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2011-03-14[n年前へ]

二十世紀の科学的・合理的な文明国民の愛国心 

 寺田寅彦「天災と国防」から。

 人類が進歩するにしたがって、愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。
 砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのも、確かに尊い大和魂であるが、(中略)二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露には、もう少しちがった、もう少し合理的なやり方があるべきではないか、と思う。

(昭和九年十一月、経済往来)

2011-03-17[n年前へ]

「我々に必要な科学」 

 高木仁三郎(*)が「人間の顔をした科学 」中で、「火山を噴火させることで人を豊かにしよう」とする物語、岩手県花巻に暮らした宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」をひきつつ、そして宮沢賢治が書いた「我々はどんな方法で、我々に必要な科学を、我々のものにできるか」という言葉をひきつつ綴ったもの。

 「グスコーブドリの伝記」や「雨ニモマケズ」など、(宮沢)賢治との出会いが始まったころ、私自身は核化学の研究者として、死の灰(核実験による放射性降下物)による環境の放射能汚染という問題にぶつかり、どう取り組んでいいか悩んでいました。
日照りの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き。
…そういうものに私はなりたい。
 その時から二十数年経って、臨界事故に接して人びとがオロオロしているのに対して、私たちがこの視点から情報を発信したり、分析したりすることに意味があると思っているわけですが、私はこの確信はあながち間違いではなかったと痛感するわけです。


*高木 仁三郎:1938年群馬県生まれ。1961年東京大学理学部化学科卒。日本原子力事業NAIG総合研究所、東京大学原子核研究所助手、東京都立大学理学部助教授、マックス・プランク研究所研究員等を経て、1975年原子力資料情報室設立に参加。1987年原子力資料情報室代表(98年まで)。1998年高木学校設立を呼びかけ、校長に。2000年10月8日逝去。専攻は原子核化学(理学博士)。

2011-03-28[n年前へ]

「ビルの階数」と「エレベータが停まる回数」で「乗り込んだ人たちが”およそ”何人連れ」なのかがわかるの法則 

 「ビルの階数」と「エレベータに並ぶ人数」でエレベータが停まる回数がわかるの法則 で登場したのが、こんな法則です。

 M階のビル(の一階)で、エレベータの前にN人が並んでいるならば(そのN人がエレベータに乗り込むならば)、平均的に、エレベータが停まる「階の数」は
M ( 1- ( (M-1)/M )^N )
と表されます。

 たとえば、お昼間近のデパートやオフィスビルのエレベータに実際に乗り込んで、「エレベータに乗り込んだ人数」と「エレベータが止まる階の数」を眺め・調査してみると、この法則よりも「エレベータが停まる階の数」はかなり少ないことに気づきます。それは、エレベータに乗り込んでいる人たちの中には「一緒に行動する”グループ”」がいるからです。たとえば、エレベータの中に10人いたとしても、それが5人家族×2組だったとしたら、この法則の「人数」Nには10でなく2を入れ込んでやらなければならないからです。

 …ということは、ビルの階数」と「エレベータに並ぶ人数」でエレベータが停まる回数がわかるの法則 は、「ビルの階数(M)」と「エレベータが停まる回数(F)」で「乗り込んだ人たちが”およそ”何人連れ(N)」なのかがわかるの法則、と見ることもできます。

 つまり、M階建てのビルの一階でエレベータに乗り込んだら、素早く人数(N人)を数えた上で、(エレベータが止まることを示す)点灯したボタンの数(F)を眺めれば、

G=N / (log(F/M) / log( 1- ( (M-1)/M )))
という式を使うことで「フムフム、この人たちは”およそ”G人連れなんだろうな」などと推理すれば良い、というわけです。

 エレベータという密室中に乗り込んだ人たちが、連れ同士が言葉を一言も交わすことがなかったとしても、こんな「法則」のごとく統計・数学的な推理をすることができます。日常生活の中には、こんなミステリーが満ちあふれていて、開花を待つ桜の蕾(つぼみ)のように、解き明かされる瞬間を待ちわびているような気がします。

2011-04-18[n年前へ]

「南国のドラえもん」と「四次元ポケット」 

 一年前、占拠状態の街にいるドラえもんを不思議な心地で眺めていました。たくさんの赤と若干の黒シャツを着た人たちが溢れる占拠地の中心集会所地区で、重要個所を守る警備員も(占拠地帯で占拠を続ける親戚たちと共に遊ぶ)こどもたちも、どちらも同じようにドラえもん銃を持ち、同じように気まぐれに水鉄砲をこっちに向けて、水をピューっと掛けてきたりします。

 灼熱の太陽の下で、熱せられたコンクリートの上に座り込みを続ける人たちをずっと眺めていると、興味深いことに気づきます。地球が回り、太陽が空を動く…その動きにしたがって横断歩道やビルの陰は少しづつ動いていきます。そして、彼らは灼熱の太陽の下ではなくて動くビルの陰の上にいて、少しづつ動く陰と同じように彼らは座り込む場所を動かしていくのです。建物の陰がちょっと動くと、その陰に座る人たちもちょっと座る位置を変えていき、そして数時間も経てば、みな全然違う場所に座りこみをしているのでした。

 街を眺めれば、いたるところにドラえもんがいます。町中に溢れ・人を眺める仏像のように、たくさんのドラえもんたちが人々の中に溢れていました。そのドラえもんを印象深く感じながら、表現する言葉を見つけられないままに、一年経ってしまいました。

 今、あの南国からドラえもんが日本に帰ってきたとしたら、四次元ポケットからどんなものをとり出すのだろう、と考えます。色々なものが現れた後で、四次元ポケットに残ったただひとつのものは、もしかしたら「希望」という名前なのかもしれないとも、ふと思います。

「灼熱の太陽」と「水鉄砲」 「灼熱の太陽」と「水鉄砲」 「灼熱の太陽」と「水鉄砲」 「灼熱の太陽」と「水鉄砲」 






2011-05-01[n年前へ]

「客観的な事実」と「自らの狭い主観」との違い 

 新多昭二「日本陸軍の殺人光線開発計画」から。

 ビスマルクは、『賢者は歴史から学び、愚者は経験からしか学ばない』、といってるが、客観的な巾広い事実と、自らの狭い体験のみから得た主観との違いを戒めているという点で、けだし名言といえるな。
 理性と感性の差かも知れない。同じ戦争体験でも、理性的判断を基礎にした客観的事実を遺せば、後年貴重な歴史の語り部になるし、単なる感情の吐露に終われば、せまい個人体験に終わってしまうからね。

 ラヂオという言葉が好きで、科学技術が好きで、そして過去や現在から未来へ続く可能性が好きなあなたなら、「広島生まれ・京都帝国大学工学部・戦時科学研究養成機関卒業。陸軍登戸研究所勤務後、京都帝大工学部電気工学教室勤務。…」という新多昭二が書いた「秘話 陸軍登戸研究所の青春 (講談社文庫)」を一度手にとれば、文庫本サイズに凝縮された「知恵と笑いの預言書」に絶対ハマること間違いありません。

 帝銀事件で世に知られることになった陸軍登戸研究所のことだけでなく、明治幕末からパロアルトの情報工学まで、なんて濃い人生があるのだろうと驚かされます。

 「賢者愚に学び、愚者賢に学ばず」ということわざがあるが、どこをどう探し回っても、高慢な賢者や謙虚な愚者にはお目にかからない。愚かさは高慢と同居しているのが常である。

秘話 陸軍登戸研究所の青春」 おわりに

 「賢者は歴史から学び、愚者は経験からしか学ばない」かつ「賢者愚に学び、愚者賢に学ばず」のであれば、…もしかしたら「愚であり賢である事実」が「歴史」と呼ばれるものなのかもしれません。



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