2005-10-04[n年前へ]
■ビデオゲームの「歴史」と「文化」と「未来」の展示
Tech総研ブログにビデオゲームの「歴史」と「文化」と「未来」の展示 〜 あのゲームも!このゲームも!全部プレーできる! 〜を書きました。
この記事で書いた「ビデオゲームに関する企画展」は、おそらく30代以降の「ゲーム好きの人」「かつてゲームをたしなんだ人」であれば、もう一生出会えないほどに楽しい「展示」かもしれません。できれば「テレビゲームとデジタル科学展」がこういう展示を実現していたら…、と思ってしまいますね。
2005-10-05[n年前へ]
■「インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?」
森山和道さんによる、「インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?」を書いた森健さんへのインタビュー記事。この本は、本屋で手にとって買ってみたいと思っているのだけれど、なかなか本屋で見つけることができずに今に至っている。Amazonで買ってしまえばすぐに届くのだろうけれど、Amazon経由で買うのも少し変な感じがして、未だに買えずにいる。
いわゆる『アルファブロガー』がぶっきらぼうに『こう思う』と言ったことが、ものすごく力を持っていくことがあります。それは新しい文化のありかたかもしれませんが…
2005-10-12[n年前へ]
■メキシコシティ
BGMは昨日と同じく、ピアノのリフもメロディラインも気持ち良いLuのSera.
Aprendere a no llamar por tu nombre al amorSera que tu, no te das cuenta que fuiste una luzメキシコシティのビルの中を歩いていると、時折水平感覚がおかしくなって、真っ直ぐ歩けなくなる。ビルは傾いていたりするし、部屋毎に部屋の中の場所毎に床が傾いていたりする。不思議な気分だ。
街を歩いていると、日本語が流れていることに気づく。周りを眺めると、屋台で日本のアニメが何本も上映されている。その近くにある電脳ビルの中では日本のアニメやマンガやゲームやオタク文化が花盛り。
2006-02-19[n年前へ]
■「ネットの勘違い」と「言葉と…」
「ネット初心者特有の勘違い」「ことばを『発信』する意義について」「科学と論理と情緒と言葉」 from n年前へ.
「ネット初心者特有の勘違い」私もネットを始めたばかりの頃は同様の勘違い、つまり個人サイトの世界で「大手」だったりするサイトをかなり凄いものだと誤解していました。 これはある種の遠近法の転倒というか、この世界にどっぷり浸かっていると、近くから見ると小さなモノでも大きく見えるという原理で、「大手サイト」が凄いものだと思えたりするということです。 そしてこういう「勘違い」は程度の差はあるにせよ、個人サイトに関与するひとたち全般に共有されているものです。 実際には発行部数が数万部程度の読者投稿型の雑誌で常連になっている程度のことなのですが、(もちろん一般の人はそんな雑誌はまったく見ないし存在すら知らないが)、その雑誌に夢中になっている特殊なひとにとっては、その誌上におけるステータスが極めて重要であると思ったりする… 「2ちゃんねる研究の2003.1.19の文章」
わしが見てるコレって本物? わしが聞いたコレって本当?わしらはいつもそういったギモンを胸に抱き、できれば見る、何回も見る、そして聞く、何回も聞く、そして自分にいま一度問うてみる、そんな姿勢とミミ掃除が肝要だと思うのである。ちゃろん日記(仮)「わしが見てるコレって本物?」
文化には4つの大きな要素があると思っています。ひとつは“科学”、それから“論理”3番目が“情緒”、最後に“言葉”だろう… 野依良治「文化に貢献する理研を目指して」
2006-03-04[n年前へ]
■「株プチ・バブル」「ネットベンチャー」「米国の歴史」の繋がり
最近、雑誌や各種メディアで「(株取引などの)プチ・バブル記事」や「IT業界に関する記事」を見かけるたび、そこに米国指向(趣向と言い換えることもできるかもしれません)を感じ、少し「不思議な感じ」を受けることがありました。その「不思議な感じ」は、「何を私が不思議に感じているのかを、自分ですらよくわからない(何とも言葉にしがたい)疑問」です。あえて言うなら、「プチ・バブル記事」「IT業界に関する記事」「米国指向」がなぜ「似たようなもの」になるのかを少し不思議に感じた、という風だったかもしれません。
少し前、知人に勧められた「経済ってそういうことだったのか会議(佐藤雅彦・竹中平蔵 共著)」を読んでいて、少しだけその「不思議な感覚」が消えました。「株取引」や「ネットベンチャー」や「米国指向」が繋がる歴史的背景を、少しだけ納得できたという感じがしました。「経済ってそういうことだったのか会議」に出てくる一節から、なぜか「そんな繋がり」を納得してしまった、という具合です。その「実に個人的で感覚的な納得」を書いてみると、以下のようになります。
まず、私が、なるほど。確かにそうだなぁ」と思った一節や私が連想したことをいくつか短く並べてみると、例えば「米国はベンチャー(冒険・アドベンチャー)の結果としてできあがった国だ」「冒険者たちが株式会社を生み出した」「イギリス人のアメリカへの初渡航は、株式会社の誕生とほぼ同時だ」「19世紀終わりまで続く"開拓"がフロンティア精神(重視)を育てた」という感じです。冒険(=ベンチャー・アドベンチャー)の結果として、(西洋からすれば)未知の大陸が発見された、ということ、それは「米国という場所」の誕生以前の背景としてベンチャー気質に溢れていることを納得させます。そして、そんな海を渡って探検や航海や商売を行っていた人々が、そんなベンチャーの資金を得るために、「株式」会社を生み出したこと(1602年にオランダの東インド会社が世界で初めて「株」を発行した)は、昨今のITベンチャーの行いそのものです。そして、その世界初の「株式会社」が生まれた4年後に最初のイギリス人がアメリカにわたり、それが今の米国へと繋がっていくことは、「株」というものと「米国」の不思議な繋がりを感じさせます。アメリカへ英国人が入植する以前に「株式会社」という経済システムはすでに生まれていて、「米国人」は「株式会社を生み出した人たち」により生み出されて、株式会社の発明以降に生まれた「民族」だということを考えてみると、「米国人はそういうことに自由自在に慣れ親しむ文化を生み出すのだろうなぁ」と自然に納得できるわけです。
さらに、ほんの一世紀前まで、米国では(他人のいない)開拓地(フロンティア)へ突き進む移住を続けていた、ということを考えるならば、そういう「民族・文化」であればいつの時代も未開拓地へと突き進むフロンティア精神の虜になるに違いないだろう、と感じざるをえません。そして、だから米国は月というフロンティアへアポロを飛ばし、宇宙の遙か先にあるフロンティアに(スタートレックの)エンタープライズ号を走らせ、そしてネットというフロンティアにも突き進んでいるのか、とふと納得したというわけです。