hirax.net::Keywords::「自動化」のブログ



2010-02-15[n年前へ]

AutoHotkey 日本語情報 

 Windowsの各種作業の自動化・キー入れ操作設定・入れ替えなどを行うことができたAutoHotkey(派生版)の日本語情報解説を行っていた「AutoHotkeyを流行らせるページ」で、(冗談なのでしょうか、タイトルも変わっており)下記のように書かれています。

 現在開発中のJavaScriptベースのユーティリティ系スクリプトホスト「NILScript」の普及を目指すため、御覧の「AutoHotkeyを流行らせるページ」のコンテンツは、近々抹消される予定です。
 AutoHotKey ユーザは、ドキュメント類をダウンロードするか、wgetしておくと良いかもしれません。

2010-03-18[n年前へ]

「バッチの実行結果をGmailでメール送信するrubyスクリプト」 

 「バッチの実行結果をGmailでメール送信するrubyスクリプト

こちらを参考にさせてもらって作りました。 一応ブログにもあげておきます。
使い方
echo "ほげほげ~" | ruby send-gmail.rb
こんな感じで標準出力をメールでぶん投げる感じ。

2011-01-15[n年前へ]

「いつも思考し創造的仕事をする」という非人間性 

 「現代科学思想事典 (講談社現代新書) 」中に収録されている、中山秀太郎「オートメーションへの錯覚」から。

 骨の折れるくりかえしの単純労働は人間のやるべき仕事ではない。創造的仕事こそ、人間のする仕事であるということがいわれ、自動化へと進み、ホテルの入り口のドアまで自動化された。はたして単純労働は人間のやるべき仕事ではないか。いつも思考し、創造的仕事をするのが人間性回復なのか。人間も動物である。動物は、単純労働も必要であるし、それがまた創造性を助けることにもなる。

中山秀太郎

2011-08-30[n年前へ]

水中版”自動掃除機ルンバ”ともいうべき「プール自動清掃マシン」 

 自動で部屋のお掃除をしてくれる機械「掃除機ルンバ」が人気を集めています。ルンバが部屋を掃除して回るようすも、眺めているだけで何だか楽しくさせられますが、下に貼り付けた動画「水中版ルンバ(のようなもの)」を見れば、この水中版ルンバ(のようなもの)にも、また同時に、とてもワクワクさせられるのではないでしょうか。

 これは、プールの底の端から端まで自動で動き、動きながらプール底のゴミを集め・吸収する機械が(人知れず)働いているさまを撮影した動画です。

 プールというのは「水を入れ替える量を、比較的、少なくしたお風呂」のようなものですから、水を入れ替えないお風呂の水はすぐに汚れ・底にはゴミが溜まってしまったりします。そんなプールの汚れを防止するために、今ではロボット(自動掃除機)が人知れず活躍するような時代になっています。

 暑さから逃れるために「プール」に行くロボット好きな人がいたならば、そのプールを綺麗に保ち続けている陰の立て役者たちを眺めてみると、新鮮に楽しくことができるのではないでしょうか。

2012-10-30[n年前へ]

未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」 

 お手軽に使うことができ・それでいて高機能なスクリプト言語を使うようになった頃から、少し「難しいな」と思う感じる状況が増え始めました。

 たとえば、何かのデータ処理や解析を人に依頼しようとした時、その「したいこと」を説明するには「処理作業を書く」のが一番楽で…けれど、その処理作業を書いてしまったなら(その作業を人にお願いするまでもなく)「体力溢れるコンピュータが(やりたい)実作業をしてくれる」ので、そもそも人に頼む作業とやらが目の前から消え失せてしまうのです。

 自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。

グライダー能力

 今日、ふと、未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」だけかもしれない…と考えました。

 「ニッチで・けれど高価なものを作る人」が残る…というのは、ニッチなもの、少数しか必要とされないものを作るには「機械」「自動化される何か」より「人」の方がコストが安いので、未来もきっと残るだろう…という理由です。

 そして、「プログラミング言語・環境開発者」が生き残るだろう…というのは、以前川合史郎さんが書かれたことに、少しだけ似ています。

 自分の子供の世代になると、「プログラムが書ける」というのは「文章が書ける」のと 同じくらいの基本的なリテラシーになるんじゃないかと思う。その時の「プログラミング」 は今より広い概念だろうけれど。

広義のプログラミング
「プログラミングという作業を単純で基本的で、つまり誰でも可能なものにする」というための「プログラミング言語・環境開発者」は、未来には、当たり前のように存在しているのではないか、それープログラミング環境ーは今の文房具のような存在になっているのではないか?と思うのです。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPO で丸山宏さんの講演を聴いたからです。丸山さんが話す「大規模データ解析」の話を聴きながら、たとえば「流行を感じつつ番組企画や雑誌特集記事を考えるという作業や、経験に沿って故障原因を探っていく保守作業や、人の動きを読み営業計画を立てる事業作成、はたまた誰かの指示に従ってプログラムを書く…といった色々な仕事・作業」は、未来には「マシン」にとってかわられているだろう…と感じたことがきっかけです。

 ここで言う「マシン」は、「調べる」「知る」「行う」作業を指し示す「何か」により作り出され・動く「何か」、です。「マシン」は「(後者の)何か」で、そして、「プログラミング言語・環境」が「(前者の)何か」です。

 近い…といっても二十年くらい先の未来、大量に作る物は(それが日常生活で消費する物品でもメディアでも)、それらは人ではない「マシン」が作り出し、人は「ニッチで・けれど高価なもの」だけを作っているのかもしれないと、ふと考えました。けれど、そんな「マス」と「ニッチ」のバランスでは、人の世界は成り立ちそうにもないな…と思います。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPOという「プログラミング・処理環境」のベンダーが主催する「場所」でした。

 人間は、決してあきらめてはならない。

「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック



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