2004-06-18[n年前へ]
■MaxiVisiaでノートPCの画面をディスプレイ代わり
MaxiVistaのデモ版を使ってノートPCの画面をディスプレイ代わりにしてみた。100BaseTで受け手側がThinkpad T30なら十分実用になる。インストール後、再起動無しで使った感じでは、Ultr@vnc+ダミーカードで作業するのよりは自然で動作速度も速いような気がする。
サーバ側もディスプレイを提供する側も、インストール後再起動不要で使用可能で、しかもこの速さということは、AirMac Expressと共に、いつも持ち歩く価値があるかもしれない。いざというとき何かの役に立つかも。
ギガビット環境、無線LAN、あるいは、他の古めのノートPCでの使用テストは来週の予定。もしも、古めのノートPCでも十分速く、そして一月使って問題がなければ、これはとりあえず買ってみることにしよう。
2004-06-22[n年前へ]
■僕の記号
僕の記号は普通使われている記号に比べ、優れているか、そうでなくても同じくらいの価値がある、そもそも記号などはどれを使おうとこっちの勝手だ…と僕は思っていたのだが、あとになって必ずしもそうはいかないことに気がついた。人に何かを説明するときには、やっぱり標準の記号を使わなくてはならないことを悟り、それ以来自己流の記号を使うのはあきらめてしまった。ファインマン 「ご冗談でしょう、ファインマンさん」 岩波書店
2004-07-19[n年前へ]
■コピーの時代
昨日、四条河原町を歩いていると、古本屋のドアに貼られた「コピーの時代」と書かれたそのチラシにふと目を惹かれた。
「現代の私たちの日常生活には多種多様な『コピー』が満ち溢れています」という言葉は、新しくなくむしろ少し古くさい視点のようであるような、そんな風にも感じられるけれど、だけど、そのチラシが貼ってあるのが京都の古くさい古本屋のドアとなると、それは絶妙に素晴らしい。貼ってある場所に何だかとても似合っていて、それは何かを象徴しているようにすら感じられる。
そのコントラストがあまりに気に入ったので、琵琶湖近くにある滋賀県立近代美術館に行ってみた。ふと、(だけど強く)思ったことは、こんな「コピーの時代」という展示であれば、カメラ付き携帯も含めて、色んなカメラでの「写真撮り放題」を奨励しても良いのじゃないかな、ということ。撮影禁止ではなくて、禁「撮影禁止」であっても良いんじゃないのかな、ということ。
色んな人達の著作物の「コピー」をした著作物の価値を展示するのであれば、入館者達の「色んなコピー」を禁止するという行為は何だか自己否定のような感じがする。「色んなコピー」を逆に奨励したりした方が、そしてその「色んなコピー」と比較したりしてこそ、展示物の価値を再認識できるようにも、ふと感じてみたりする。
現代の私たちの日常生活には多種多様な「コピー」が満ち溢れています。昨今のめざましいコンピュータ技術の進歩により本物と寸分違わない精巧な写真や印刷物の複製が次々に生み出され、さらには遺伝子操作によりクローン羊が登場するなど、その勢いは今後ますます加速するように思われます。「コピーの時代」 滋賀県立近代美術館
2004-10-11[n年前へ]
■バストが飛び出すシミュレーション
重力場の中での弾性面の物理シミュレーションというと良い感じだが、飛び出すバストと言ってしまうと身も蓋もない。とはいえ、飛び出すようす(動画)なんて一見の価値がある。バストが飛び出すシミュレーション。
このサイトには他にも柔らかい物体シミュレーションや水滴シミュレーションや、とにかく色々面白いモノがあるので、トップページから眺めてみると良いかも。
2004-10-24[n年前へ]
■国が育てる「サイエンスライター」
「難解な研究の成果を国民に分かりやすく解説できるよう、国の音頭でサイエンスライターを育てるべきだ。納税者である一般の国民に対しても、各家庭レベルでその価値と研究の重要性を分かりやすく説明することが重要」という文科省部会の提言に関するasahi.comの国が育てる「サイエンスライター」の記事を読む。asahi.comお抱え社員でもある科学部記者達の意見を尋ねてみたくなる。
それはともかく、「納税者である一般の国民に対しても、各家庭レベルでその価値と研究の重要性を分かりやすく説明する」ことは予算を獲得する研究者の義務であり特権であるとも思う。「科学誌だけでなく、一般誌でも研究成果が取り上げられるように研究成果を分かりやすく解説し、予算を獲得する」ことを、その予算の使い道が正しいと一番信じていて、その予算を使う当事者である研究者達以外の誰がするというのだろうか。「専門家同士でも最先端の研究を理解するのは難しい」というのであれば、それを「サイエンスライター」に期待するのはお門違いであるようにも思う。そんなスーパーマンみたいなサイエンスライターがホイホイいる、わけがない。
研究者達が「俺たちは前から難解な研究の成果を国民に分かりやすく解説しようとしてるぞ」というのであれば(実際そういう研究者達はたくさんいると思うのだが)、その「国の研究費からライターへの経費支出」分を研究者に渡して(そしてもっとガンバレと叱咤激励する)というのも当然アリだとも思う。あるいは,文科省部会の視界にはそういった人や現状は見えていないのだろうか.