2000-06-12[n年前へ]
2000-06-13[n年前へ]
■コンクリートの隙間に
足元にあるカメラオブスクラ
写真を撮り出した人が必ず罹る病が、「街中のありふれたものに美を感じだす」ことだと思う。カメラを使い出した最初の頃には、誰しも必ず罹るのではないだろうか?街中の看板やちょっとした何かにレンズを向けた人は多いと思う。私などは、いつまで経っても写真初心者だったりするので、今でもその病は治っていない。カメラをたまに持つと、どうしても単なる路肩などにレンズを向けてしまう。私はこんなコンクリートの隙間がとても好きなのだ。
デジカメを持ち歩く今でも、やはり道のアスファルトと建物のコンクリートの隙間や、道端の街路樹との隙間には何故か惹かれてしまう。桜の樹の下から目をそらすことができなかった人がいるように、私はその隙間から目をそらすことができない。それは、文字通りの「隙間」だけでなくて、もっと広い意味でも「隙間」も含めてである。
そんな隙間を意味する"aperture"は、同時に光学系の絞り・有効口径をも意味する。"aperture"が大きければ、焦点が合っているところは明るく映し出される。そして、分解能は高くなり、はっきりと物事が見えるようになる。しかし、それはあくまで部分的な話である。なぜなら、"aperture"が大きければ大きいほど被写界深度は浅くなり、焦点が合うのはごく一部だけになってしまうからだ。その結果、焦点が合っていない個所はボケて、そこに何があるのか見えなくなってしまう。部分的には、はっきりと写し出されていても、それは部分的だ。ある部分を正確に描写しようとすればするほど、他の部分が見えなくなることがある。
カメラオブスクラの光を通す「小さな隙間」のように、その隙間を小さくしていけば、はっきりと世界が写るようになる。隙間を小さくすればするほど、世界ははっきりと、そして暗くなる。そして、"aperture"が限りなく小さくなってしまえば、光が届かずにもう何も見えなくなってしまうだけだ。それでは、もう何も写らなくなってしまう。
そんなわけで、こじつけすぎるかもしれないけれど、ちょっとした大きさの隙間だからこそ、見える色々なものがあるはずだ、と私は思う。中途半端で、あいまいで、長続きしそうにもない隙間のような場所だからこそ、ボンヤリとしてはいても、色々なものが写っているかもしれない、と思ったりする。
2000-08-16[n年前へ]
2001-01-22[n年前へ]
■どうしてレンズは丸いのに…
そうそう、こういう疑問に答えようとすると、色んなコトをじっくりと考えなきゃいけないんだろうな。from J-oの日記。(リンク)
2001-04-07[n年前へ]
■スカートの力学 予習編
風に吹かれるスカートは
四月になって、春風が強く吹き始めた。春風と言えば聞こえは良いけれど、コンタクトレンズを使っていたりする人は強い風が吹くとゴミが入ったりしやすくて辛いだろうし、まして花粉症だったりすると涙が止まらなかったりしてきっと辛いことだろう。そんな辛い季節でも、たまにドキドキするような気持ちになる瞬間がある。もちろん、それは春風にスカートが舞い上がった瞬間だ。スカートが風に吹かれた瞬間に、私は理由もなく(いや理由はちゃんとあるのだが)心と体がドキドキする。それはもちろん私だけでなくて、男なら間違いなく誰しもがそんなドキドキを味わったことがあるはずだ。もっとも、そんな男心を理解しないヤカラはそんなドキドキを軽蔑するに違いないのだが、それが男というものなのだからしょうがないのである。
とはいえ、男心は「男の心」という位だから、女性にはなかなか判りづらいことだろう。「女子高生なんかはどうせスカートの下に短パンを履いているのに、それでもドキドキするものなの?」などと言う女性も多い。しかし、「それでもドキドキしたりする」ものなのである。いや、もちろんスカートの下にジャージを履いてるなんてもっての他ではあるが、短パンくらいならドキドキ度は全然減らないものなのである。それが、つまりは男というものなのだ。
そして、逆に「スクール水着の秘密」ではないが、女性には常識でも我々男には全然判らないことが世の中にはたくさんあるに違いない。ちなみに、私にとってはスカートもその一つである。何しろ、あまりスカートについて自分のこととして考える機会がなかったのである。いや、実際のところそんな機会は全然無かったのである。そこで、今回は「春風に吹かれるスカート」について考えてみることにした。(本題に入る前に一応書いて置くけれど、今回も「スクール水着の秘密」と同じく、女性から見たら「なんて当たり前のことを」とか「それちょっと違うんじゃないの」ということを書いている。そんな風に感じた方は是非、メールででも私に情報でも頂けたら、と思う次第である。)
さて、本題である。 この右の図のような「風に吹かれながら女性がスカートを押さえている風景」をよく見かける。もっとも、「よく」見かけるなんていうと、私がさぞそういう風景を探し求めているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。風が強い季節であれば、そんな風景は満ちあふれているのである。 さて、この女性のスカートのように風に吹かれたスカートについてちょっと考えてみよう。
| 女性がスカートを押さえている風景」 (animeBODY) |
まずは、体の前方から強い風が吹いているものとする。つまり、強い向かい風が吹いている状態である。ちょっとその女性にとってはツライ状態である。そこで、うすみどり色のスカートを履いている女性は、スカートがめくれ上がらないように、スカートの前部を両手で膝近くで押さえているわけだ。しかし、それでも風に吹かれてスカートの後ろは舞い上がってしまう。例えば、下の右図で女子高生の体の後ろでスカートがめくれ上がっている。それをもっと単純にしたのが左で、この図中ではスカートはCの位置まで上がってしまっている。
M.H.Tさん画 |
もちろん、男心からすればCどころではなくて、Aくらいまでスカートには高く高く舞い上がって欲しいわけであるが、女心からすればそれはとんでもない話だろう。
さて、このスカートのめくれあがる位置Cは何で決まるだろうか?もちろん、流体力学・弾塑性体力学などを総動員して解かなければならないわけではあるが、それは次回以降のお楽しみということにしておいて、予習編の今回は単純にスカートがOC方向には曲がらないものとしてみよう。だとしたら、話は簡単だ。ただスカートの裾の広さでCBの長さは制限されるわけである。スカートの裾が広ければ、スカートの端は高くまでめくれあがってしまうし、スカートの裾が狭くなっていれば、スカートは比較的低いところまでしかめくれない。
だから、この下の色々なスカートの中でプリーツ・スカートのようなフレアタイプの場合は、スカートは高隈でめくれ上がってしまうだろうし、タイトスカートのようなスカートの裾が狭いものであれば、強い風にも負けず、スカートはめくれ上がることはないだろう。
プリーツ・スカート |
しかし、しかしである、スカートの裾を狭くすれば春風にスカートが舞い上がってしまうことはなくなるかもしれない。だけど、スカートの裾の長さが制限するのはスカート自身だけでない。スカートを履いている女性の動き自体も制限してしまうのである。それではずいぶんと窮屈になってしまうことだろう。スカートの裾が狭いせいで歩幅も狭くなって、走り回ったりすることもできなくなるに違いない。だからこそ、脚を蹴り上げる藤原紀香のJ-PHONECMのスカートも、脚の動きが制限されないように、スカートの後ろに切れ目が入っているのだろう。
ということは自由に駆け回ったりしようとすると、つまり、スカートが足枷にならないような裾の広いスカートを履いていると、そんなスカートは風に吹かれて舞い上がりやすいわけだ。そして、そんなスカートを履いていると春風に困らせられることになる。
とはいえ、実際にスカートを履いたことがあるわけじゃないから、私には実際のところよく判らない。だから、女性の方々の「本当はこうなのだ」という教えでも請うしかないのである。結局、スカートの話は、スカートを履く人には常識きわまりない話だろうが、私はこれまで考えたこともなかったので全然よくわからない。これが、男と女の常識の違いなのかもしれない。いや、単に私の常識知らず、という可能性が一番大ではあるのだけれど…
そういえば、辞書でskirtを引いてみると「女;女の子」なんていう風にも書いてあった。なるほど、風に吹かれるスカートも走り回るスカートも、確かにその女性そのものなのかもしれないなぁ、と少しばかり思ったりしたのである。だとしたら、風に吹かれるスカートは向かい風には負けないで欲しいな、と柄にもなく思ってみたりするのである。ホントに私の柄じゃないのだけれど。