hirax.net::Keywords::「シャッター」のブログ



2007-10-02[n年前へ]

「一方通行」と「自由」 

 朝日新聞の夕刊を読んでいると、「9月のオシム」というコラムがある。そこで、こんな言葉が紹介されていた。「しかし、自由を与えられた選手は、自分でいつどこでどのようなプレーをするか、判断しないといけない

 交通標識に向けてたくさんシャッターを切った。ほとんどは一方通行の標識だ。こんなに一方通行があると、下手に迷い込んだりするととても大変なんじゃなかろうか、と思ったりする。
「自由を与えて何かできる選手と、何もできなくなる選手がいる」
 その一方で一方通行に制限されていたりする方が迷わなかったりするもんだろうか、とも思ったりする。さらに、それはなんだか時間の流れと似ているような気もする。
 "School of Rock"中で、こんな言葉があった。
 Form a Band. Rehearse a Lot. Know What to Do. Remember the Past.
 そんな言葉を思い出しながら、さらに、こんな言葉も思い出す。
あぁ、がんばれば、きっと何でも物事は上達するんだなぁ。

2007-11-28[n年前へ]

「東京タワー」と「分数階PID制御」 

 浜松町からほど近い増上寺越しに、朝と夜、二度東京タワーを見る。デジタルカメラのシャッターを何回も押したけれど、CFカードが入っていなかったことに、今気づく。

 CFカードには記録されていないけれど、ファインダーの中で、(名前がわからないけれど)奇麗で大きな花越しに、通りの木々の葉越しに、増上寺の瓦越しに眺めた東京タワーは、つまり、積み重なった歴史の向こうに眺めた東京タワーはとても味わい深い姿と色をしていた。

 芝公園の横、東京のホテル地下二階を会場にするMATLAB EXPO 2007 の会場を散策していると、「分数階PID制御」なんていうキーワードが耳に入ってくる。何だかとても懐かしいキーワードだ。以前、妄想したものの延長ならば、それは"現在"の姿を反映(比例)した"P=Proportional"と、過去の履歴を積分した"I=Integral"と、その瞬間の変化(動き・移り変わり)を強調した微分の"D=Differential"を、テキトーに混ぜ合わせたようなものなのだろうか。分数階微分の周波数領域、すなわち現在・過去・未来の間の色んな領域で、適当なゲイン(増幅率)をかけ、テキトーな位相遅れを加えた、そんな制御なのだろうか。

 色んなものを聞き・眺めることは本当に面白い、とつくづく思う。世界は限りなく広い。

東京タワー増上寺三丁目の夕日MATLAB EXPO 2007東京タワー






2008-02-03[n年前へ]

「降る雪」と「後幕シンクロ」と「写真」 

 「こんなに綺麗な景色なのに、なぜ写真には写らないんだろう」と思うことは多い。夜空に上る月を見て、大きく見える月にレンズを向け、シャッターボタンを押してみても、写真に写る月はとても小さい。…あるいは、雪が舞い降りる景色を撮影してみても、写真の中の雪は小さな埃にしか見えない。

 印象に近い「降る雪」を写そうとする時、よく使われるテクニックが日中シンクロ(ストロボの強制発光)だ。小さく見えにくい雪にストロボの光をあて、ボケ気味に明るく大きく写すことで、雪を印象的に映し出す技法である。目の前を過ぎていく近くの雪だけを明るく映し出し、それ以外の背景に対してはストロボの効果がないために、結果的に雪が背景に対して浮かび上がる。

 とはいえ、シャッターを切った瞬間にストロボが光る「先幕シンクロ」のカメラだったりすると、下へ降るはずの雪が、上に浮かび上がってように見えてしまう。そんな時は、シャッターが閉じる直前にストロボが光る「後幕シンクロ」にするか、ストロボが光る時以外は雪が写らないようなシャッタースピードや感度に調整しなければならない。

 見た印象をそのまま写すカメラはあるのだろうか。もしも、そんなカメラがあったとしたら、そのカメラで撮影したものは「写真」なのだろうか。

光跡を操る【匠のデジタル工房・玄人専科】「スピードライト撮影」は難しい ?






2008-06-29[n年前へ]

「素晴らしく綺麗な景色」は写真に撮れない 

 綺麗な風景を見てカメラのシャッターを押したい、と思うことがあります。それは、写真に撮って残したいという気持ちではなくて、目の前に広がる素晴らしい景色を他の誰かにも伝えてみたい、というような感じに近いように思います。心惹かれる景色であればあるほど、そんな景色を写真に撮りたい・誰かに伝えたい気持ちが浮かび上がってきます。

 けれど、それがどんなに素敵な景色だったとしても、カメラを取り出そうという気持ちが起きない状況が、いくつかあります。たとえば、「山腹の上に月が佇む景色」がそんな景色の一つです。写真を撮る気が起きない理由は、私の腕では「魅力的に浮かぶ月の大きさが、撮った写真ではどうしても小さく見えてしまう」からです。肉眼でとても大きく見える月が、撮影した画像中ではあまりに小さい存在になってしまうのです。つまり、眺める景色の素晴らしさを絶対に写し取ることができないだろう、と確信してしまう時に、カメラを取り出す気になれないように思います。写真で「真を写す」ことができそうにないと確信してしまうのです。

 湧水池に蛍を見に行きました。緑色に強く光りつつ浮かぶ蛍や、水草に止まり、ゆっくりとした点滅を続ける蛍を見に行きました。蛍が浮かび上がる景色・蛍がそこらかしこで光る景色を見に行く時にも、やはりカメラを持って行こうという気持ちは起きませんでした。あの幻想的で不思議な世界を、ぼんやり暗い草木の中や水草の上で、たくさんの小さな緑色の光が浮かぶ景色を、私の腕で真に写し取ることができるわけもないからです。

 特に優れた写真の腕を持つわけでもない私たちが、あの綺麗な景色を写し取り伝えることができる撮影・表示装置があるとしたら、それはきっと「現在のカメラのようなものではない」のだろう、と思います。それは、小さなプラネタリウムのようなものかもしれないし、今の私たちには想像もできないようなシステムかもしれません。いずれにせよ、少なくとも私は、そんな装置や腕をまだ持ち合わせていないのです。

 だから、カメラも何ももたずに、蛍を手ぶらで見に行きました。

 もし、あなたが住む場所の近くに川が流れていたら、少し散歩をしてみると良いかもしれません。もしかしたら、目の前で蛍がふんわりと光りながら浮かび、足下では小刻みに点滅する蛍の光が見えるかもしれません。今週は、そんな景色を見ることができる限られた時期です。あなたの住む家の近くに川が流れていたとしたら、夜、少しだけ散歩をしてみると良いかもしれません。

2008-07-13[n年前へ]

「奥行きを持ち浮かび上がってくる名画」グッズ 

 以前、『カンバスから飛び出す「名画の世界」』『もう一つの目から眺めた世界』などで、名画を立体視画像に変えて遊んでみました。本来は、「一枚の平面画像」であるものを画像加工することで、奥行き情報を適当に付加した上で、立体視ができるような画像に変えて眺め楽しんでみたのです。

 右上の画像は、以前ミュージアムショップで買った名画たちです。といっても、ポストカードのような「いわゆる平面的な画像」ではなく、(下に張り付けた動画を見ればわかるように)手で丸めるように立体にすると直方体状に形が変わり、直方体に開けられている穴を覗いてみると、美しい名画が奥行を持った立体的な世界として浮かび上がってくる、という仕組みです。



 こういった名画が一体どんな立体画像として見えるのだろう?と興味を持つ人も多いでしょうから、この「名画を立体視ができるようにしたグッズ」を覗いた時に見える景色、たとえばフェルメールの"Milk"を覗いた時に見える小さいけれど立体的な世界を、右にアニメーションGIFとして貼り付けてみました。といっても、カメラ付きケータイで「名画を立体視ができるようにしたグッズ」に空いている穴を覗きつつシャッターを押して、左右の画像を撮影しただけです。そのため、ずいぶん画質は悪くなっていますが、それでも、少しは立体的なようすがわかることを願っています。

 ちなみに、下に張り付けたのは、平行法の立体視画像です。左右立体視ができる方であれば、こちらの方がずっと綺麗に立体感を持った世界を体験することができるかもしれません。奥行きを持ち浮かび上がってくるたくさんの名画を、眺めてみたくなりませんか?


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