2007-09-12[n年前へ]
■「理系」と「希望」
『理系ってどういう人かなぁ?』って聞いたらずっと海を眺めている人の荷物に目がいく。ビニール袋と紙袋をまとめ、その荷物の近くで海を眺めてる。紙袋の一番上にはくまのぬいぐるみが入ってる。
最終回の仮題は「希望」です。これまで「満足・価値・魅力・選択肢・感情・技術革新」といったことを聞いてきたつもりですが、その最後は、やはり「希望」です。希望という文字を見ると、いつも「希ガス…」という変な文末が目に浮かぶ。もう少し言い換えれば、いつも「希ガス…」という変な文末を連想するような「気がする」…。
ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。迷うの語源を検索すると、迷う=真酔うだと書いてある。そして、「迷える者は、道を訊かない」という言葉を読む。
科学者たちは魂の力も電気や磁力とおんなじようなものであるという、まことしとやかなおとぎばなしをつくります。どんな道でも人は途中で必ず迷い、そして、迷える者は道を訊かないのだとしたら、道を聞こうとする人は道に迷っていない人で、地を聞かない人は迷っている人だということなのだろうか。それとも、単にその瞬間に迷っていない人だということなのだろうか。
大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。そんな論理を考えようとしても、わからないことばかりだ。迷える者は道を訊かないという論理と同じフレイズを繰り返すなら、わからない時には人は訊くことをしないのだろうか。
海辺には色んな人たちが住んでいる。松林の中に場所を作っている人もいるし、廃車を家にしている人もいる。この小さな町は、それでも人に優しい。雨をしのぐことができる「私有地でない場所」から人を排除することはない。人が日々を過ごす場所から、その人を移動させることもない。
どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。年が明けようとする頃、週末、一日二度見ていた人が亡くなった。何年も見つ続けた景色、何年もとり続けた景色、何年も「今日見た景色」として針続けた景色の中で人が亡くなった。
十五で世の中をわかっちまったようなヤツラから見れば 馬鹿げた話さ
それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。
2007-09-22[n年前へ]
■選択肢と幸せ
「選択肢が多いほど、人は幸せになる」という言葉を聞きました。それは、「選択肢の多さは人を幸せにしない」という友野教授の言葉 とは正反対の言葉に聞こえます。
問題は、その不幸な出来事を、ちゃんと距離を持って突き放せるかどうか、だけです。
新明解国語辞典で「座右の銘」という言葉の意味を調べてみると、こんな風に書いてありました。常に自分を高めようと心がける人が、折に触れて思い出し、自分のはげまし・戒めとする言葉
相反する選択肢が増えたとしても、選ぶことができる選択肢は一つです。選択肢が増えるということは、「選べない選択肢」が増えてしまうということに思えます。
不幸との距離は、書いていくことで生まれることが多いです。それは、日記と似ています。眠れない夜、日記を書くことで、かろうじて今日起こった出来事を整理できるのです。
2009-01-10[n年前へ]
■「アメリカの高校生が学ぶ経済学」で学ぶ
「経済」に関する本を手当たり次第読んでみた。基礎を一番わかりやすく納得することができて、しかも、基礎原理を理解するだけでなく、実際にその原理にもとづいて身の回りのことについて応用して考えることができるように感じたのが、「アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践へ」だった。アメリカの高校で使われている教科書の抄訳だというこの本はとても、わかりやすく実践的だ。こういう本を高校の時期に読んでおきたかった、こういうことは早い時期から学んでおきたかった、とつくづく思う。
我が国は、高校生に重要な経済問題を理解する基本的スキルを教えなければならない。…高校卒業までに経済学の充実した教育を受けなければ、ほとんどの成人は、経済の機能や富の創造過程における自らの役割を学ぶ機会がまったく与えられなかったことになる。
本書冒頭に掲げられている W.B.ウォルスタッドの言葉
この教科書では、「経済の基本概念」「ミクロ経済学」「マクロ経済学:制度」「マクロ経済学:政策」「国際経済学」という流れに沿って、経済学を学んでいく。授業のテキストだから、各所各所に課題がはさまれている。それは、とても具体的で実践的な問いかけばかりだ。たとえば、「今日の放課後のどう過ごすか考え、その過ごし方をしたことで得られるもの、それ以外の過ごし方をしていたら得られていただろうこと」を考えなさい、というようなものだ。
そんな、何かの選択をするときに得られるものや失うもの、あるいは、それ以外の選択をしたら得られていたはずのこと(機会費用)を考えた後に、「将来への投資」の項目では、教育レベルと男女別の平均年収の表が載っていて、それを眺めることになったりもする。
そして、「ミクロ経済学」の「需要の弾力性の推定」の項では、「購入延期が可能か」「適当な代替物はあるか」「購入には所得の多くの部分が必要か」という3つの条件を大学教育に当てはめると、大学教育の「需要の弾力性」はどうなるだろうか?ということを、高校生たちは問いかけられ考えなければいけない。
また、身の回りのモノの価格や雇用について調べる、というような課題を通して、身の回りの社会現象を実際に眺めに行ったりもする。
こんな授業を高校の時期に受けておきたかった。高校時代は遙かの昔になってしまったけれど、遅ればせながらでも、「アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践へ」を読めたことは良かったと思う。
資源は稀少である。時間も稀少である。なすべきことが山のようにあるのに、どれから取りかかればよいのかわからないことがある。いろいろな選択肢から、何かを選び出さなければならない。…ところで、どれを選択すべきなのだろうか。信じられないかもしれないが、経済学を学ぶとトレード・オフや意志決定に関する「思考法」が身につき、優れた意志決定を行う素地が育まれる。
第一章「経済学とは何か」目次 から
2009-05-07[n年前へ]
■自分の選ぶ道は最善の道
小山薫堂の「考えないヒント―アイデアはこうして生まれる (幻冬舎新書) 」から。
人生って、選択の連続ですよね。だから迷ったり、何かうまくいかないことがあると、「これでよかったのか」と後悔しがちなんですが、僕は、どんなに失敗しても、どんなに大変なことがあっても、これが最善の道だと思うんです。
2009-05-17[n年前へ]
■「だれのものであれ人生とは・・・」
だれのものであれ人生とは、与えられた機会とその時の選択、生来のものとつちかったもの、自らの意思と運命が交差して、蜘蛛の巣のようにからみあったものである。 (p.5)