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2004-11-30[n年前へ]

「ズッコケ三人組の卒業式」 

 ミドリ市を舞台として、ハチベエ、ハカセ、モーちゃんの小学6年生の男の子3人組がさまざまな騒動を起こす「ズッコケ三人組」がついに卒業
Yahoo!ニュース  - 社会 - 読売新聞http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%83%E3%82%B3%E3%82%B1%E4%B8%89%E4%BA%BA%E7%B5%84

2004-12-26[n年前へ]

「科学と技術と社会」 

The evolution of man? 「2001年宇宙の旅」では、道具としての骨が宇宙ステーションにまで至る進化を示されていた。そんな道具と人間社会の進化・変化を解説するScience, Technology & Societyの授業。こんな動画やこんな動画で授業のようすを眺めてみるのも面白いかも。あるいはこんな画像だけでも眺めてみると面白いかもしれない。
 そういえば、このスライドに載っている「イラスト」のTシャツをこの前買ったばかり。すごい偶然。


2005-01-16[n年前へ]

続「坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一」 

 坂村健と竹村健一は「ユビキタス社会、始まる—すべてのモノにコンピュータを」なんていう本を一緒に書いているなんていう情報をN氏より頂く…。いや、共著じゃなくて、二人は同一人物で、二人で一人なんだっけ…。
 いや、実際問題Googleで「坂村健一」で検索をかけると、結構?ヒットするんだもの。やっぱり、みんなそう思ってるんだな。「坂村健 ≒ 竹村健一 ≒ 坂村健一」って。
ユビキタス社会、始まる—すべてのモノにコンピュータを「坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一」

2005-02-12[n年前へ]

荘子 meets NEET 

 今の日本は荘子が説いた社会のよう from 日記ちょう

この間中国から来た留学生に、印象深い感想を聞きました。「日本の若者は素晴らしい。 金のために生きていないし、 勉強しようとも思っていない。 みんな自分が一体何者か、 自分は何になりたいか、 何をしたいかだけを考えている。 これはまるで荘子のようだ」    三浦 展

2005-02-19[n年前へ]

『○×的センス』と「素晴らしい科学」 

理研ニュースJanuary 2005 ちゃろん日記(仮)文体で遊んだときには、寺田寅彦の文章などを比較例に使ってみました。寺田寅彦と言えば、椿の花が落下するようすを描いた「思い出草(やこの件に関する科学論文)」が理研の庭の椿の花を実験材料にしていることは有名かもしれません。その理研が発行している 理研ニュース'05/1の河合隼雄・野依良治特集対談がとても面白く楽しめます。対談の中から、気になる一節をメモし始めると…、全文になってしまいそうですね。

「科学」と「論理」と「情緒」と「言葉(数式と日常語)」

(野依)自然科学者として、文化には4つの大きな要素があると思っています。ひとつは“科学”、それから“論理”、3番目が“情緒”、最後に“言葉”だろう…(河合)言葉の中で、一番はっきりしているのが数式なんですよね。日常語は、あいまいさを持っていますから、サイエンス(科学)はそれをできるだけ排除しようとする。できたことを説明し、記述する場合は数式といったものが強いのですが、新しいものを見つけていくときには、あいまいさの中に入っていかないと駄目なんです。
「理系」と「文系」
(野依)日本の教育では比較的若いときから理科系・文科系を分けますが、私は亡国への道だと思っているのです。(河合)私も絶対に反対です。高等学校くらいの年齢で理科系・文科系なんていうのは、本当におかしいと思います。
「人を疲れさせない・駄目にしない」
(野依)研究所も大学もそうですけれども、研究を通して人を育てることが大事であって、人を疲弊させてはいけないと思うんです。しかし今の研究所では、評価とか資金調達とかいろいろなものが導入されて、人を疲れさせています。これは研究者だけではなくて、事務方にもいえるわけですが。そういった研究所の職員をエンカレッジ(激励)するには、研究所全体の文化度を上げなければならないと思っています。さもなければ人間が駄目になります。
「素晴らしい科学というのは、わかりやすい」
(野依)社会に自分たちがやっていることの意義を分かりやすく話すということは、大変大きな意味があると思います。素晴らしい科学というのは、やはり分かりやすいんです。



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