hirax.net::Keywords::「科学」のブログ



2012-02-21[n年前へ]

「物質世界で起きていること」を「考えるための技術」 

 目の前で起きていることが、過去に起きたことのコピーのような繰り替えしでない限り、目の前で起きていることを理解するためには「単なる知識」とは違う種類の「技術」が必要になる。そんな、物質世界で起きていることを「考えるための技術」についてのアラン・ケイの言葉。 from 「n年前へ」から

 私たちは子供を数学者や科学者や技術者にしようと思っているのではありません。私たちが子供がそうした考え(科学)を理解する手助けをしたいと思うのは、科学が、異なる思考方法やパワフルな思考方法を体現しているからです。
 科学とは、この世界のことを、だまされずにもっとよく知る方法です。その中には、私たちの自分の脳の何が間違っているかを知る、ということも含まれています。
 …科学は、物質世界で起きていることを考えるための言語として使われたのです。だから、子供たちが科学を学ぶことが大事なのです。

アラン・ケイ「科学とは、新しいアイデアを学ぶためのもの」 

 技術や科学は「目的」ではありません。けれど、それは有力な「道具」です。技術や科学を「目的」にするのは、多分何かしら未来を損なって眺めているような気がします。けれど、それが「目的」ではないと知っている限りにおいて、それは非常に有力な「道具」です。

2012-02-24[n年前へ]

「科学館デートをする2人」と「見抜く目を最高に持った人」 

 今日2月24日の「n年前へ」から。

 「科学に詳しい男性と科学に疎い女性の科学館デート」はOKかもしれませんが、その逆のパターン「科学に詳しい女性と科学に疎い男性の科学館デート」は…絶対駄目そうな気がします」
 私は、「過去」の長さと同じだけ先の「未来」が見えるものだと考えています。今この瞬間から「n年前の過去」を振り返り・眺めれば…今という時間の「n年先の未来」が見えると思っています。過去を振り返りつつ、未来へと進んでいく…そんな前へと進んでいく感覚は、「”前へ”」という言葉をどうしても使いたくなります。
 わたしは、読む人の力をいつでも信じています。そうでなかったら一行も書けません。また、見抜く目を最高に持った人を想定読者にするのが、このメディアを続けていくための秘訣でもあります。

2012-03-09[n年前へ]

2011年3月1日から1年間の「”原発”記事とブックマーク」 

 2011年3月1日から今日までの1年間に、私たちみんなの間で「人気記事」となった”原発”記事とコメントを、今一度読み直してみたくなり、はてなブックマークから全て引っ張ってみました。それが、2011年3月1日から1年間の「”原発”記事とブックマーク」です。

 今から振り返れば、事故後3月12日に書かれた池田信夫氏やMIT研究者による記事などが、「間違っていた」ことや、ニュー速VIPブログ「放射能から身を守る方法」や元「東芝の原子力技術者が語る福島原発の現状」の「正しさ」が、今一度見えてきます。

 あるいは、地震の1週間前に書かれた(四国伊方原子力発電所の実験風景をひきつつ書かれた)いしだ壱成氏記事を読めば、その的確な指摘に考えさせられ、そして同時に、そこにつけられた私たちみんなが付けたブックマークコメントを読めば、「安全神話」を生み出し、今回の災害を生み出した「人の姿」も見えてきます。

 「今回の災害で得た多くの科学的データを生かし、こうした災害が起きないようにしたい」というような内容をどこかで読み、「それはそれで大事なのだろうが、それでは、防災のためにはあまり効果的でなさそうだ」と感じました。なぜなら、災害を生み出す量を決める一番のファクターは、科学・技術ではなく、他の何よりも「人」である、と思うからです。金融工学がいかに進もうと、バブルが繰り返し起きるように、科学技術がどれほど進もうと、主人公はやはり「人」なのです(正しい判断をしない「みんな」はいつも「バブル」を繰り返す)。

 「分数もできない大学生」のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?
 分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す。

 未来に生かすべきは、他の何より「私たち自身つまり”人”がおかしがちな誤り」への振り返りなのではないかと思いつつ、今日眺め直してみたものが2011年3月1日から1年間の「”原発”記事とブックマーク」です。

2012-09-25[n年前へ]

変わらない・変わるところもある「それこそが粘弾性のおっぱいならぬ人間」だ 

 メトロノーム同期の話題の話題を、ここ数日見かける。そこで思い出した、2011年の春の終わりに書いた雑文。「オッパイ星人の力学 揺れるバストの集団同期 編 ~ 1億数千万の人々を14個のおっぱいに例えてみた

 おっぱいこそが人間を生み育てた原動力なのだから、おっぱいに育てられた人間の動き・人間関係の力学をおっぱいの力学で説明できないわけがないだろう!…題して「揺れるバストは均質である限りにおいて集団同期する、等質な揺れるバストはみな同じ方を向きたがる、の法則」だ!
 当たり前だ!現象を説明するだけでは、それは科学かもしれないが、日本が誇る技術ではない。右手に現象把握、左手に「どうするべきだ」という改善策、そのふたつを兼ね備える、それが技術のあるべき姿だ!
 多様性があって、変わらないところもあれば・変わるところもある。それこそが、粘弾性の「おっぱい」ならぬ人間というものなのかもしれないな。

2012-10-24[n年前へ]

地上39kmからの”音速を超えた”スカイ・ダイビングの科学 

 地上39000mから「スカイ・ダイビング」し、落下速度が音速を超えたという話。高度によって音速は違ったり、飛び出す高度によって達する最高速度は変わっていくけれど、そういったあたりのことを考えてみようじゃないか!という”Falling Faster than the Speed of Sound”



■Powered by yagm.net