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2009-04-30[n年前へ]

「プライドの使い方」と太宰治 

 荒井玲子「ソフトウェア開発 で伸びる人、伸びない人 」の「あとがき」から。

 人は、必ず変わることができる。
 私はいつもそう信じています。そして、変わるならば、良い方向に、幸せな方向に向かってほしい、と願っています。
 …プライドは、外に向けるのではなく、自分自身に向けることです。
 …実は、私自身もかつては誤った高いプライドを持ち、肩に力が入った日々を送っていました。…(それが)変わったきっかけは…ある本を読んだことです。もしも、あなたが「どうしたら伸びる人になれるのだろう?」と思って、この本を手にとって下さったなら、この文章を読んで楽になって下さい。
 「まじめに努力していくだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう。知らない事は知らないと言おう。出来ない事は出来ないと言おう。思わせ振りを捨てたならば、人生は意外にも平坦なところらしい。磐の上に、小さな家を築こう。」
 太宰治 「正義と微笑
 

2009-08-23[n年前へ]

努力をしないで、才能がある・ないと言っているのはつまらない 

 「パネルクイズアタック25」の司会者、児玉清が(これまた)25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から(25人の作家の人選もまた素晴らしい)。これは、夢枕獏の言葉と、それに対する児玉清の言葉。

 自分に才能があるかどうかわからないため、努力して努力して、二十四時間をそのことだけのために使う。そうやってようやく神は自分に何を与えたかがわかるわけで、才能を競い合える場所まで行けるのは努力した人間だけです。
 そこまで努力をしないで、才能がある・ないと言っているのはつまらない話ですよね。

2009-09-12[n年前へ]

「99%の努力」を支える「1%の才能」 

 「努力」と「才能」という文字を前にすると、特に、「99%の努力と1%の才能」というような言葉を目にすると、少し考え込んでしまいます。そういうわけで、下の「関連お勧め記事」にあるようなことを書き連ねているのだろう、と思います。

 下に書き写した杉浦日向子の言葉を読んだとき、ふと「なるほど」と思わされました。( 「杉浦日向子の食・道・楽 (新潮文庫) 」中の「体に悪いスポ根」から)

 秀でたスポーツ選手は、1%の才能と99%の努力から成る、といわれる。その、1%の才能こそが、99%の努力を支えるのであって、ベルモット抜きのドライマティーニがありえないように、ほんの微(かす)かな才能の香りすら見いだせなかったら、努力のきっかけもまた得られないではないか。1%が重要なのだ。

 「努力」するか否かが大切だけれども、それでは「努力」をする意思・その意思の支えは何なのだろう?という問いに、あなたならどう答えるでしょうか。

 ちなみに、この「体に悪いスポ根」は、杉浦日向子がスポーツ競技に対し、「運動神経に関し1%の才能もない側」から書いたエッセイです。

 そして、自分は、運痴で良かった、とほっとする。

2009-10-29[n年前へ]

何かを求めるなら、継続するしかありません。 

 (数々のアニメを作成してきたアニメーターである)西澤晋「リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座 (漫画の教科書シリーズ) 」のあとがきから。

 何かを求めるなら、継続するしかありません。到達するべき目標を決めたら、そこにたどり着くためのビジョンをもち、それを毎日地道に実行していくことです。
 本当に求めるものがある人なら、そういう生き方をしてほしいと思います。

 ところで、この本、特にChapter.02の「写実的に描くための画面構成」はとても新鮮で素晴らしい。人が画面(画)を見て無意識に感じることを明晰に解説し、具体的な例を通じて「悪い例」を「良くしていくための対策」を説明してくれる。その素晴らしさについては、いつか書きまとめてみたいと思う。書かれている内容を「消化」し、自分の使い方として「昇華」するには、時間がかかりそうだが、いつか自分なりのやり方で、まとめたいと思う。

2009-11-28[n年前へ]

「やる気になればやれる」という言葉 

 「全集古田足日子どもの本 (第7巻) 」中、「忍術らくだい生」の冒頭に掲げられた言葉から。

だれだって
どんなことだって
やる気になれば やれるさ
その気になれば できるさ
-先生も そういう
-お父さんも そういう
ほんとうだろうか?

 「全集古田足日子どもの本 (第7巻) 」には、「宿題ひきうけ株式会社 」と「忍術らくだい生」が収録されている。いずれも、1960年代に書かれたものだ。

 末尾には、『宿題ひきうけ株式会社』の勇気、と題した鴻上尚史による2ページほどの一文も入っている。

 自分で考えること、自分が自分の意思で自立することの可能性を教えられたと思った。
 この作品は、確かに、ある時代の、まだ希望と未来を堂々と語れた時代の風景にもとづいている。がしかし、そこに提出される『宿題ひきうけ株式会社』のコンセプトは、どんな時代になっても、リアルであり続ける。
 僕は大学時代、小学生の家庭教師をしていた。最後の授業の日、僕はプレゼントとして、この『宿題ひきうけ株式会社』を渡した。
 それは、どんな時代になっても、この作品の勇気を知ってもらいたかったからだ。



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