2008-12-05[n年前へ]
■希望と挫折の「やさぐれたメルヘン」
「私も安心だよと言って欲しい。私も大丈夫だよと言われたい。(けれど)それはもう自分でやらなければいけない事で、まだ子供の私はそれを誰かがしてくれるのを待ってばかりいた」
「あの頃の私の所にちょっとだけ行って、絶対信じないだろうけどあんたの人生、これからちょっとちょっと楽しいよって教えてあげたい」 この作品(西原理恵子の「上京ものがたり」)のテーマは、上に挙げた二つのモノローグに集約されている。
紀田伊輔 希望と挫折の「やさぐれたメルヘン」
'05.01.20 P.129
2008-12-15[n年前へ]
■この世でいちばん大事な「カネ」の話
西原理恵子の「この世でいちばん大事な「カネ」の話」を読んだ。西原理恵子の叙情的なマンガを、「ぼくんち」「うつくしいのはら」を生んだモチーフ、そんなマンガの底にあるモチーフが訥々と語られている。
文字が大きい本だから、あっという間に読めてしまうかもしれないけれど、読んでいる本をふと汚してしまったり、やっぱり一人部屋で読んでみたくなったりするかもしれないから、買ってみても良いかもしれない。
才能なんて、だから天賦のものではなくて、ほとんどあとからもらったものだと思う。
でも、そんなにも劣悪で、人生に対する諦めだけを教えられる環境に生まれても、なお、自分で自分の人生をつくろうとする子どもがいる。
なぜ、その子に、そんなことができたんだと思う?
「希望」を諦めてしまうことを、しなかったから。
2008-12-26[n年前へ]
■「田舎の湾」と「西原理恵子」と「寺田寅彦」
山に囲まれた場所に住んでいると、その山の高さや存在感を強く感じる。空を囲む山々が見せる色の変化で、季節や日々の時間を感じる。そして、海辺に住んでいると、海の色や空の色、あるいは、海の向こうに霞んで見える山の色から、そんな移ろいを感じる。
西原理恵子のマンガには、よく高知の浦戸で見ただろう海の景色が描かれる。時には言葉で、時には淡いけれど鮮やかな色の絵で、浦戸の景色が描かれる。
おねえちゃん、今日の船、
誰か知ってる人のってんの?
ねえちゃんとボクは手をふった。
西原理恵子 「ぼくんち 」
そんな浦戸の海の景色を、寺田寅彦も同じような言葉を綴る。寺田寅彦と若くして結婚し、浦戸湾口の種崎海岸で療養していた夏子を思い浮かべながら、同じようなことを書いている。船の上からの視点で、こんな言葉を書く。
種崎の方の岸に見ておるらしき女夏に似たり
寺田寅彦 日記 明治34年11月25日
浜を見たけれど、約束の人見えず寅彦自身が療養していた須崎と高知の実家を、寅彦が船で行き来する時には、浦戸湾先の海岸にいる夏子に手紙を書いて知らせ、手を振り合ったという。
寺田寅彦 日記 明治35年1月19日
海と山に囲まれている町に住んだりすると、寅彦が書く文章や西原理恵子が描く景色が、写真以上に写実的に見えてくる。そんな浦戸の海辺の景色をいつか見に行ってみたいと思う。太平洋に面した広い海原と、穏やかな湾の水面を眺め、海と空と岬の色を眺めてみたい、と思う。
船からは
みかんの花みたいにちいさい手が
ぴらぴらするのがみえて、
みんな自分の一番好きな人と
まちがえてるんだろうと思う。
西原理恵子 「ぼくんち 」
2009-05-24[n年前へ]
■「この世はわからない事だらけです。」
「毎日かあさん 5 黒潮家族編 」から。
私と鴨ちゃんは8年前ミャンマーで出家した。
アジア中を旅した内 ミャンマー人が一番信心深かったように思う。
彼はここでピーニャソーダ(聡明なる者)という名をもらった。
だから位牌に戒名がない。
あの寺院にもっていってパーリー語で彼の名前を入れてもらうつもりだ。。
寺から出た高僧が力車を引きながら
「この世はわからない事だらけです。」と言っていた。
2009-06-13[n年前へ]
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