんなことはさておき、「角度で20度までなら、見てはいけないものが見えない」というのは本当だろうか?それは、ミニスカートの幾何学で調べるとどういうことになるのだろうか?というわけで、このナゾについて少し考えてみたい、と思うのである。
というわけで、まずは「ミニスカートの幾何学」の復習をしよう。ミニスカートの内側の下着が見えるか、見えないかを考えるには次のような図を考えると判りやすい。ここでは女性の真下の地点を原点にとり、水平方向にX軸をとり、鉛直上向きにY軸をとっている。
スカートの内側の「見てはいけないもの」が見えてしまうのは、上の図で緑の線よりも下側に入って、その緑の線より上を見上げた場合である。そして、ここでその緑の線は
- 女性の下着の一番下の部分の位置
- ミニスカートの一番端の下の位置
それでは、その「限界角度」を調べるために、とっても簡単「ミニスカートの幾何学」を活用しよう。まずは、例えば女性のヒップ周りが88cmとしてみた場合に、スカート中央から端までの長さ(rcm)は、女性のヒップを円と近似すると、
2πr = 88cmであるから、スカート中央から端までの長さ(r cm)は
r = 14cmとなる。すると、図を見ればわかるように、緑の線 -> 「下着防衛ライン」はスカートの丈を未知数として、
y = - ((スカートの丈 - 25)/14) x + 股下長さという式で表すことができるわけだ。ここで、「AIBOがそれ以上上を向くと見てはいけないものが見えてしまう」という緑の線の角度は
ArcTan[ (スカートの丈 - 25)/14 ] / (2 π)*360で表されるから、それを計算してみて、「スカートの丈」に対する「見てはいけないものが見えてしまう」限界角度を計算してみると、その結果は次のグラフのようになる。
このグラフを見れば判るように、女性のスカートが長くなれば長くなるほど、「見てはいけないものが見えてしまう」限界角度は大きくなる。当り前である。長いスカートの中を覗こうとしたら、AIBOはそのスカートの中へ入り込んで、かなりの上を見上げなければならない。もちろん、スカートの丈が短くなればなるほど、スカートの中身は覗きやすくなる。そうすると、AIBOがそれほど上を見上げなくても、「見えてはいけないもの」が見えるようになってしまうのである。
さて、前回の「ミニスカートの幾何学」では女性達が履くスカートは短くても32cmまでであって、その長さであれば角度が30°ほどにもなる急な階段でも女性のスカートの中の「見えてはいけないもの」は見えることが無い、ということを明らかにした。というわけで、それを知ってか知らずか女性達の履くスカートは短くても32cmまでなのである。だとすれば、その32cmに対応する限界角度は「見てはいけないものが見えるための必要角度」ということになるわけである。
すると、このグラフを見れば一目瞭然、スカートの下限「見てはいけないものが見えてしまう」限界角度は20数度よりも大きいことが判るのだ。ということは、先の記事の通りに、AIBOの首の上限角度を20度にしておけば、もうどうやってもAIBOはスカートの中身を覗くことができなくて、AIBOが盗撮者の手先となってしまう危険は防ぐことができるのである。それより上を眺めれば、見たことのない映像が見ることができるハズなのではあるが、ロボット三原則に基づいて(大ウソ)、AIBOの首はそれより上には上がらないように設計されているわけである。
というわけで、こんな風にソニーの「倫理委員会」がうらやましいばかりの数々の実験を重ねて調べたことも、このミニスカートの幾何学から導き出すことができるのだ。あぁ、なんて社会の役に立つ研究なのだろう。こんな女性のため、社会正義のための幾何学がこの他にあるのだろうか…。しかし、そんな社会正義のための研究だったハズなのに、この「ミニスカートの幾何学」をきっかけにしてhirax.netが色モノサイト扱いされ、さらには有害サイト扱いされるようになるとは… 思いもしなかったなぁ… ふっ… (涙)…。
2001-07-08[n年前へ]
■七夕
「感じやすい、すべてを目で表現するような子供でした。…… 大人になってほしいとも、元気な社会人になってほしいとも思いません。……」とのメール。
ところで、この一月近く前のこの写真は撮られてるのを知らなかったせいでずいぶんと無表情ですが、疲れてるわけではなくて多分何かに気をとられていたのでしょう。出張でもこんな姿だったりするので、立派な「大人、社会人」ではないかもしれませんが、とりあえず「元気が無い社会人」というわけでもないので心配しないで下さいな、と。多分、再来週位に顔を出します。
それに、あと二日で33だし…。なんてこったい。(リンク)
2002-02-20[n年前へ]
■「やおい」の評価演算子
ベクトルの彼方で待ってて II
東京駅近くの飲み屋「美少年」で、日本酒利き酒セットを目の前にしながら、私は珍しく「日本の政治」について話していた。といっても、単にそれは話し相手が社会部に属する新聞記者だったからである。で、その時の話題は小泉首相と福田官房長官の話だったろうか?
「福田X小泉っていうのは、結構上手くやっているのかな?」と私が言うと、おもむろに
「あれは、福田X小泉じゃなくて、絶対あれは小泉X福田なのー」とその記者が言ったのである。何を言っているのかその意味がよく判らないまま、「ん〜?」と私が首を傾げていると、繰り返し
「福田X小泉と小泉X福田は全然意味が違うのー」と言い始めるのである。何が何だか訳がわからない。じゃぁ、何か?小泉X福田だと小泉純一郎が総理大臣で福田康夫が官房長官だけど、福田X小泉だと福田康夫が総理大臣で小泉純一郎が官房長官になるとでも言うのか??政治の世界では、言う順番で総理大臣が決まるとでも言うのか?と私が口をはさむと、
「そう。ただ、ちょっと政治の世界とは違う世界かも〜。政界じゃなくて、やおい界ではー。」と言うのだ。なんだコイツ?政界は判るけど、やおい界って一体何処の世界の話だ??と、困惑する私も構わず、そこから延々と長い演説が始まった…。その大河ドラマのようにやたらと長い話を要約すると、
- やおい → 一部の女性が好む「男性同士の恋愛もののストーリー」のこと
- X → やおいの世界で恋愛の関係を示す記号。例えば、AさんとBさんが恋に落ちるであれば、Aさん×Bさんと表す。で、ここで重要なのは先に位置する方が「攻め役」となって、後に位置する方が「受け役」となる…。つまり、例えばサド侯爵とレオパルド・マゾッホであれば攻め役がサド侯爵で、受け役がマゾッホなので、サド×マゾなのである。決して、マゾ×サドではない…
で、日本酒を飲みながら、まだまだ続くその話に悪酔いしていると、「カップルの順序が重要なんだー」という言葉を聞いて、ふと中学の頃の数学の授業を思い出した。その頃、大学を出てまだ一年目の斉藤慶子似の数学の先生と話していたときに、「Hくん、あのね掛け合わせる順序が違うと結果も違っちゃう計算もあるのよ」と教わったことがあった。そんな言葉から私は未知の「数学の世界」をかいま見たりしたのである。 今考えてみれば、新任の斉藤慶子似の女性教師の個人授業なのだから、行列・ベクトルの掛け算の順序なんかじゃなくて、「もっと違う順序」を手取り足取り教えてくれても良かったんじゃないか、とか思ったりするし、そうすれば、私は未だ見ぬ「大人の世界」を覗き見ることができたのではないか、と思ったりもするのだけれど、そんなことは残念ながら無くて、私はただ「行列・ベクトルの世界」を覗いただけだったのである。
で、そんな昔話を思い出したせいか、頭の中でこんな風に思ったのである。そういえば、これまで「できるかな?」では数多く「恋の力学」でも遊んできた。ただ、そこでは「惹かれ合う恋心の大きさ」だけに注目して、そのカップルの中での役割などは考えたことがなかった。そこで、今回は「やおい」のカップルの「役割・順序」に注目し、その「役割・順序」を評価する演算子を行列・ベクトルの掛け算になぞらえながら考えてみることで、これまでと同じく色々な「恋の形」を眺めてみたいと思う。
まずは、色々な人物(実際の人物であったり、小説などの登場人物であったり)のタイプを二次元空間に配置しよう。「この人は結構攻め役が合いそう」とか「この人は絶対受け役が合うのだー」という適性を
- 攻めベクトル
- 受けベクトル
そして、カップリング適性では「A×B、B×Aが全然違う」ということから、外積(ベクトル積)をそのまま流用して、適当な評価関数を作ってみるのが自然だろう。まず、
カップリング適性ベクトル = (攻め度(s)、受け度(m))と表記して、例えばAさんのカップリング適性ベクトルを(As, Am)と表すことにしてみよう。すると、Aさんが「攻め」でBさんが「受け」のカップリング適性は、この二人の適性ベクトルのベクトル積として表すことができる。つまり、
A×Bのカップリング適性 = ( As * Bm - Am * Bs )となるわけである。式を眺めれば判るように、Aさんの攻め度が高くて、Bさんの受け度が高ければ、この評価関数は高い値を返す。つまり、「A×Bの順序は正しいのだー」という評価を返す。つまり、「A×B」はなかなか良いカップルだー、と教えてくれる。また、もしAさんの受け度が高くて、Bさんの攻め度が高ければ、低い値を返す。つまり、「A×Bの順序は絶対間違ってるのだー」と評価してくれるのである。なんともありがたいことに(いや別にありがたくはないか…)、この「やおいのカップリング評価演算子」が「福田X小泉」と「小泉X福田」のどちらが自然なのかを教えてくれるのだ。試しに、上のサドくんとMくんであれば、「サドくん×Mくん」= (100,0)×(0,100) = 100*100 - 0*0 = 10000でとっても「良い感じ」でああるが、「Mくん×サドくん」= (0,100)×(100,0) = 0*0 - 100*100 = -10000で「このカップリングは絶対順序が違うー」と判るわけである。
= Aさんの攻め度 * Bさんの受け度
- Aさんの受け度 * Bさんの攻め度
とりあえず、今回はこの評価演算子を作成するところまでで終えたいと思うが、いずれこの「やおいの評価演算子」を武器にして、いつか(?)「やおいの世界= やおい界」に限らず、色んな数多くの恋の関係を目に見えるようにしてみたいと思う。そして、これまで数多く考えてきた「恋の〜シリーズ」を充実させていきたいと思うのである。
ところで、今回のカップリング適性評価演算子は基本的に外積そのものである。つまり、この演算が返す値は「二人のベクトルでできる平行四辺形の面積」に等しい。つまりは、「二人のベクトルでどれだけ色んな違うことがきでるか」を示す尺度である。そして、その値は二人のベクトルが直交する時、すなわち二人のベクトルが重ならず独立である時に最大値となる。つまりは、「二人のベクトルが違えば違うほど大きく」なる。例えば、先の「サドくん×Mくん」であれば二人のS,M趣向が完全に正反対であったからとてもお似合いのカップルになったのである。
これをいわゆる恋の話で考えてみると、とっても独立な二人、趣味が重ならない二人がお似合いだということになる。なるほど、そんなカップルも世の中にはたくさんいることだろう。そんな人達を「外積タイプのカップル」と呼ぶことができると思う。
一方、趣味が重ならないカップルだけでなくて、世の中にはそれとは正反対の「趣味が重なる良いカップル」も数多くいる。それは「内積タイプのカップル」である。内積はA,Bベクトル間の正射影に比例する量であって、つまりは「二人の重なるベクトルの大きさ」である。それは例えば、相手の中に自分を重ね合わせるような「二人の重なる部分が二人を結びつけるようなカップル」なのである。
「理系と文系」・「男と女」が対極的なものでも、相反するものでもないのと同じく、「外積カップルと内積カップル」も別に二つに分けられるようなものではないだろう。「外積タイプの恋」も「内積タイプの恋」が混じり合って、それぞれに良いところもあれば、危ういところもあって、などと想像してみるのも面白いに違いない。そして、さらにはもしかしたらベクトル空間で萌えることができるようになったりするかもしれない。
そういえば、ふと考えてみると以前「恋の形を見た人は」で最後に引用した本橋馨子の「兼次おじ様シリーズ」は男性同士の恋の話だった。つまりは「やおい」の話だった。そこで、もう一度そのセリフを最後に飾って眺めてみようと思うのである。
「愛はどんな形をしているか知っているか?」「見た事ないからわかりません。」「そうだ、誰も見た者はないのに、誰もが当然のように形づけて受け入れている...
もし愛に優劣を決めるものがあればなんだろう?... 異性愛か、同性愛か、そんなものじゃない …たとえ、どんな形だろうと選ぶのはおまえ自身だよ。」
2002-06-16[n年前へ]
■私が好きな記事を書くひと
某社の資料を追いかけまくり、「あぁ、この人やこの人はこういう発想や動きをするんだぁ」と判るようになった気がする今日この頃、今日はこんな一連の記事の個性について。
平沼赳夫 発言 「日本国債の格付けはボツワナ国債よりも下になった。ボツワナ国民の半分くらいはエイズ患者。そんな国より格付けが下とはけしからん」
内容についてはさておき、「自分はもっと価値がある、と言うために、他を貶める」というのは情けなくて想像力が欠如しているなぁ、と「自戒を込めて」思ったのでした。(小学生の作文風)
で、「平沼赳夫オフィシャルホームページ」の「私の政治信条 一、人間性を重んじ、調和のある人間社会の実現をはかる」は大嘘だと思う。 (リンク)(リンク)(リンク)(リンク)
2002-11-17[n年前へ]
■続・人間万事塞翁が馬
「人間万事塞翁が馬」の「人間」を何と読むだろうか?これまで、高校の先生が「じんかんばんじ…」と読んでいたのだけれど、周りの人たちは「にんげんばんじ…」と読む人がほとんどなのだけれど…。と、訊かれた。もちろん、私もその多数に属していて、これまで「にんげんばんじ…」と読んでいたのである。で、新明解辞典をひくと、「じんかん(人間)」の方は
じんかん(人間) 〔「じん」も「かん」もそれぞれの漢字の漢音〕 世間。世の中。「—に流布する」と出ていた。それでは「にんげん(人間)」の方はというと
にんげん(人間) (他の人間と共になんらかのかかわりを持ちながら 社会を構成し、なにほどかの寄与をすることが 期待されるものとしての〕人。と出ていたわけなのである。「人間万事…」の「人生の吉凶は簡単には定めがたい」という意味から言えば、確かに「じんかん」と読むのが正しいに違いない。勉強になるのである。
そしてまた、新明解の「にんげん(人間)」の定義もこれまた(他の人間と共になんらかのかかわりを持ちながら社会を構成し、なにほどかの寄与をすることが期待されるものとしての〕という枕詞が新明解らしくて良いなぁ、と思うのだった。