hirax.net::Keywords::「吉田寮」のブログ



2003-05-21[n年前へ]

鴨川レース 

 あぁ、そーか。吉田寮祭の季節なんだな…。ってことは、6/1(日)の昼には鴨川レースが開催されるのか。京都の街を流れる鴨川(の水の流れの中を)をエッチラオッチラ遡る仮装集団レースが開かれるわけかぁ。
 もうすぐ夏だなぁ。

2006-03-18[n年前へ]

ユングとオウムの物語 

ようこそバーボンハウスへ はてなグループを使った「オウム/アレフの物語」が始まったようだ。はてなグループを使い「物語」を書く、という目的と道具の選び方に、不思議にとても興味を感じる。私は【絵文録ことのは】や氏の書籍を今のところ読んだことがなく、「河上イチローが松永英明さんであった」という件を知るまでは、松永英明さんの名前もよく知らなかった程度なのだが、それでも興味を惹かれた。

 だから、こんなページや、こんなページをはてなブックマーク経由で読み、私は松永英明さんと大学が同窓・同学年だったことに気づいた時には、何だか感慨深い思いに襲われた。大学に入学した頃、何も考えずに京大 吉田寮に「不法占拠者」として入寮した頃、ちょうど昭和の終わりの年の頃が、オウム真理教のチラシが街の電柱や壁に貼られ始めた。麻原彰晃が京大の学園祭に来る3年くらい前だ。

シンクロニシティ - Wikipedia その頃、吉田寮の寮生(=「不法占拠者」)の折衝の相手となる学生部長は、ユング心理学で有名な河合隼雄だった。ユングというと「曼荼羅」な世界観という勝手なイメージがあるのだけれど、曼荼羅(マンダラ)と(オウム関連でよく聞いた)マントラとが音がそっくりだというだけの理由で、私の中ではユングとアサハラショウコウとは同じ引き出しに入っている。そんな理由で、オウムと聞くと、なぜかシンクロニシティ(共時性)なんて言葉が脈絡なく(因果関係もなく)浮かんでくるのだ。なんて、私の引き出しは浅いのだろうか…。

A sleep trance, a dream danceA shared romanceSynchronicity Police "Synchronicity I"
Many miles awaySomething crawls from the slimeAt the bottom of a dark Scottish lake Police "Synchronicity II"

2006-08-19[n年前へ]

河合 隼雄捕捉計画 

 「河合隼雄倒れる

 河合捕捉計画を立てようと作戦会議を開いた。教育学部の戦闘的学友の情報提供もあって河合のスケジュールも把握できた。
 ところが、戦闘的学友は闘争に忙しすぎて授業に出ておらず、河合の顔が分からないという。
 そもそも吉田寮生は授業にほとんど出ない。仕方なく図書館で河合の著書を借り出し、後ろの方に載っていた著者プロフィールの顔写真をコピーして回した。ものすごく粒子の粗いコピーで、人相はよく分からない代物だった。

「おっとせい日記」2006/08/19 土

2009-09-24[n年前へ]

銭湯大好き 

 陽(ひ)が差す時間に銭湯に入るのが好きだ。まだ夕刻にならない時間に入る銭湯に入ると、まさに「至福」という言葉に浸(ひた)っているような心地になる。そんな言葉が体に浸(し)み入ってくるように思う。

 大学に入った頃、絵に描いたような、自由ならぬ自堕落な生活を送っていた。高校時代も、かなり「自由ならぬ自堕落」な生活を送っていたと思うのだが、その何十倍もの自由と自堕落を満喫していた。

 太陽が昇り、学生たちがキャンパスにやってくる頃、布団に入る。キャンパスの中にある寮だったが、別にキャンパスの中になくても全然不便でないし、仮に(大学から遠く離れた)網走に寮が建っていたとしても、きっと困らなかったと思う。そして、目が覚めると、太陽が傾く15時過ぎになっていて、16時から開く100円銭湯に行き、一番風呂を堪能する。

 主観的な朝風呂を(堪能した後に)あがるころには、客観的には西の空に太陽が沈む夕焼けの時刻になっている。そして、長い夜(主観的には昼)が始まる。そんな昼夜逆転しがちな時空に浮かんでいるのが、京大吉田寮という「島」だった(参考:河合隼雄捕捉計画)。

 あの頃から、明るい時間に風呂に入り、そして昼間の風に火照った体を冷やされるのが好きになった。銭湯のおっさん・おじいさんの世間話をBGMに聞きながら(明るい時間に風呂に入りに来るのは、そういう年代が多いのだ)、むちゃくちゃ熱い風呂に入るのが気持ち良くなった。銭湯の一番風呂は、熱湯風呂にも負けず劣らずな熱い風呂なのが普通だ。

 というわけで、今日は、自転車で明るい太陽の下を走る途中に、伊豆長岡温泉の共同浴場、湯らっくすに漬(つか)かってきた。ここは熱さ直球勝負の風呂が自慢の共同浴場だ。もちろん、周りのおじさん・おじいさんたちの話も面白い。漁仕事を終えたおっさんたちの話は、とても楽しく聞き惚れてしまう。

 ピリピリ熱い風呂に漬(つ)かり、その湯を堪能した後、洗い場の横にある縁側で秋の涼しい風に吹かれる。そして、温泉街の上に広がる青い空を見上げる。この時間を、「至福」を言わずして何と言おうか。

2009-11-11[n年前へ]

「河合隼雄」と「吉田寮」と「ボーイズラブ」 

 「河合隼雄―こころの処方箋を求めて (KAWADE夢ムック)」を読んでいて、「はて?」と首をかしげたのがこの部分。

 それから僕は1988年に60歳になったんですが、還暦祝いに1年遊ぼうと思って京大の学生部長になったんです。京都大学には吉田寮というのがあって、みんな金も払わず名前も言わずに20年以上ずっと入っていたんですが、それを僕が学生部長になって1年半で解決したんです。このときも学生さんとよく団交なんかをやりました。
 その頃、確か寮費として400円/月を払っていた(が、大学が受け取らなかったので積み立てていた)ような気がする。「団交」もあったが、同時に、茶碗に日本酒が入っていた「会合」もあったような気もする。
 河合捕捉計画を立てようと作戦会議を開いた。教育学部の戦闘的学友の情報提供もあって河合のスケジュールも把握できた。
 ところが、戦闘的学友は闘争に忙しすぎて授業に出ておらず、河合の顔が分からないという。そもそも吉田寮生は授業にほとんど出ない。
仕方なく図書館で河合の著書を借り出し、後ろの方に載っていた著者プロフィールの顔写真をコピーして回した。ものすごく粒子の粗いコピーで、人相はよく分からない代物だった。

「おっとせい日記」 2006/08/19 土

 ちなみに、もっとびっくりしたのが、かわいゆみこ「猫の遊ぶ庭 (ショコラノベルス) 」という新書。

 今年K大の院に進学する織田和祐は入居予定だった下宿が取り壊されてしまい、やむなく吉田寮に住むことに。この吉田寮、過激派が住むだの、幽霊が住むだのと言われるほどの尋常ならざるところだった。寮生も変わり者ばかりで、これからの生活に不安を覚える織田だったが、そこでまるで蒸留水を飲んで育ったかのような涼やかな青年と出会う。寮内で唯一まともそうなその青年、杜司篁嗣にすっかり魅せられ、親しくなろうと必死になるが…。
 ノンケも非ノンケも普通にいたと思うが、こんな本が出ていて、偶然作者「かわいゆみこ」の名字が同じ「かわい」だということが、何だか河合隼雄ならぬユング心理学のシンクロニシティっぽく新鮮で面白い。



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