2008-09-01[n年前へ]
■「流行マップ」と「蝸牛考」
雑誌から流行・ファッションをマッピングするα版ネーム「雑誌流行L!ves」は、地図表示もすることができます。たとえば、トップページで「人気分布地図」表示を選ぶと下のような画面になります。「雑誌流行L!ves」では、アクセスした人がどの地域からアクセスし、どんな雑誌・どんなキーワード・どんなモデル…に興味を持ったかを記録することで、そんな「人気分布地図」を作り出そうとしています。
毎日、300kmくらいの移動をし続け、車窓の外を眺めていると、都会と田舎の生活・流行は違うよなぁと感じます。柳田國男の
文化が中心から周辺へと伝播する過程で、周辺にかえって古い文化が残っているという「蝸牛考」ではないですが、流行にはきっと地域ごとの違い、興味の地域分布があるに違いない、と思うのです。そんなことを考えていた時に、そんな地図・分布を眺めてみることができたら少し面白いな、とふと思ったのです。
そこで、こんな風な表示画面・機能をつけてみました。動かし始めたばかりですからデータは全然蓄積していない状態ですが、現代の流行にもきっと「蝸牛考」で描かれたような波の広がりがあるんだろうな、と思います。300kmくらいの距離の間に波の凹凸が一個くらいあったりしたら面白いな、と想像したりします。飛行機なら数十分で通り過ぎる300kmの空間的な距離を、流行はどのくらいの時間をかけて伝わっていくのだろうか?と疑問に思います。テレビや電話が伝える電磁波のような速度で伝わっていくのか、それとももっと遅い速度で伝わっていくのか、そんなことを眺め知ってみたい、とは思いませんか?
もうひとつ、中心と周辺とどちらが「豊か」なのだろうか?ということをその地図の上で眺めてみたい、ともふと思うのです。そして、どんな場所にいたいか、ということをその地図上で想像してみたい、と考えるのです。
2008-09-26[n年前へ]
■Pop-Eye と anan別冊 POPEYE
雑誌サイトを作ってみようとした時、まずはいつものように図書館に通って雑誌文化の下調べをした。色んな雑誌の特徴や創刊時のエピソードを読んでいて面白かったことがいくつもある。たとえば、POPEYEがananの別冊として始まった、といったそういう雑誌の生まれから、雑誌が続いていくうちにどのようにポジショニングが変化していったか、ということだ。
当初は月2回女性誌の「anan別冊・Men's an an POPEYE」として、コラム・マガジンとしてスタートした。アニメポパイの主人公ポパイをキャラクターに、1976年6月に、当時の平凡出版(現在のマガジンハウス)より、「Magazine for City Boys」というサブタイトルで創刊された。
Wikipedia
そして、POPEYEはPop-Eyeだったことに気づく。ウォーホルが口にしたPop-Eyeのような60年代の空気と視線をまとわって、あぁ生まれてきたんだなぁ、と思うと「頭の中の世界年表パズル」中のピースがコトリとはまる感じで小気味よい。
2008-10-08[n年前へ]
■「たむらけんじ」で見る「東西の差」もしくは「蝸牛考」
地域・国ごとの文化の違いを見てみたい、とよく思う。できれば、とてもくだらないように思える地域ごとの、けれどそれはとても身近でもある文化の違いを眺めてみたいと思う。メディアの力で地球上どこでも同じような文化かというと・・・やはり、そんなことはないだろう、と確信している。何の根拠もないけれど、未来永劫そうなのだろう、と思う。
ふと、「たむらけんじ(たむけん)」で見る「東西の差」もしくは「蝸牛考」を見てみたくなった。・・・というわけで、まずは、「あなたがイメージする”たむけん”はどっち?」アンケートを作ってみた。こういうアンケートを「雑誌流行マップ」と同じように、アクセス元地域でマッピングしたならば、「たむらけんじ」という一人のイメージからから、「東西」や「日本列島に描かれた現代の蝸牛考」をも眺めることができて、とても面白いかもしれない。
2008-10-10[n年前へ]
■たむけんアンケート結果グラフ
「たむらけんじ」で見る「東西の差」もしくは「蝸牛考」で行った(行っている)アンケート結果をビジュアル・グラフにしてみました。1/3が「地味目な」たむけんを「たむけん」だと思っていて、2/3が「色物」なたむけんが「たむけん」の印象だ、という結果でした。なるほど、こんな割合なんですね。
もしかしたら、2/3の人たちは、もう片方の1/3の答えを見て「・・・・・・」マークを頭に浮かべるかもしれません。あるいは、2/3の人たちは、もう片方の1/3の答えを見て、「??」マークを頭に浮かべるかもしれません。そんな、「不思議な混ざり合い」が生まれたなら面白いな、と思います。そんな溶け合う円グラフを眺めることができたら、と思っています。
2008-10-13[n年前へ]
■「色差」と「世界」認識
「色の違い」を考えるとき、現状の色空間・色差定義式で気に入らないのは、その画像の(各部分の)コンテンツがその定義式の中に入っていないことだ。といっても、画像の各部部分部分の内容に応じた色差処理が行われるのは、早くても2015年くらいだろう、と思っている。つまりは、現状の技術レベルからすれば、難癖をつけている以外のなにものでもない話である。
けれど、色の違いを考えるとき、人それぞれの知覚の差を考えなければならないのと同じように、人それぞれの興味・背景文化を考えなければならないはずだ、とも思っている。少なくとも、未来の世界はそんな違いを、今よりもっと、吸収している世界だと信じている。
たとえば、私は海や空の色が好きだ。だから、青や緑の色の少しの違いがとても気になる。明るい空や海の色、淡い萌葱色、そんな色の違いは結構気になる。けれど、茶色辺りの色の違いはきにならない。これがきっと土をいじるようになったりしたら、急に少しの茶色の違いが気になり始めるに違いない。
きっと、誰しもそんな気にする色や気にする対象物があると思う。現在は、画像の各部分部分にタグ付けをする技術も生まれ来つつある。だから、きっと2015年くらいには、各領域のコンテンツ判別を含む色差定義式が生まれる・・・といいなぁ、と思う。その人それぞれの世界を踏まえた、「色」の違いの定義式が生まれ活用されると良いなあ、と思う。そうなるはずだ、と願う。