hirax.net::Keywords::「図書館」のブログ



2006-07-20[n年前へ]

「WEB日記」 

 from n年前へ.

ネット上のニュースを流し読みしがちな自分を反省しつつ、図書館へ行きドンキホーテを手に取る。が、その本のあまりの厚さに衝撃を受けパラパラと流し読みして本棚に戻す。
ハムレットは日記を書くだろう。ドンキホーテは日記を書かない。
バブルの逆襲、サイト閉鎖。

2006-08-19[n年前へ]

河合 隼雄捕捉計画 

 「河合隼雄倒れる

 河合捕捉計画を立てようと作戦会議を開いた。教育学部の戦闘的学友の情報提供もあって河合のスケジュールも把握できた。
 ところが、戦闘的学友は闘争に忙しすぎて授業に出ておらず、河合の顔が分からないという。
 そもそも吉田寮生は授業にほとんど出ない。仕方なく図書館で河合の著書を借り出し、後ろの方に載っていた著者プロフィールの顔写真をコピーして回した。ものすごく粒子の粗いコピーで、人相はよく分からない代物だった。

「おっとせい日記」2006/08/19 土

2007-05-06[n年前へ]

「送籍」と「名前」 

 図書館は5階建てだが、人でにぎわっているのは1階だけだ。少し前に出版された本が置いてある2階より上には、ほとんど人がいない。人がいない2階で、無意識のうちに1冊の文庫本を手に取っていた。本を手に取ったのは、本当に無意識の一瞬のことで、気づいたら書庫から本を抜き出していたというのが的確なところである。その本を手に取った理由をあえてつけるなら、その本が「コロンブスの卵」という名前で、ちくま文庫だったからだと思う。「コロンブスの卵」という題名は科学的・工学的なものを感じさせるし、ちくま文庫はとても読みやすい文字レイアウトだという感覚が意識の底に染みついていたからに違いない。

 その本を抜き出すと同時に本の頁を開いた途端、少し驚いた。開いた頁に、「徴兵忌避者としての夏目漱石」という考察が綴られていたからだ。「展望」の昭和44年6月号に掲載されたという、丸谷才一の「徴兵忌避者としての夏目漱石」がそこに載っていたのである。前から読みたいとは思っていても読むには至らず、しかし内容が気になり数日前にも関連記事をブックマークしたりした、それらの記事の源流がそこにいきなり出現したので、驚いたのである。

 私の友人で送籍という男が「一夜」という短編を書きましたが…
1905年 「吾輩は猫である」
 

 これまで、半藤一利や北村薫の著作など、漱石の名前の由来を巡る話として「徴兵忌避者としての夏目漱石」の名前を出したものを読んでいた。しかし、「徴兵忌避者としての夏目漱石」は、徴兵忌避のために漱石が北海道へ籍を移した(送籍)ことが、漱石の神経衰弱の大きな理由になっていて、徴兵忌避の自責という視点から眺めてみれば、「こころ」の不可解な結末(乃木大将が出てくる必然性)も納得できる、という内容だった。漱石という名前が、「負け惜しみが強い」という意味の「石に漱ぎ流れに枕す」だけでなく、「送籍」をも意味するのではないかというような内容は、「徴兵忌避者としての夏目漱石」では書かれておらず、あくまで「こころ」に至るまでの背景・構造解説に集約された内容だった。

 「徴兵忌避者としての夏目漱石」の内容はとても自然なものだっただけれど、それとは別の、自然ではない「漱石の名前の由来を巡る話」にも、やはり興味を惹かれる。夏目漱石が最初に漱石という名前を使ったのは、1889年5月の「七艸集」上であって、漱石が(徴兵忌避が可能な)北海道へと本籍を送籍したのは、その3年後の1892年4月であるから、夏目「漱石」という名前の第一の由来は「送籍」ではないのだろう。しかし、漱石の最初の小説「我輩は猫である」で、自分自身を「送籍」という名前で語っているのだから、やはり自身の送籍を意識していたに違いない。

 「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡に送籍君を打ち留めた。
1905年 「吾輩は猫である」

 「籍」は名前と住所のデータベースだ。英語で言い換えれば、レジストリである。Windows ユーザが日々悩まされているWindowsレジストリなら、名前と値が階層構造で格納されたものだ。名前などを鍵(キー)にしてそのデータベースを呼べば、値など必要な全ての情報が得られるわけである。籍を移動することで固定されない浮いた状態にしてしまう「送籍」ということからは、「名前が無い・固定できない動的なもの」を連想してしまう。

 小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしとして暮したい希望を持つております
1911年

「無名関数」と「吾輩は猫である」  博士号拒否の際に自身を「ただの夏目なにがしでいたい」と書いた夏目漱石は、その「なにがし」の部分を一つの明らかな言葉で置き換えること、すなわち自身を名付けることはできなかったのではないか、と想像する。この「なにがし」は、博士号という冠・名前を軽く扱う表現上のトリックであると同時に、実は「なにがし」の部分は、漱石にはこのように表現することしかできなかったのではないだろうか。本名の金之助をここに入れることは、もとより忌み嫌っただろうし、それが「漱石」という号であっても、一つの固定した意味しか持たない限りは、ここで使うには至らなかったかもしれない。何かを書くことで自身を作っていくことはできても、その自身にふさわしい名前を付けることは非常に困難なことだったのではないだろうか。関数の中身を長く書き続けることはできても、その関数を「短い言葉」で表現することは不可能だったのかもしれない、とふと思う。

 私はその人をつねに先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
1914年 「こヽろ」
(dekirukana9/registry)

2007-07-02[n年前へ]

ニュートンと旧約聖書(科学と魔術) 

 ニュートン(1642-1727)が、旧約聖書のダニエル書をもとに「西暦2060年以降に世界の終わりが来るかもしれないが、それ以前に終わる理由は見つからない」と書いた文書がヘブライ大図書館に保管されていて、その文章が18日から公開されているという記事を見た。

 小山慶太が10年前に書いた「神さまはサイコロ遊びをしたか—「宇宙の法則」に挑んだ人々(講談社学術文庫)」で、「心臓と血液の運動(1628)」を書いた近代生理学の創設者ハーヴィ、「学問の進歩(1605)」を書いたベーコン、彼ら17世紀の科学思想の巨人らを指して、こう書いていたことを思い出す。

 後に科学と呼ばれるようになる知的営みの原型と、それと相反する迷信とみなされる魔術が、彼らの頭の中で同居していたことは、我々の目にいかに奇妙に映ろうとも、まぎれもない事実である。 それが歴史の複雑さであり、そして自然を理解しようとする人間の精神の複雑さであった。 「神さまはサイコロ遊びをしたか」一章 ケプラーと魔女 (P.25)

2007-07-20[n年前へ]

ラプラス方程式とドンキホーテ 

 from n年前へ.

 ラプラス方程式を差分化して、エクセルで静電界計算をしているところ。
 これは、2007年の昨日にも、同じ品川で見た景色。
ドンキホーテは、自分が何を行っているか、知っていたのだ。知っていながら、人を楽しませていたのである。
 善人の数だけ悪人が必要なように、謙虚な人の数だけ思い上がった人が必要なのだ。
 奴隷の数だけ主人が必要になるように、賢い人の数だけ馬鹿が必要なのだろうか。何だかカネゴンは生きることを許してもらったような心持ち
 ネット上のニュースを流し読みしがちな自分を反省しつつ、図書館へ行き「ドンキホーテ」を手に取ってみる。けれど、その本のあまりの厚さに衝撃を受けパラパラと流し読みして本棚に戻す。
 ハムレットは日記を書くだろう。ドンキホーテは日記を書かない。
 枝に言葉を書き込みます。あなたの言葉を枝葉にして樹が育ってゆきます。参加者が増えると葉がどんどん増え、「 エコトノハ 」の樹は大きな言葉の樹に育っていきます。 そして、「 エコトノハ 」プロジェクトで育った樹木は、書き込まれた葉100枚(100クリック)を、植林1本分として換算し、オーストラリアカンガルー島での植林計画にプラスされていきます。



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