2009-11-03[n年前へ]
■プラ部品と軽量金属の「重さ=コスト」という方程式の意味の違い
以前書いた記事「純正A-bike より 8インチ空気タイヤ版 A-bicycle の方が断然イイ!の不思議」では、少し情報が書き足りなかったかもしれませんので、松浦晋也さんが書かれた記事にさらに少し補足しておきます。私が買ったA-bikeモドキは、、記事を書く前に「体重計」で実測した限り5.5kgを少し超える程度でした。というわけで、7.5kgというものではありません。
プラスチックを使った”大量”生産格安品では、重量=材料費=コスト、という方程式が成り立つことが多いでしょうし(これが、軽量金属を用いることが多い業界では全く別の意味を持ちそうですが)、パッチモノメーカが耐久性にもとづく(長い期間かかって築くであろう)信頼性というものを重要視するかどうかは怪しいような気がしますから、(あくまでプラスチック大量生産業界においては)パッチモノ・メーカが剛性を求めるために、わざわざ重量増加をさせる、ということは少ないのではないか、と想像します。…もちろん、そう想像はしますが、実際に色々買って現物を確かめてみたわけではないので、これはあくまで妄想に過ぎません。
現物を触って・確かめてナンボ、ということが世の中には多いので、こんな風に想像だけで話をしてみても、間違っている可能性が高そうです。
ところで、実際のところ「純正A-bike より 8インチ空気タイヤ版 A-bicycle の方が断然イイ」は不思議でも何でもありませんでした。端的なのが、「パッチモンのプラ部品構造」と「純性A-bikeのプラ部品構造」の違いです。材料自体の強度に仮に差があったとしても、純正品の「プラ部品部分の構造・作り」はちょっと今一つだよなぁ・・・と、その場にいた人がみな首を一斉に傾けてしまったからです。
それに加えて、パッチモンのシートシャフトと全部を繋ぐプラ部品には、内部にリブが形成され剛性を確保しているのに対し、純正品にはそのようなリブはなかった。つまり、単なるU字断面構造の強化プラスチックである。そこで、ためしにその部分を握ってみると、純正品ではグニッと変形するするのに対し、パッチモンの方は変形しない。材料自体の硬さは違うのかもしれないけれども、作りが違うせいか、力をかけたときの変形具合が違う。もちろん、変形が大きいのは純正品の方である。材料は重要でしょうが、せめてプラ部品には適切なリブを付けて剛性をアップさせるべきだよなぁ…と、純正品とパッチモノを実際に比べ見ながら、その時何人かで言いあったのでした。
ところで、私のA-bikeはギアが壊れたままです。一体いつになったら、直すことができるでしょうか…。
2010-07-15[n年前へ]
■「凄いもの」を作る側に立て
「Fast&Firstの blog風」から。
大規模集積回路 LSIがある。従来は単純ロジックを組み合わせながら作っていた回路が、今は専用IC一つでできてしまう。エンジニアは回路設計する事をせず、仕様書を読んで配線を繋ぐだけだ。
しかし、そんな便利なLSIを設計する人も存在する。宮崎氏の言うのは、LSIを便利だ凄いぞと崇(あがめ)ている側ではなく、その凄いものを作る側に立てと。
2010-09-22[n年前へ]
■「すること」を考えることと、「その実装」を考えることと、「大量生産する」こと、と
「目から鱗」という言葉があります。そんなことを感じた時のひとつに、「(実装の仕方はわかるけれど)、何をどう作るかという根本的ななことは、私にはわからない」という言葉を聞いた時があります。その言葉を発したのは、あるMachカーネルのOS日本語版作成をカリフォルニアで作成した人でしたから、その言葉を聞いた瞬間少し意外に感じました。けれど、その人が何を言っていたか、少しだけ、わかるような気もしました。それは、「すること」を考えることと、「その実装」を考えることは必ずしも同じことではない、ということです。あるいは、そのふたつを同時に行うことができる人も(まれには)いるけれど、多くの場合は、その片方しかできないということでした。
「すること」を考え・作り出すためには、今ならば、数学か物理を自由に扱うことができないといけないようにも想像しますし、「その実装」を考え・作り出すには、(ある程度の数学と)プログラミング能力が必要とされるような気もします。そのどちらか片方が難しい・簡単ということはないのだろう、と想像します。それぞれのことが「できる」ようになるためには、きっとかなりの時間を必要とすることなのだろうと思います。それは、(設計から製造までの各過程をできる人の比率こそ違うかもしれませんが)機構・機械システム作成でも言えることかもしれません。
自分が何をしたいのかということと、世の中が何を求めているのかということと、そして、自分が何をできるのか、という3つの力のバランスで、そんなコックリさん的な解として、どんな道を選ぶかが決まるのだろうか、と思います。かといって、そんな三体問題には一般解はないわけで、結局のところ、自分の気持ち次第というのが本当のところ、かもしれません。
何にせよ、作りだしたものがすべて、というひとつの基準で判断されることなのかもしれませんが…。
2012-02-16[n年前へ]
■「教室の黒板を夕日が照らす」のは「マンガの中だけの話」です!?
学生の可能性を可能にするポータルサイト ワンダーノーツに「教室の黒板を夕日が照らす」のは「マンガの中だけの話」です!?を書きました。
「夕日が(今日の”日直”の名前が書かれた)教室の黒板を照らす」という風景は、マンガなどでよく描かれそうなノスタルジックな景色です。 …しかし、そんな「夕日に照らされた黒板」は、現実には(あまり)存在しない風景です。 なぜなら、学校の(多くの)教室は、黒板に夕日が当たることがない向きで作られているからです。
100年以上前の明治28年、当時の文部省が「学校建築図説明及設計大要」というものを発行しました。 これは、学校を作る際には「こういう風に作りなさい」という指導書です。 この「学校建築図説明及設計大要」では、(特殊な教室でない)普通教室について、次のように「教室・窓の向き」が決められています。
2012-05-14[n年前へ]
■1m離れ30μmの「大きさ」が見えたら…視力10と呼ぶのです!?
スギ花粉は、およそ直径30μm(マイクロメートル)です。つまり、直径0.5mmのシャーペンの芯の1/10の大きさです。
そのスギ花粉の「大きさ」を、1m離れたところから見ることができる人はいません(存在を見ることはできます)。何しろ、それを(ランドルト環で計る)「視力」に換算すると、視力「10」というビックリ数値になるくらいです。
身の回りに視力検査で視力10になったという人がいる…なんてことはありません。「ありえない」ということは、細かな数値を調べるまでもなく、目の大きさや光の波長を思い浮かべるだけで、実に当り前の話です。
アップルによれば、人間の目の解像度では、1メートル離れた直径30マイクロメートル以下のものを見ることができないという。”アップルによれば…という” …この「という」”という”言葉は便利かもしれません。しかし、そんな便利な頻出語句を使うことで書き手が何の理解も消化もしないままに書かれてしまった記事が積み重なっていくことは、デザイン(設計)というものを考える人たち(そうなるかもしれない可能性がある人たち)にとっては、少し残念なことだと思います。
日経BPデザイン『実は「だましのテクニック」を利用しているiPhoneのデザイン』