2004-01-29[n年前へ]
■11ぴきのネコ
演劇に興味を持ったのは、少し前。少し、と言ってもそれは二十年近く前のこと。春休み近くの高校で、演劇部が上演していた井上ひさしの「11ぴきのネコ」を見て、とても感動したのが演劇に興味を持つきっかけだったと思う。 いつも、合唱部やブラスバンド部の音楽に負けないくらい大きく、いつも屋上から「あめんぼ赤いな…」という声を響かせていた演劇部の上演会を観に行ったのだった。
北の空の大きな星あの星の下には幸せな場所があるそんな場所を11ぴきのネコが探しに行って…幸せな場所を見つけたその後は…、という話を見ていて、少し、いや正直に言えば、とても感動して少し泣きそうになったのだった。
その演劇部を(次の年に)率いていたのが、今ではGaucheの作者としても有名な川合さんだった。だから、私はGaucheという文字を見るたびに、あるいはSchemeという文字を見るたびに、高校時代に校舎の中で見た「11ぴきのネコ」を思い出して、なんだか少し切なくなってしまう。Gaucheという音を聞くと、一人何処かへ旅立った「11匹目のネコ」の姿が何故か目に浮かんでしまう。
2004-02-23[n年前へ]
■そのおカネで何が買えるか。
国内外の出張が続いて、気づけば未精算の出張費が三桁近くになっている、そんな人が何処かにいるらしい。何でも出張費精算の「オンライン入力がシンドイです」と言って、領収書を貯めているという。
その人が今日PCに向かっていると、周りでこんな会話が始まった。
「その領収書の束を精算すれば百万円近く返ってくるんだからさ」「何か欲しいモノとか想像したらいいんじゃないの?」「百万円が手に入れば何が買えるか、とかさ」「何か欲しいモノってないの」「百万円なら結構色んなものが買えるんじゃないの?」「何か欲しいモノってないの」「…幸せ」「…幸せのカケラが欲しいです」「そう言われてもなぁ。」「それはちょっとカネでは買えない…かもなぁ」そして、その出張費を溜めた人は周りから逃避するかのようにカッチンカッチン「幸せ」をグーグルで検索しはじめた。
その人が最初の「幸せ」の検索結果をクリックすると、PCの画面には「このURLには犯罪・ドラッグ・娯楽など業務に関係の無い情報が含まれていますので、表示できません」というような内容の無機質なメッセージが出ただけだった。
そして、無言のまま彼が次に検索した「幸せのカケラ」もブロックされてしまい、結局表示されることはなかった。
「幸せ」だけじゃなくて、その「カケラ」さえ見つけることはできないんだ…と画面にぼそっとつぶやいた。もちろん、そんな人を「いいじゃないの百万円でもさ。きっと色んなものが買えるよ」と周りはただ笑うだけだったのである。いや、そうであったらしい、と日記には書いておこう。
2004-02-24[n年前へ]
■今日のツッコミ「幸せのカケラ」編
「幸せのカケラは何処にある?」という疑問にこんなツッッコミ。
「幸せのカケラ」は日常に埋もれているだけかも。そうか「幸せのカケラ」は「日常」の中にあったのか、と(その人は)すかさずぐーぐる君に聞いてみたようです。領収書の束から逃避するかのように、そんな検索をかけたらしいです。
すると、「日常」の検索した結果も「業務に関係のない情報、ドラッグ・娯楽…(以下省略)」というわけで、「日常に埋もれている幸せのカケラ」を見つけたくても、「日常」すらも見つけることもできなかったといいます。
そうそう、もちろんぐーぐるのキャッシュはどんなものでも「業務に関係のない情報」で、全て見ることができない(らしい)です。というわけで、かつてあった「日常に埋もれている幸せのカケラ」のキャッシュもやはり見ることができなかったようです。キャッシュ=隠し場所、ということは「日常に埋もれている幸せのカケラ」の隠し場所=「日常に隠れている幸せのカケラ」も残念ながら見つけることはできなかったということです。うぅ…。
2004-02-29[n年前へ]
■yahoo! v.s. google
同じキーワードでyahoo!とgoogleを使って検索を行い、その結果をグラフィカルに相互比較するというyahoo! v.s. google。試しに、「幸せ」を検索した見るとこんな感じ。二軸の平面図でも眺めたくなるかも。from Going My Way
2004-03-23[n年前へ]
■「男」と「女」
「ポジティブな自分」と「ネガティブな自分」から、「ノーマ・ジーンとマリリン」を読んでみた。
ポジティブな自分を否定するネガティブな自分は必ずいるように、そして自分の本当に願う幸せはこれじゃない、と言い続ける自分がいるように、彼女の心の葛藤はとどまることがない。薬と酒に頼るマリリンは”結婚”にゴールを見出そうとするが、それも夢と現実のギャップ、男と女の違いに阻まれて妥協点を取ることも出来ない。「夢」と「現実」の違い、を新明解で調べてみれば、「夢」が「睡眠中に生活経験のごとく生起して目覚めると同時にはかなく消える、一種の幻覚」で「現在当面していて、それを無視することができない事柄」となるらしい。なるほど、目を開けると同時にはかなく消えてしまうのが「夢」で、目を開けても消えずに目の前に居座り続けるのが「現実」というわけか【目をつぶりたいおれカネゴン】。
「夢」と「現実」の違いはなんだかわかるような気がするが【何をわかったカネゴン】、「男」と「女」の違い、というのはいったいどんなものなのだろう?新明解に聞いてみる前に、もう少し自分で考えてみることにしてみよう【自習でなにをおれカネゴン】。
文中で目をとめたのが、こんなフレーズ。
マリリンを一言で表現するのは難しいといったのは、3番目の夫アーサー・ミラーつまりは、カントやヴィトゲンシュタインでなくとも誰しも「語り得ぬもの」で世の中は満ち溢れていると思うのだろう。そして、「三番目」というくらい世の中には”結婚”も満ち溢れているらしい。一体、ギネス記録は何回なのだろうか。
結婚のギネス記録はどうでも良いが、アーサー・ミラーが「マリリンはマリリンだ」と言いたくとも、「マリリンはマリリン」なのかはたまた「マリリンはノーマ」なのか、そんな言葉の迷路に迷い込んでしまったりもするわけで、「語りえぬもの」ばかりの世の中というものもそれはそれで良いかも知れぬ。さすれば、何も語らずに黙っていたとしてもも、「沈黙は金」と誤解されつつあるがままに許されたりするのかもしれない【黙ってられずにおれカネゴン】。
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