2004-11-18[n年前へ]
■今日のお返事
「このページの文章が多いとき、長いとき」=「何かの締め切りを抱えていて、(週末や夜)PCの前で作業をしているハズなのに、その作業から逃避しがちな時」が多いかも。というより、最近は例外なくそんな感じです…。うぅ…。
ただ、「(本来価値あるべきものの)価値を貶めるのは(一般化せず)書き手(自身・に対して)にだけにしておいて欲しいな」と(瞬間的に)思った時には、こんな風につい長く書いてしまいますね。この時もですね、きっと。そんな私自身の短所はなんとか直したい、と切望しているのですけれど…。うぅ…。
嘘はつきません。ただ1つだけの事実や真実も語りません。事実をバラバラにした出来損ないのジグゾーパズル、それが私のネットの姿です。嘘を言ったり、嘘を塗る必要もないです。 …ですから、「嘘のない私の一部」というやつでしょうか。
2004-11-21[n年前へ]
■「お笑いパソコン日誌」「とりあえず」復活
「これまでのスタイルのものは存在価値がほとんどなくなっていることは確かなので、違ったスタイル模索中」という「お笑いパソコン日誌」復活。スタイルを変えても何であっても、続けることはきっと「いい」に違いない。
2004-11-22[n年前へ]
■腕時計の自動巻き上げ器
「一度に15個の自動巻腕時計を巻き上げ可能!」という業務用「腕時計の自動巻き上げ器」プロワインダー15 。その巻き上げのようすを眺めてみたり、オプションのギミックに感嘆してみたりするのも面白いかも。とりあえず、一見の価値はあると思います。
2004-12-12[n年前へ]
■「オレオレ」人と「成果主義」の中の「強い声に流されやすい人」
「恥じらいなき社員の職場破壊 成果主義のストレス」を読む。人は自分に似た人を、自分が比較したがる人のことが気になることが多いように思う。だから、もしかしたら、この文章の書き手は(「恥じらい」があるのかないのかはわからないが)成果を手に入れようとする方向性自体はきっとこの記事中の登場人物と似ているのではないだろうか、と思う。書き手の価値観に何も(記事中の登場人物の行動が)ひっかかることがなかったとしたら、記事にする気にもならなかっただろうから、きっとこの書き手たちは「この記事の中の登場人物」でもおかしくはないのだろう、と想像する。
「オレオレ」的な声の大きな人も確かにいて、「成果主義」の中でそんな人が「一見」クローズアップされるように見えるかもしれない。しかし、そんな人は(今と変わらず)前からいたし、(時代が変わった今でも)そんな人を気にするのは(そんな人と)似たような人だけだと思う。
むしろ、そんな声が大きくなりがちな「オレオレ」主義の人の動向よりは、「成果主義」の中の「上や強い声に流されがちな人・逃げがちな人」が流れていく先の方が私は気になる。「オレオレ」的な人は実は大したことをしているわけでなく、人の尻馬に乗っているだけのことも多いから、別に大した問題ではないと思う。ただ、「上や強い声に流されがちな人・逃げがちな人」に関しては、もしもその数が多かったとしたらそういうわけにはいかないとも思う。なんだか、先々とても問題になるような気がする。
2004-12-22[n年前へ]
■「決定!エンジニアが思わず涙したアノひと言大賞2004」
決定!エンジニアが思わず涙したアノひと言大賞2004」が公開されています。この日に選考を行ったものですね。よくあるかもしれないけれど、それでも一つ挙げた言葉は…、さてなんでしょうか?
一点だけ補足しておくと、ノミネート中にある「この製品ができたおかげで現代の医療が前進した」という一言は、「医療であれ何であれ、その製品の価値に違いはなく、等しく大きく価値があると思うが」という注釈付きで選んだような気もします。