1999-11-13[n年前へ]
■やっぱり、ウニが好き !
Dr.フラーはウニの夢を見るか?
私は野球は特に好きでも嫌いでもないが、野球場でビールを飲むのは大好きだ。と、始めると
の間違いと思われるかもしれない。しかし、それは違う。今回は、ウニとドームハウスの共通点について、考えてみたい。ただ、かなりビールが脳みそにしみているせいか、少しドンデモ話になるかもしれない。そこは、「ビックエッグの力学」と共通である。 私の中では、野球観戦と言えば、ビールだ。野球にはビールが良く似合う。そして、今現在も目の前にはビールがある。そして、寿司がある。といっても、スーパーで買った安物である。二つ合わせても1000円にしかならない。
安物といっても、私の住んでいるのが港町だから安い、ということもある。何しろ、ほとんどのスーパーの魚売り場でイルカの肉なども置いてあるのだ。嘘ではない。ホントにホントである。私も、引っ越してきた当時はビックリしたが、本当である。アメリカの動物愛護団体が見たらびっくりの風景だろう。「イルカと人間はお友達」と言ってる人には見せられない風景だ。
あまりおいしそうではないので、私はまだ実際に味わってはいない。しかし、地元の人の中には「よく食べる」と言う人もいる。いつか、挑戦してみたい。
さて、上の写真で共通しているのはウニである。ウニと言えば、こんな姿をしている。
「海栗」と書いてウニと読むことが実に納得できる姿である。しかし、内面はもう少し違う。実は、ウニはドームにそっくりである。前回考えたドーム球場ではないが、ウニは実はドーム構造をしているのだ。「そんなことは当たり前じゃないか」と言う人もいるだろう。しかし、私はつい最近までそれを知らなかった。そもそも、骨があるとすら思っていなかったのである。
もしかしたら、私のようにウニの内面を知らない人もいるかもしれない(そんな人はいない、という声も聞こえそうだが)。そこで、ウニの骨の写真を示してみる。下に示すのが、色々なウニの骨だ。
実物はとてもきれい。日本古来の木工細工のような穴がとてもきれいである。 |
これは少し前に、宇宙科学研究所の黒谷氏の実験室を見学(ただ邪魔しただけという気もするのであるが)する機会があり、そのとき頂いたものである。最初に見たときは、「目からウロコ」であった。まさか、あの針の山の下にこんな頑丈な殻が存在しているとは、思わなかった。
写真ではわからないかもしれないが、骨には小さな穴が極めて規則的に開いている。それが、日本古来のとても出来がいい木工細工のようである。光に透かしてみると、うっとりするようなきれいさである。内部に強い光源でもおけば、プラネタリウムやミラーボールみたいに細い光線を放射する、きれいなアクセサリーができそうだ。
ところで、「何故、宇宙科学研究所の実験室にウニが?」と思われる方は、WEBで検索でもかけてみると良いかもしれない。「宇宙生物学」という面白い実験分野があるものだ。
例えば、無重力の中で生物がどのような挙動を示すか、などの研究をしたりするらしい。飛行機にのってそういう実験を繰り返すわけである。遊園地のフリーファールやバンジージャンプ、そして、ジェットコースターでさえ、駄目な私には地獄のような研究分野である。
さて、上の、ウニの骨の姿はまさにドームそのもの、とは思えないだろうか? そう、似ているのだ。 そっくりなのだ。試しに、このドームなどを見れば納得できるだろう。
これは、富士山頂の厳しい環境を耐えるために、極めて安定なドーム構造が用いられているのだ。三角形のパネルが組み合わさるドームハウスは極めて頑丈である。ウニも、同じように頑丈なドーム構造の骨格を持っているのである。レーダードームは富士山頂で頑張っているが、宇宙科学研究所のウニは色々なところへ連れて行かれて、厳しい実験に耐えているのである。
こういった、ドームと言えば、R.バックミンスター・フラー博士のドーム理論だろう。フラー博士とドームハウスのスケッチ図を示してみる。
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よく、環境適応性の高さを謳うことの多いドームハウスであるが、もしかしたら、ウニがその祖先であるかもしれない。もしかしたら、フラー博士は「海の中でじっとたたずむウニの夢を見て」ドームハウスを思いついたのかもしれない。
アメリカ人であるフラー博士がウニを食べたとは思えない、という人も多いだろう。それは確かにその通りである。しかし、フラー博士はかなりの変人である。変人ならば、ウニを食べまくっていたとしても、おかしくはない。
普段は「何を馬鹿な発想だ」と思うことだろう。しかし、ドーム球場の野球を見ながら、脳みそがビールとウニで満たされてしまうと、「そうだ、フラー博士はウニが大好きなのだ!そうに違いない!」と確信してしまうのだ。
仮に、フラー博士がウニに影響されていないとしても、ウニはフラー博士がドーム理論を考えるずっと太古の昔から、ドーム構造をしていたのである。ならば、「元祖はやはりウニなのだ!」と言ってしまって良いだろう。太古から厳しい環境を耐えつづけてきたウニは、今や宇宙へ飛び出し、さらに厳しい環境の中で活躍しているのである。
2000-03-05[n年前へ]
■私の日本語練習帳
アメンボ赤いなアイウエオ
もうすぐ、4月である。4月といえば、新学期だ。といっても、私は別に学生ではないので、新学期といっても特に何があるわけではない。別に新しい授業が始まるわけではないのである。しかし、私は何故かこの時期になると「英会話」を勉強したくなるのである。
去年の初めにも英語学習熱に襲われ、NHKのラジオ講座を通勤途中やることにしてみた。しかし、いつものように二ヶ月だけで挫折してしまった。そういうわけで、NHKラジオ「英会話」講座の毎年4月分のテキストが私の家には沢山ある。
それだけでなくて、この時期には「一週間でわかる英会話(仮名)」というような本も買い込んでしまう。しかし、これもまた買うだけで終わってしまっていたのだ。どうも、私の興味が散漫であることも理由の一つだろう。湯川秀樹は
「今日はあれをやり、明日はこれ、というように、あまり気が散ると、結局どれもものにならないですね。」という非常に的確なことを言っているらしいが、まさにその通りである。話題が飛びまくりの「できるかな?」には実に痛い指摘である。しかし、糸川英夫は
「自分にできること」よりも「世の中が求めていること」に挑戦し続けた方が人生も楽しい。と言っているらしいし、気にしないでおく(進歩無し)。
私はそういう生活が10年近く続いている。そんなわけで、英語のテキストは増えたが、英語能力は減る一方だ。いやまてよ、ということは
- 一人の人が持つNHKラジオ「英会話」講座の4月分テキストの冊数
- 一人の人が持つ英会話能力
- 今年のNHKラジオ「英会話」講座の4月分テキストを買わなければ、私の英語能力はアップする
いや、こんなワケのわからない仮説を論じている場合ではない。これは、非常にマズイ。今年こそ、三日坊主は止めなければならない。新しいミレニアムが訪れたことでもあるし、バージョンアップした私(仮に私2000とでも名付けておこう)になるためにも、今回こそ英会話の勉強をしてみたいと思う。
そこで、発売されてすぐ買ったは良いが、そのまま本棚で眠っていた
- BLUE BACKS 英語スピーキング科学的上達法 山田・足立・ATR人間情報通信研究所
- BLUE BACKS 英語リスニング科学的上達法 山田・足立・ATR人間情報通信研究所
それでは、今年の勉強を始めてみることにしたい。この本の主な内容は
- 英語における発音を科学的に分析(主にフォルマント、スペクトログラム)する。
これまで、「できるかな?」では
- 夜のバットマン - 超音波を可視化しよう- (2000.01.17)
- 着メロの音響工学 - この着信音は誰のだ!? 立体音感その3- (2000.01.08)
- 音場の定位を見てみたい - 立体音感を考える その2- (2000.01.03)
- 振動・声紋解析用のソフトをつくる-PCオシロソフトを高機能にしたい- (1999.01.07)
- オシロスコープソフトを作る- PCを2Ch高性能オシロスコープにしたい - (1999.01.03)
しかし、いきなり私に英語はキツイ。まずは日本語の練習から始めることにした。日本語の母音の発音を練習するのである。そうすれば、自分自身の日本語を再確認できるし、この本の信頼性もチェックできる。「フォルマントで音声を判断する」というのがどの程度使えるものであるかを、私の日本語でチェックすることができるのである。何しろ、変な発音かもしれないが、一応私は日本語のネイティブであるからだ。
それでは、「英語スピーキング科学的上達法」に付属のソフトで私のフォルマントを調べてみる。これが私の「あいうえお」のスペクトログラムとフォルマントである。
縦軸=周波数, 横軸=時間 |
ここで、色丸で示してあるのが
- 赤 = 第1フォルマント ( F1 )
- 青 = 第2フォルマント ( F2 )
- 緑 = 第3フォルマント ( F3 )
それでは、私の「あいうえお」をF1-F2空間にマッピングしたものを次に示す。これも、「英語スピーキング科学的上達法」に付属のソフトによるモノであり、標準的な男性の「あいうえお」の分布が示されている。そして、赤丸で示してあるのが私の「あいうえお」である。
そして、F1-F2空間における英語の母音分布の上に私の「あいうえお」を重ねたものも示す。
英語の母音に重ねてみた図 |
こうフォルマント分析をしてみると、私の「い」「う」「え」は標準的な分布の中に入っていることがわかる。しかし、「あ」「お」はそうではない。
むしろ、私は発音は英語の母音でいうところの
- 「あ」 =
- 「お」 =
- 私の発音の精度の問題 = 私の発音がヘン?
- 測定・解析の精度の問題
さて、最初のうちはこの本付属のソフトを使って遊んでいくことになると思う。しかし、いつか自作のソフトウェアを作成し、F1-F2-F3空間での「あいうえお」の可視化でもしてみたい。言葉の可視化、さらには言霊の可視化をしていく予定である。(あれっ、そう言えば英会話の勉強はどこへ…)
今日はあれをやり、明日はこれ、というように、あまり気が散ると、結局どれもものにならないですね。By 湯川秀樹
2000-05-13[n年前へ]
■ミウラ折りの落書き紙
思ったことを折り込めて
十年位前のことだったと思う、「知人の先生がこんなのを作ったんだけど、興味あるだろう?」と父が不思議な冊子を私にくれた。冊子と言っても、それは一枚の紙を折り畳んだ小さな小さなものだった。ちょっと面白い折り畳み方をされたその紙には、その折り畳み方の説明とその「折り畳み方」の応用が書かれていた。もちろん、その冊子の作者は宇宙科学研究所の三浦教授で、そしてその冊子の折り畳み方はあの有名な「三浦折り」である。
三浦折りの折り目を示してみると、例えば下の図のようになる。一目見てわかるように折り目が直交していない。そのため、それぞれの折り目が独立でなく、全ての折り目が同期しているのである。言い換えれば、一つの折り目を開こうとすると全ての折り目が開いていくし、一つの折り目を閉じようとすると全ての折り目が閉じていく。だから、例えば、折り目の端っこと端っこを掴んでただ引っ張れば全ての折り目が開き、そして折り目の両端を縮めれば自動的にパタパタと折り畳まれていくのである。
また、折ってみるとわかるのだが、この三浦折りは折り目が少しづつずれて重なるのである。折り目というのは厚みが他の部分に比べて厚いために、折り目が重なるとその部分だけがどうしてもかさばってしまう。しかし、この三浦折りであればそんな折り目が重ならないので、折り畳んだときにかさばらないのである。
だから、太陽電池パネルなどをこんな三浦折りを使って折り畳むと、折り畳んだときにはかさばらないし、その展開や収納は隅と隅をただ引っ張ったり縮めたりしさえすれば良い、というわけで良いことずくめというわけだ。詳しくは、宇宙科学研究所のここ辺りを読んでもらうことして、参考までにそこの画像にリンクを張っておく。
ところで、十年前に父からもらった「三浦折りの冊子」を捨てるはずはないから、部屋のどこかに隠れているとは思うのだけれど、何処かに隠れてしまっていて、見つけることができなかった。私の部屋が三浦折りのようになっていて、部屋の隅から隅までを全て引っ張り出すことができたら、きっとすぐにでも見つけられたのだろう。しかし、残念ながら私の部屋は三浦折りではないのである。だから、私の色々なモノや本が散らばった部屋に隠れている「三浦折りの冊子」はそう簡単に見つけられるわけもない。
そういえば、ふと何かが心に思い浮かぶことも日頃よくあることである。しかし、思い浮かんだその時に書き留めておかないと、すぐに記憶の何処かに隠れてしまって忘れてしまうことも多い。これもまた、私の記憶が三浦折りだったらよいのだろうけれど、幸か不幸か私の記憶システムは三浦折りではない。私の記憶や考えたことが三浦折りのようにパタパタ開かれていくのも見てみたい気もするけれど、隠しておきたいような夢や気持ちもあるだろうから、やはり私の記憶システムが三浦折りでない方が良いのだろう。
とはいえ、やはり後で思い出したいこともたくさんあるわけで、そんなことは思い浮かんだらすぐに何かに書き留めておかなければならないだろう。落書き帳か何かに、思い浮かんだことをすぐに書き留めておけば良いわけである。適当な落書き帳に書き留めれば、思い浮かんだことを忘れてしまっても安心である。
しかし、頭に何かが浮かぶ瞬間というのは、時間や場所を選ばないだろうから、そんな落書き帳はいつも持ち歩かなければならないだろう。となると、いつも持ち運ぶためにはコンパクトでなくてはならないし、そんな落書き帳を広げる作業は簡単に素早くできなければ不便である。だとしたら、その落書き帳はまさに三浦折りを使うべきではないだろうか? というわけで、私は自分用の「落書き紙」をミウラ折りを使って作ってみることにした。
というわけで、作ってみたのがこの「できるかな?」特製「落書き紙」である。折り畳んだ状態は三浦折り特有のちょっと不思議な重なり方になり、見た感じのデザインも割に良い感じだと思う。そして、これが「できるかな?」特製「落書き紙」折り畳みのようすである。
両端を動かすだけで、パタパタと自然に開いたり折り畳まれていくようすがよく判ると思う。 実際の大きさは掌にすっぽり隠れるサイズ。 裏表紙は表紙を裏返したデザイン。それは、考えたり思ったりしたことにはきっと表も裏もあるだろう、という気持ちの現れなのである。 |
ここにPDFファイル化した「できるかな?」特製「落書き紙」を置いておくので、興味のある人はぜひプリントアウトして三浦折りを実際に試してみると面白いと思う。このPDFファイルは開くときにパスワードを聞いてくるが、"hirax.net"といれてやれば開くことができる。
ちなみに、この「できるかな?」特製「落書き紙」の表と裏を見てみるとこんな感じになる。裏表紙は表紙をそのまま裏返したデザインにしてある。それは、考えたり思ったりしたことにはきっと表も裏もあるだろう、そしてそれは表裏一体で単に裏表の関係なのかもしれない、という気持ちの現れなのである。 この「できるかな?」特製「落書き紙」の作り方であるが、まずこのPDFファイルを長手綴じで両面印刷をする。そして、上下左右マージンが不揃いであれば、端部を少し切り取る。実際に折り畳んだ後であれば、そのどの程度不揃いなのかがわかりやすいから、端部を切り取る(切り取らなくても良いが)のは一番最後でも良いだろう。
そして、表の面の折り線に沿って、次の写真のように折り畳んでいくのである。
さて、この三浦折りの「できるかな?」特製「落書き紙」は折り畳めばとても薄く小さいから、ポケットに入れていつも持ち歩いて、心に浮かんだことなどを書きとめて持ち歩くのに最適だと思う。そして、この落書き紙の裏や表に、思ったことの表から裏までを書き留める。そして、そんな思い・考えの切り抜き・断片、を小さく折り畳んだまま伝えたい人に手渡してみて、折り畳まれたもの達がその人の掌の中でパタパタと現れてくるのも、それはそれで不思議に新鮮な感覚だろう。例えば、ちょっと不思議な「三浦折りのラブレター」なんて、不思議でいい感じだと思うんだけれど… 駄目かなぁ?
2000-07-29[n年前へ]
■The Spirit Level
Fair is foul, foul is fair.
この写真は九州阿蘇山の麓にある京大火山研究所を撮影したものだ。草で覆われただけの小高い丘の頂上に、この火山研究所の建物はまるで灯台のように建っている。それはあまりに広大な景色だったので、手元にあった小さなカメラではそのままでは全景を撮影できなかった。しかし、「その広大で、それでいて箱庭のような景色の一部分だけを切り出す」ということはしたくなかった。そこで、近くにあったカーブ・ミラーを通してその広大な景色を撮影してみた。カーブ・ミラーの凸面鏡で反射させることで、広角の撮影をしようとしたのだ。だけど、それはとてもぼやけたミラーをだったので、ねじ曲がってただのよく判らない写真になってしまった。だけど、それでもその景色の一部分を切り出すよりは良かったはずだと思っている。
この写真を撮影したのは、もう10年程前のことになる。その夏、私は二週間ほど中国・九州を旅行していた。それは普通の旅行ではなくて、観測のための旅行だった。GPSによる標高測定と水準測量による標高測定を同時に行うことで、ジオイド(重力の等ポテンシャル面のうち平均海面と一致するもの)の形状を調べようとする研究のための観測だった。といっても、私は単なる下働きだったから、何にも考えずただ昼は力仕事をして汗をかいて、夜は温泉に入ってビールを飲む、という何だかとても幸せな二週間だった。
GPSによる幾何的な標高測定に対して、水準測量による標高測定は各地点における水平面を基準として標高を逐次的に測っていく。ところで、そもそも標高とは鉛直方向に対する位置である。それなら、一体鉛直方向とは何だろうか?それは、水平面に対して垂直な方向としか言いようがない。水平面が定まれば、一意に決まるわけだ。それなら、それは確かなものかと言うと、それは違う。
何故なら、水平面自体が場所によって違うからだ。水平面というものは単純なものでは決してない。その周囲(または遠方)の質量の分布によっていともたやすく変わってしまう。重力場が変化するのだから、当然の話だ。水が重力に引っぱられて、重力の等ポテンシャル面を形成するのだから、質量分布によって重力場が変動すればその等ポテンシャル面である水平面は当然のごとく変動してしまう。
水平面・水準といったとても基本的な基準でさえ、地球の内部や外部の状態でよくわからなくなってしまう。それは、ものを伝える言葉だって同じことだ。そもそもの原動力や背景があってこその基準や言葉なのだから、中にどんなものを秘めているかで物事の基準自体が変わってしまう。人が見ているものだって、その背景できっとみんな違っていると思う。それらは実のところ、とてもあやふやなものなのだ。
だから、Fairなんてとても大切な言葉だって、人によってその意味するものは違うのだろう。例えば、今ここで"Fair"を例に出したのも、"Fairis foul, foul is fair."というマクベスの冒頭のセリフを知っていれば、「あぁ、そういうことか」とその意味するところを判るだろうし、その背景を知らなければ「何でそんなことをいきなり?」と感じるだけだろう。それだけのことだ。
ところで、水準測定を行う時の必需品が"Spirit Level"である。この"SpiritLevel"という言葉は、直訳した 「心・生命の高さ・水平」なんて意味では全然なくて、単なる「水準器」という意味だ。簡単に言ってしまえば、単に"Level"だ。"Spirit Level"もグラスの中のアルコールを傾けてみれば、その語源は想像がつくだろう。
確固とした基準になりそうな水準器でさえ、実はそんなに確かなものではないのだから、何かの確かなものがあるという思い込みこそ、実はとてもあやふやなものだろうと思うのだ。
2000-09-05[n年前へ]
■「研究所」
という名前の部署をつくるメリットというのは、ほんの少し先を見る余裕を与えることと、新技術を作らなければならない立場に追い込むことだと思うわけで、その二つを感じていないようなタスクは百害あって一利無しと思うわけでした。ハイ。