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2000-08-16[n年前へ]

浅草・上野 

いい感じ。ビールもとても美味しい。(リンク)(リンク

2001-03-04[n年前へ]

柿ピーのシーソー・ゲーム 

柿とピーナツの供給バランスを考える

 結婚しようとするカップルが少しばかり気にした方がよいのが、「柿ピーの好み」である。知らない人がいるとは思えないが、念のために書いておこう。柿ピーと言えば、柿ピー= 柿の種 + ピーナッツであって、亀田製菓の大ヒット商品である。そして、何と言ってもビールの安上がりのおつまみだ。
 

いわゆるひとつの「柿ピー」

 この「安上がりで手軽なおつまみ」というところが、結婚しようとするカップルにはとても重要である。何故なら、結婚する前のカップルであれば洒落た店で飲むことも多いかもしれないが、結婚後はなかなかそうはいかない。いつの間にか手に持ったワイングラスは缶ビール(しかも発泡酒)に変〜身し、「テーブルの上の豪華な食事」はちゃぶ台の上の亀田製菓の柿ピーにバケラッタしているのである。

 そうなると、かつては「このソースとても美味しいよね。うふっ。」なんて言っていた二人も変わらざるをえない。そりゃそうだ。柿ピーを目の前にして、気取ってみてもしょうがないわけだ。そんな時、こんな会話に走りがちである。

「柿の種ばっか、食べないでよ!」
「オマエこそ、ピーナッツどんどん食えよ!」
そう、柿ピーがなまじ「柿の種 + ピーナッツ」なので、片方がどんどん減っていったりすると、これがもう大変。かつては、ワインを片手に愛を語らっていた二人も、今やビール(しかも実は発泡酒)を片手に食い物の奪い合いをすることになるのである。

 これが、カップルの二人がとても似たもの同士で、「私達二人とも柿の種がスゴ〜ク好きだから、ピーナッツなんかいらないの。だから、- 柿の種だけが100%入った柿の種 - を買うの!」なんて感じなら、もちろんノープロブレムだろうし、あるいは、「ぼくらは、ピーナッツだけを買うのさ!」という感じのカップルでも同様だろう。
 

そんな二人のための「柿の種だけが100%入った柿の種」

 あるいは、もう「ぼくは柿の種が好きだけど、きみはピーナッツが好き。二人は違っているから良い組み合わせなのさ。柿の種はぼくがどんどん食べるから、君はピーナッツをお食べ」なんてカップルでもいいだろう。こちらも、「ひとまずは」ノープロブレムである。つまりは、全く同じが正反対のカップルであれば、大抵の場合ほとんど問題はないのである。

 しかし、「柿ピーは柿の種とピーナッツが適当な割合で入っているから良いのさ」なんていうグルメ気取りのカップルがいたりすると、大変である。

「アンタの食べる割合、少しおかしくない?」
「何言ってんだよ!オマエの方が柿ピー食べ過ぎだってんだよ!」
「そんなことないわよ!」
となるのは必至である。この数分後には、巨人の星の一徹父ちゃんのごとく、ちゃぶ台はひっくり返されているのに違いないのである。柿ピーの割合恐るべしだ。

 そして、しかもこれが理系カップルともなれば、もう最低だ。

「柿とピーの割合は7:3で食べなさいよ!」
「違うだろ、6:4が適正値に決まってるだろ!」
「そんなにピーナッツを食べたいなら、柿ピーじゃなくてピー柿にしなさいよ!」
「別にピーナッツが過半数を超えるほどがイイって言ってんじゃねぇ〜!」
「何よ、もっと定量的に話しなさいよ!」
という具合になるに決まっているのだ。このままいくと、柿ピーを前にして離婚談義にもなりかねない。なんともオソロシイ話である。(* ピー柿は7:3でピーナツの方が多い。そんなのが実在することが私にとっては驚きである。)

 そういうわけで、「柿ピーの好み」「柿ピーの割合」「柿ピーの消費の割合」なんていうものは、結構結婚しようとするカップルには重要なのである。結婚しようとするカップルはぜひとも心して聞いておいてもらいたい。とはいえ、モテモテ度テスト

「女にモテない、というより、女に興味がないオマエ。今、一番気になることがドリキャスの値下げだったりなんかしない? まーそれも人生だけど、モテたほうがおいしいことは多いぜ? もうちょい女に関心持てよ。」
と判定された私が言っても説得力がないか。
 

 ところで、そもそも柿ピーの割合はどのくらいが普通なのだろうか?WEBで検索してみると、柿ピー10に対して

  • 柿の種 : 7〜6
  • ピーナッツ : 3〜4
が普通であるらしい。作っている方も、食べる方も結構ウルサ方が多いらしく、結構その割合について書いてあるサイトも多かった。

 そこで、試しに私も手元にあった小袋入り亀田の柿ピーの中身を調べてみた。調べたのは「小袋入り亀田の柿ピー」である。
 

小袋入り亀田の柿ピー

 この一袋の中身を開けてみると大体こんな感じである。
 

一袋に入っていた柿ピー

 もちろん、単に数えても良いわけではあるが、「クダラナイことに、無意味なほどに大ゲサな道具を使うのがこのサイトのポリシー」でもあったりするので、まずは画像処理ソフトを使って柿の種とピーナッツの個数をカウントしてみた。使ったソフトはUTHSCSAImageTool である。PCベースでフリーでお手軽で粒子カウントとなるとこのソフトになるだろう。もちろんNIH-imageベースのScionImagePCという選択肢もないわけではないが、こと粒子カウントになるとはるかにImageToolの方が使いやすい。マクロの取っつきやすさ(機能は較べものにならないほどおちるが)もNIH-image系よりも上である。

 さて、まずは上の画面内で柿の種を粒子カウントしてみたのが次の画面だ。この画面では見つかった柿の種は赤い縁取りがされ、個数がマーキングされていることがわかると思う。ちなみに、この画面内では93個の柿の種が見つかった。しつこいようだが、「数えた方が早いだろっ!」というツッコミはこの「できるかな?」では厳禁である。
 

柿の種は大体100個
ちなみにこの画面では93個

 同じようにして、ピーナッツをカウントしてみたのが次の画面である。この画面では、ピーナッツは23個見つかった。
 

ピーナッツは大体20個
ちなみにこの画面では23個だった

 すると、個数ベースでピーナッツが23/(93+23) = 20%で、残りが柿の種で80%ということになる。柿ピーの割合は大体8:2であったことになる。確か、WEBの亀田製菓に関する情報では

「柿ピー」のブレンドは、柿の種6に対してピーナッツ4が基本
と書いてあったような気がするので、今回の8:2というデータは測定誤差、とその他の何らかの誤差が重なったものだろう。いや、そんな誤差はどうでも良いか。
 

 ところで、大きな袋に入った柿ピーを食べながらよく考えることがある。私は柿の種が大好きなので、柿の種ばっかり選んで食べていくと、袋の口近くの上の方にはピーナッツばかりが残り、明らかに袋の場所ごとに柿の種とピーナッツの割合が異なってしまっていることがよくある。この柿の種とピーナッツの割合の時間的・空間的変化は一体どうなっているものだろうか?そこで、今回その「ピーナッツの柿ピーに占める割合の時間・空間的変化」について、少し考えてみることにした。
 

 まずは簡単に判るように、袋の中から均等に柿の種とピーナッツを「柿ピーの割合を適当な割合で」食べていった場合、「ピーナッツの柿ピーに占める割合」は次の図のようになる。この図は横軸が時間で、縦軸がピーナッツの柿ピーに占める割合である。
 

ピーナッツの柿ピーに占める割合の時間的変化
青 : 柿ピーを8:2の割合で食べた場合
緑 : 柿ピーを8:3の割合で食べた場合

 今回の場合柿ピーは8:2で入っているので、青の場合のように柿ピーを8:2の割合で食べていくと、時間にして10分後に柿ピーがなくなるまで、ピーナッツの柿ピーに占める割合は20%をキープしたままである。しかし、(少しばかりピーナッツが好きな人が)柿ピーを8:3の割合で食べてしまうと、つまりピーナッツを過剰に食べてしまうと、どんどんピーナッツの割合は減ってしまい、ついに8分経過後にはピーナッツが袋の中から無くなってしまうのである。つまり、あとの2分は悲しみと共に柿の種を食べ続けなければならないのである(私は柿の種が好きなので悲しくもなんともないが)。

 じゃぁ、袋の中の空間的分布も考えてみたらどうなるか、というのを次に計算してみた。まずは、袋を大きく二つに分けて、袋の入り口で適当な割合で柿ピーを食べた後、袋の奥から袋の入り口の方へ柿ピーを持ってくる。また、その際に適度に柿ピーをかき混ぜる。そして、柿ピーがなくなるまで柿ピーの割合の変化を調べてみるのである。ちなみに、IE4以降+Excel2000以降?の人であれば、ここをクリックすれば、その計算シートで遊ぶことができると思う。

 例えば、「柿ピーを8:2の割合で食べた場合」と「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」のピーナッツの柿ピーに占める割合の時間・空間的変化を調べてみたのが、次に示す結果である。ちなみに、このいずれも横軸は時間である。また、時間軸にして30前後の時点で柿ピーは完全になくなっている。
 

ピーナッツの柿ピーに占める割合の時間・空間的変化
左 : 柿ピーを8:2の割合で食べた場合   右 : 柿ピーを8:5の割合で食べた場合

ちょっと計算上の誤差が大きいが、それはちょっと無視してもらいたい。

 さて、左の「柿ピーを8:2の割合で食べた場合」、つまり本来の柿ピー比と同じ割合で食べていった場合には、入り口近くでも奥の方でも柿ピーの比率は変わらない。そして、入り口の方から柿ピーを取った分を、奥の方から補給しているので、奥の方では時間軸20の時点で空になってしまっている。左の図でピーナツの割合がゼロになっているように見えるのは、実は単に柿ピーがなくなっただけなのである。そして、入り口近くの柿ピーが時間軸30の時点で空になっているまで、柿ピーの比率は変わることはない。当たり前だ。

 では、「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」はどうだろうか?つまり、本来の割合よりもピーナッツを多く食べがちな人の場合だ。そんな場合の右を見てみると、奥の方は単に入り口近くに柿ピーを補給しているだけなので、柿ピーの割合は変わらないままだ。しかし、入り口近くではあっという間にピーナッツの割合が減ってしまっている。ほとんどなくなっている、といっても良いくらいの状態である。つまり、ピーナッツ大好き人間にとっては、手の届く袋の入り口近くには全然ピーナッツがないという、拷問状態なのである。周りに女子校や共学の学校はあるけど、自分の通う学校が男子校だったみたいなキツイ状態である。ちなみに、私は高校時代に私服の共学の学校に通った結果、制服の女子高生に強い強い憧れを抱くに至ったことを否定できなかったりするのである。
 

 話を戻して、それでは「袋を適当にかき混ぜながら」、「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」はどうなるだろうか?というのが次の結果である。こうすると、奥の方のピーナッツもどんどん消費されているのがわかる。入り口近くも奥の方も、同じようにどんどんピーナッツの割合がどんどん減ってしまい、時間軸15の時点で完全になくなってしまっている。あとは柿の種がなくなる時間軸30の時点まではもう柿の種と向かい合うだけの人生なのである。ツラすぎる(ピーナッツ好きの人にとっては)。私の知人のオッパイ星人が結婚後に妻から、

「アンタはもう貧乳とだけ向き合う人生なのよ。」
と言われ、涙をこぼしていたのを連想させるような「柿の種人生」が待っているのである。

*一部、不適当な発言がありましたことをお詫びします。
 

「袋を適当にかき混ぜながら」、「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」
柿ピーの袋の奥の方でも入り口近くでもピーナッツがすぐになくなっていく

 つまりは、ピーナッツが食べたいからといって、あまり柿ピーの袋をかき混ぜるのは良くないということなのである。もちろん、短期的にはピーナッツがたくさん食べることができて良いわけであるが、長期的に見ればその後の長い「柿の種人生」が待っているのである。それが端的にわかるのが、次の「ピーナッツをどれだけ食べているか」を示す結果である。

 この結果の中で、上の方に示した「柿ピーの袋をかき混ぜない場合」では、結構最後までピーナッツを細々と食べていけることがわかるだろう。柿ピーがなくなるのが時間軸で30前後の時点であるが、その少し前23位の時点までピーナッツを食べていけるのである。それに対して、ピーナッツを早く食べたいばかりに、柿ピーの袋をかき混ぜまくりの下の「柿ピーの袋をかき混ぜた場合」には、時間軸で13前後の時点でもうピーナッツがなくなってしまっている。もう、コイツには「柿の種人生」しか残されていないのである。
 

「ピーナッツをどれだけ食べているか」の時間変化
横軸 : 時間、 縦軸 : ピーナッツの消費数
 

柿ピーの袋をかき混ぜない場合

結構最後までピーナッツを細々と食べていける


 
 

柿ピーの袋をかき混ぜた場合

なんとも、太く短くのピーナッツの食べ方である…


 

 とはいえ、柿ピーの袋をかき混ぜながら太く短くピーナッツを食べるか、それをじっとガマンの子で細々と最後までピーナッツを食べるか、どっちが良いかは難しいところだ。ちなみに、私はかき混ぜまくりで柿の種を食いまくり、残ったピーナッツは人にプレゼントするというとても良い性格である。だったら、100%柿の種を買えって感じであるが、売店には置いてないことも多いから、しょうがないのである。
 

 というわけで、今回はビール(やっぱりあくまで発泡酒)を左手にそして柿ピーを右手でつまみながら、酔っぱらった頭で(いつものことだが)、ツマラナイことを考えてみた。モノが本当の柿の種であればオチて芽が出るのが普通なのだけれど、今回の柿ピーの話はオチがあるわけでも芽が出るわけでもない。酔っぱらいのタワゴトだから意味なんか全然ないのである。と、日記には書いておこう(意味不明)。
 

2002-07-01[n年前へ]

タップルーム 

 「だいーぶ以前に、千本浜の堤防の上で廃屋の写真を撮っているひらばやし氏をバイクからお見かけしました。あの辺りは、僕もお気に入りです。
 沼津に美味しいビール屋があります。沼津港、コバルトアロー乗り場の正面の2Fタップルームというところです」

 と、メールをもらった。うひゃー、恥ずかしー。気恥ずかしいー。立ち***とかしなくて良かったー。それにしても、よく私だって判ったなー、すごいなー。
 何はともあれ、その「タップルーム」に行ってビールを飲もう。海を見ながら、ビールを飲もう。(リンク

2003-01-13[n年前へ]

江戸から続く秘伝のタレ? 

昔ながらのウナギが食べたい

最新記事:ガリガリ君のアタリは法律上限の2倍近い高確率だった!?

 最近、少し貧血気味だったりする。こんな時はもちろんウナギを食べたくなるのである。美味しいウナギを食べたくなるのである。

 そういえば、江戸時代から続く老舗の鰻屋などでは「ウナギを焼くときに使うタレは創業時から使い続けている」というように聞く。ウナギのタレを壷に注いで、使っては継ぎ足し、また次の日使ってはさらに継ぎ足して、二百年以上もその秘伝のタレを使い続けているということである。「ウチのタレは江戸時代から続くタレでございます」というわけである。なるほど、そんな風に保たれている秘伝のタレは長い間熟成され続けて、さぞかし美味しいに違いない。江戸時代から守り続けられているタレはきっと栄養だって満点に違いないのである。もしかしたら、ワタシの貧血だって一発で直ってしまうかもしれない。

 ところで、「ウチのタレは江戸時代から続くタレでございます」とはいっても、もちろんそれは言葉通りの意味ではないだろう。その言葉が意味するところは、「江戸時代からの味の伝統を代々受け継いでいますよ」ということであって、言葉通りの「江戸時代にできたタレが目の前のウナギに塗られている」ということではないだろう。

 とはいえ、そんな老舗のウナギを食べる方の心理からすれば「江戸時代の頃にできたタレが今でもその壷の中に残っているんじゃないだろうか?」と考えてしまったりもすることだろう。そして、二百五十年近く壷の中で熟され続けてきたそんな素晴らしいタレが自分の目の前のウナギにかかっているのではないか、と感じたりするに違いないのである。

 果たして、そんな老舗の鰻屋の秘伝の鰻のタレの壷の中の何処かに、江戸時代に作られた「タレ」が今も潜んでいたりするものなのだろうか?江戸時代に調合されたタレの分子が、今も秘伝の壷の何処かに漂っているのだろうか?江戸時代にその壷に注ぎ込まれたタレに含まれている水分子(タレのほとんどは水だろう)が、今でもその壷の中でじっとワタシに食されるのを待っていたりするものなのだろうか?きっと、誰しもそんな疑問を持つことだろう。少なくとも貧血気味のワタシの頭はそんな疑問を持ったのである。そして、「江戸時代にできたタレの分子」をぜひとも食してみたい気持ちに襲われるのである。

 そこで、江戸時代から続くような老舗の鰻屋の秘伝の「ウナギのタレの壷」の中に漂う「江戸時代にできたタレの分子数」を簡単に計算してみることにした。鰻屋が

  1. 創業時にある一定の容量の「ウナギのタレの壷」を満タンにして
  2. ウナギを食するお客一人当たり25ccほどのタレを使い
  3. 減った分を新しく作ったタレを注ぎ込んで補充し
  4. 壷の中身をよ~く撹拌して、次のお客に備える
ということを毎日続けていくと、秘伝の壷の中に漂う「江戸時代にできたタレの分子数」はどうなるか、を計算してみたのである。まずは、毎日100人のお客が鰻を食べに来るような人気の鰻屋の場合である。また、壷の容量は特大と三種類の場合で計算してみた。下に示すグラフがその結果で、横軸は創業以来の「壷」の経過年数、縦軸は壷の中に入っている「江戸時代の頃にできたタレ」の分子数を示している。
 
 
秘伝の壷の中に漂う「江戸時代にできたタレの分子数」
(毎日100人のお客が鰻を食べに来る鰻屋の場合)
横軸:経過年数、縦軸:壷の中に入っている「江戸時代の頃にできたタレ」の分子数

赤:特大サイズの壷の場合 ( 容量3500リッター ) 
緑:大サイズの壷の場合 ( 容量1000リッター )  
青:  中サイズの壷の場合 ( 容量100リッター )  

 この結果を眺めると、中サイズの壷の場合は十年経たないうちに「創業(江戸時代)の頃にできたタレの分子」は壷の中からなくなってしまうことが判る。また、大サイズの壷の場合も七十年程でやはり同じように「江戸時代の頃にできたタレの分子」がなくなってしまっている。特大サイズの壷ではじめて、「江戸時代の頃にできたタレの分子」が今も壷の中に眠っているということが判るのである。

 しかし、である。「じゃぁ、特大サイズの壷を使っている老舗の鰻屋に行けば良いのね」と簡単に納得してはイケナイのである。何しろ、この特大サイズの壷は容量が3500リッターもあるのである。つまりは、タレが重量3.5トンほども入っている超巨大な壷なのである。3.5トンの壷ってなんやねん、とツッコミたくなるもの当然の不自然きわまりない、ありえないようなサイズなのだ。それはほとんどほとんど貯水タンクと言った方が良いサイズなのである。つまり、言い換えれば普通サイズの壷を使う限りは「江戸時代にできたタレの分子」に出会うことはほとんど不可能だ、という結果になってしまうわけだ。非常に残念なのだが、「江戸時代にできたタレの分子」を食することはとても難しそうなのである。

 とはいえ、それはあくまで毎日100人のお客が鰻を食べに来る人気の鰻屋の場合である。下に示すような、毎日2人のお客しか鰻を食べに来ない不人気の鰻屋の場合は少々事情が違うのである。特大サイズどころか中サイズの壷の中でさえ、ちゃんと250年経っても「江戸時代の頃にできたタレの分子」が残っているのである。ほとんど、客が来ず、そしてウナギのタレが消費されないがために、「江戸時代の頃にできたタレの分子」が必要十分すぎるほどに守られているのである。まさに「ウチのタレは江戸時代から続くタレでございます」なのである。
 

秘伝の壷の中に漂う「江戸時代にできたタレの分子数」
(毎日2人のお客しか鰻を食べに来ない鰻屋の場合)
横軸:経過年数、縦軸:壷の中に入っている「江戸時代の頃にできたタレ」の分子数

赤:特大サイズの壷の場合 ( 容量3500リッター ) 
緑:大サイズの壷の場合 ( 容量1000リッター )  
青:  中サイズの壷の場合 ( 容量100リッター )

 と書いてはみたものの、そんな不人気店が江戸時代から二百五十年以上も潰れずに残ってるかぁ、とか、そもそもそんな不人気店のウナギをおまえは食べたいのかぁ、とか、そもそもそこまで寝かされているタレはもう腐ってらぁ、という反論異論が出ないわけはなく、やはり非常に残念なのではあるけれど、「江戸時代にできたタレの分子」を食することはどうもできそうにない。
 

 ところで、「鰻のタレの壷」ではないけれど、「継ぎ足して使い続けている」ようなものは他にも世の中に数多くある。例えば、「血液」なんていうものだってそうだ。秘伝のタレと同じように、私たちの体の中には毎日毎日新しい血液が作り足されている。時には血液が足りなくなってしまったときに貧血気味になってしまったり、さらに血液が足りなくなってしまえば他の人の血を「輸血」という形で継ぎ足すようなことだってある。そんな風に、何処かの誰かから何処かの誰かへ輸血された血が、そしてその血の中の水分子が今どこに漂っているかをふと考えてみたりもする。そんな血液の中の水分子はもしかしたら、体から排出されてどこかの海を漂っているかもしれないし、何処かの空を漂っているかも知れない、そしてもしかしたら、まだ何処かの誰かの体の中で漂っているかも知れない。そんなことを考えてみたりもする。


最新記事:「ガリガリ君のアタリは法律上限の2倍近い高確率だった!?

江戸から続く秘伝のタレ? 

 久々の更新です。リハビリ気分でゆっくりと、ね。あと、美味しい鰻屋さんなんか知っていたら教えて下さるとウレシイです。



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