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2007-05-11[n年前へ]

「画像ジェネレータ・サービス」を簡単に作るジェネレータ・サービス 

15秒で作る画像処理サーバ

 「画像ジェネレータ・サービス」を簡単に作るジェネレータ・サービスで、「画像処理ジェネレータ・サービス」を作り出す"Imagenerator"を作りました。例えば、下に貼り付けたのは、Imageneratorで作り出した「古いポートレート」ジェネレータです。このように処理ページを独立に作ることもできますし、下に貼り付けたように他のページ内に貼り付けることもできます。

 一方、自分の画像を自分で変えて楽しむのはImagination You Makeです。現時点の「画像処理ジェネレータ・サービス」を作り出す"Imagenerator"とImagination You Makeが一番異なるのは、画像間合成機能とテキスト描画機能です。この二つの機能を知ることが、"Imagenerator"を使いこなすコツです。なぜなら、いわゆる(滝川クリステルジェネレータのような)「画像処理ジェネレータ」の面白さ・楽しさを決めるのは、マスク画像とコメントの内容であることが多いからです。もちろん、イラストレーション化や色調補正を用いた画像処理サービスを作るために使う場合には、マスク画像とコメントの内容がすべてなどということはありません。けれど、このような場合でも、マスク画像の使いこなし方を知れば、画像加工の種類を増やすことができます。あなたがマスク画像としてめにアップロードした画像は、いわば(あなたの)"Imagenerator"の機能拡張になるのです。

 "Imagenerator"では、いつでも"CURRENT IMAGE"に対して画像処理がかけられます。"CURRENT IMAGE"と"MASK IMAGE"は、"Swap backup and current"ボタンを押すことでいつでも交換することができます。ですから、自分がアップロードした画像を"CURRENT IMAGE"として使うこともできますし、"MASK IMAGE"として使うこともできるのです。また、「"Imagenerator"であなたがPublishした瞬間のMask Imageが、ユーザーが画像をアップロードした瞬間のMask Imageになる、ということ」と「StartボタンとStopボタンを押すまでの作業だけが、ユーザーが投稿した画像に対して行われる」という2つのことが、マスク画像機能を使いこなすためにはとても大切です。

 "Imagenerator"には、三種類の画像間合成機能があります。1つは、マスク画像の左上の点の色を透過色として用い、マスク画像とユーザ投稿画像を合成する機能です。例えば、左上の画像がRGB値で[255,0,0]の赤色だったとしたら、"CURRENT IMAGE"は"MASK IMAGE"の[255,0,0]の赤色に近い部分に"CURRENT IMAGE"が合成されたような画像になります。だから、雑誌の表紙風「画像ジェネレータ」を作りたい時には、「雑誌のタイトルや文字部分」以外を同じ色で塗りつぶし、画像の左上の点をその色にしておけば良いのです。「POPULAR SCIENCEの表紙」風画像ジェネレータは、そのようにして作成したものです。

 2番目の画像間合成機能は、マスク画像をユーザ投稿画像の透過度合いとして用いることで、新しい画像を作成する機能です。例えば、黒背景に白い色で字を描いた画像を"MASK IMAGE"として用いれば、"CURRENT IMAGE"の「白い字」の部分だけが残り、それ以外の部分は白い色で塗りつぶされます。この種類の画像合成機能を使えば、ユーザがアップロードした画像を好きな形で切り抜いたりする機能を簡単に実現することができます。

 そして、3番目の画像間合成機能が「顔合成用の機能」です。これは、"CURRENT IMAGE"と"MASK IMAGE"に入っている顔を合成する機能です。前もって、顔位置検出機能を使って、"CURRENT IMAGE"と"MASK IMAGE"の顔の瞳や口の位置を合わせておいて、"CURRENT IMAGE"の髪型や顔の形に"MASK IMAGE"の瞳や鼻や口を合成するのです。つまり、「他の人の髪・顔型を自分がしたらどうなるか」「自分の髪・顔型に芸能人の目・鼻・顔を合成したら、どうなるか」なんていうことを眺めることができる画像処理サービスを作ることができるのです。

 また、現在の(吹き出し機能ではなく)単純なテキスト描画は"Imagination You Make"と違って、描画する場所を選ぶことができません。文字描画位置は自由ではありません。とはいえ、「ニュース画面などでは説明文章が下部に表示されることが多い」ので、画像ジェネレータを作る用途には、ある程度使いものになる…ことを願っています。

2007-06-03[n年前へ]

カメラ付き携帯電話から画像加工サービスを使う 

 バージョンアップを行いました。


 携帯電話から下記アドレスに写真を添付したメールを送ることで、画像加工ジェネレータ"Imagenerator"(説明など)の機能を携帯電話から利用できるようにするテストを開始しました。下記のアドレスに画像を添付したメールを送ると、10秒ほど後に、処理画像のURLがメールで返信されます。その画像を眺めてみたり、あるいは、携帯電話のデータフォルダに保存したり...といったように遊ぶことができます。送信先アドレスは、つまるところ、imagenerator.mobile+処理名@gmail.comです。今のところは、処理サービス名に日本語が入っているものは動かない状態のまま運用しています。

  • イラスト写真: imagenerator.mobile+ComicPolaroid@gmail.com
  • ミニチュア写真:imagenerator.mobile+mini0@gmail.com
  • 美人加工写真:imagenerator.mobile+bijinphoto@gmail.com
  • 超美人処理:imagenerator.mobile+cbijin@gmail.com

 携帯電話のカメラを使って撮影した写真を、マンガ風・雑誌の表紙風・ミニチュア写真風…と、自由自在に画像を作り出すことができるようにしたい、と思っています。Imagenerator で気軽に画像で遊ぶうちに、画像加工サイトができあがり、ついでに、携帯電話からもその画像加工サイトの機能を使うことができる、という具合です。たとえば、右の写真は携帯電話で撮影した写真を「ミニチュア写真」「イラスト写真」にメールを送り、処理されてきた画像です。携帯電話のカメラ機能を通して見ると、目の前の世界がミニチュア世界やイラストレーション世界に変化していくことでしょう。携帯電話の料金体系が定額料金でないと、ちょっと使い辛いかもしれませんが‥。それでも、携帯電話のカメラを通して、不思議な世界の姿を眺めることができるかもしれません。

 なお、現在はau携帯電話、および、(携帯電話ではありませんが)gmailからの送信でテストを行っています。

2007-06-10[n年前へ]

"吹き出しセリフ"マンガで写メールしよう 

 画像加工サービス Imagenerator を全面的に携帯電話からアクセスできるようにしました。コードを変えた箇所を具体的に書くと、「これまでは、画像加工フィルタ名が日本語の場合には動作しなかったのを、ジェネレータ名によらず、携帯電話のメールから使うことができるようにした」「メールのタイトルを画像加工フィルタで"文字"として流用することができるようにした」という2点です。また、メール送受信処理周りの修正を行いましたので、不具合も「若干」減っているのではないかと思います。


 カメラ付きケータイで撮影した写真を、画像加工ジェネレータの各ページに書かれた指定のアドレス宛に送れば、(どのジェネレータでも)処理された画像のURLが返送されてくるようになりました。たとえば、「イラスト吹き出し・サンプル」フィルタを使いたければ、上記ページに表示されているメールアドレス宛に写真を添付して、適当なタイトルをつけたメールを送れば良いのです(PCメールからも使うことができます)。すると、あなたが撮った写真の中に写っている人を自動認識して、あなたが入力したタイトルの文字が「(マンガの)吹き出し」として描かれた上、あなたのケータイに送り返されてくるのです。

 もしも、待ち合わせの場所に早く着いたようなとき、自分の顔写真をケータイで撮って、「遅い!」というタイトルを付けたメールに添付して送れば、マンガ化されたあなたが「遅い!」と吹き出し付きで喋っている画像ができあがあります。そして、その画像のアドレスが書かれたメールを待ち合わせ相手に送りつけてみるのもきっと面白いことでしょう。あるいは、怒った顔を撮影し、「燃える写真」のような加工をして、相手に送るのも効果があるかもしれません。もちろん、そんな二つの処理を組み合わせた画像加工エンジンを「画像加工サービス Imagenerator 」を使って作り出しても良いのです。

 画像加工サービス Imagenerator には、すでに色々な画像加工フィルタがありますし、自分で画像加工フィルタを新たに作ることもできます。顔文字メールならぬ、マンガ"吹き出し"付きのメールや、パズルの謎解きメールや…と色々な写メールを作り出して、送ってみるのはいかがでしょうか。

 電車に乗ればケータイを手にする人がいて、そして、街にはマンガ喫茶が溢れています。そんな「マンガ」と「ケータイ」というメディアが重なり合った場所には何があるだろう?そんな世界で、その世界が組み合わさったコミニュケーションというものがあるとしたら、それは一体どんなものだろう?と考えながら作ってみたのが、こんな一連のツールです。よくわからないままに、画像加工サービスを作ってみることができて、そしてそれをケータイやPCで使うことができる、そんな曖昧なツールです。


2007-07-01[n年前へ]

旧約聖書と「あぼーん」 

 先日、「文学を科学する」という本を読んで、こんな一節に惹かれた。

文章は書かれて発表されたとたんに、書き手の所有物ではなくなるのです。(その一方で)作者の手を放たれたテキストは読者の所有物になるのではありません。それは、…膨大な言葉同士の関係に入り込むのであって、つまり作者のものでも読者のものでもなくなるのです。作者のものなら作者の解釈だけが唯一の真実ですし、読者のものならどんな恣意的な解釈も可能です。しかし、それが作者のものでも読者のものでもないからこそ、文学作品は常に新しい読み方ができる、いいかえれば繰り返し読むことに耐えられるものになるのです。 「文学を科学する」 P.65 - 66
 この一節を読みつつ、ふと、巨大掲示板 2ちゃんねる の「あぼーん」という言葉を思い出した。問題がある発言が書き込まれた時、書き込みの題・内容・日時などがすべて 「あぼーん」と書き換えられるシステム、その「あぼーん」の語源を考えた時に考えたことが蘇ってきた。
投稿者の力が及ばない権限者が行う削除行為から、2ちゃんねる外の自分の発言やアカウント、またクルマやパソコンなどの私有物への表現にも使われ、あらゆる事柄に存在する「破損」「消失」「死」についての婉曲表現として「オレのPCがあぼーんした」などと動詞的に使われるようになった。はてなダイアリー あぼーんとは
 あぼーんの語源を検索すると、"a bone" (骸)という説や、マンガ「稲中卓球部」のセリフという説など、さまざまな説が出てくる。もしかしたら、作り手"ひろゆき"が異なる語源を語ったのかもしれないし、あるいは、たくさんの読み手たちが新しい解釈を、いつの間にか作り出していったのかもしれない。そんなたくさんある"あぼーん"の解釈の小さなひとつ、私が考えた"あぼーん"の語源は、こんな話だ。

 いつだったか、旧約聖書の解説書を読んだ。そして、創世記 第四章 「カインとアベル」の中に出てくるカインの過失・罰を意味する言葉が、本来のヘブライ語の聖書では「アボーン」という言葉だったということを知った。兄カインが弟アベルを殺した罪、その罪が故に、安住の地エデンから「エデンの東」へ追放されたことなどを一語で表現しているのが、ヘブライ語の「アボーン」である。その言葉を見たとき、これはまるで2ちゃんねるの「あぼーん」のようだ、と感じた。問題のある発言を掲示板の外へと移動させる「あぼーん」と、ヘブライ語「アボーン」は、三千年も時を隔てているけれど、不思議なくらいよく似ている。

初めに言葉があった。万物は言葉によって成った。言葉によらずに成ったものは ひとつもなかった。 新約聖書 ヨハネ福音書
 「文学を科学する」を読んだ頃、「インターネットのコメント・システム、異なる人たちが、時事についての意見を書き込むような場」から何が生み出されるのか、あるいは、どんな問題が起きてしまうのかを考える文章をよく見かけた。そういった文章を読みながら、同じ時期に旧約聖書と「あぼーん」について考えていたせいか、思い出したのが「全体は部分の総和以上のものであるか?」という、こんな文章である。
聖書は部分の総和以上のものであるか? もちろん。さまざまな物語や詩、それに異なるものの見方の混合が、個々の作者の夢にも思わなかったものを産み出した。「旧約聖書を推理する 本当は誰が書いたか」  R.E.フリードマン P.323

旧約聖書と「あぼーん」 

 先日、「文学を科学する」という本を読んで、こんな一節に惹かれた。

 文章は書かれて発表されたとたんに、書き手の所有物ではなくなるのです。
(その一方)作者の手を放たれたテキストは読者の所有物になるのではありません。それは、…膨大な言葉同士の関係に入り込むのであって、つまり作者のものでも読者のものでもなくなるのです。

 作者のものなら作者の解釈だけが唯一の真実ですし、読者のものならどんな恣意的な解釈も可能です。しかし、それが作者のものでも読者のものでもないからこそ、文学作品は常に新しい読み方ができる、いいかえれば繰り返し読むことに耐えられるものになるのです。

 「文学を科学する」 P.65 - 66
 この一節を読みつつ、ふと、巨大掲示板 2ちゃんねる の「あぼーん」という言葉を思い出した。問題がある発言が書き込まれた時、書き込みの題・内容・日時などがすべて 「あぼーん」と書き換えられるシステム、その「あぼーん」の語源を考えた時に考えたことが蘇ってきた。
投稿者の力が及ばない権限者が行う削除行為から、2ちゃんねる外の自分の発言やアカウント、またクルマやパソコンなどの私有物への表現にも使われ、あらゆる事柄に存在する「破損」「消失」「死」についての婉曲表現として「オレのPCがあぼーんした」などと動詞的に使われるようになった。

  はてなダイアリー あぼーんとは

 あぼーんの語源を検索すると、"a bone" (骸)という説や、マンガ「稲中卓球部」のセリフという説など、さまざまな説が出てくる。もしかしたら、作り手"ひろゆき"が異なる語源を語ったのかもしれないし、あるいは、たくさんの読み手たちが新しい解釈を、いつの間にか作り出していったのかもしれない。そんなたくさんある"あぼーん"の解釈の小さなひとつ、私が考えた"あぼーん"の語源は、こんな話だ。
 いつだったか、旧約聖書の解説書を読んだ。そして、創世記 第四章 「カインとアベル」の中に出てくるカインの過失・罰を意味する言葉が、本来のヘブライ語の聖書では「アボーン」という言葉だったということを知った。兄カインが弟アベルを殺した罪、その罪が故に、安住の地エデンから「エデンの東」へ追放されたことなどを一語で表現しているのが、ヘブライ語の「アボーン」である。その言葉を見たとき、これはまるで2ちゃんねるの「あぼーん」のようだ、と感じた。問題のある発言を掲示板の外へと移動させる「あぼーん」と、ヘブライ語「アボーン」は、三千年も時を隔てているけれど、不思議なくらいよく似ている。

初めに言葉があった。
万物は言葉によって成った。
言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。

 新約聖書 ヨハネ福音書

 「文学を科学する」を読んだ頃、「インターネットのコメント・システム、異なる人たちが、時事についての意見を書き込むような場」から何が生み出されるのか、あるいは、どんな問題が起きてしまうのかを考える文章をよく見かけた。そういった文章を読みながら、同じ時期に旧約聖書と「あぼーん」について考えていたせいか、なぜだか思い出したのが、「全体は部分の総和以上のものであるか?」という、こんな文章である。

聖書は部分の総和以上のものであるか?
もちろん。
さまざまな物語や詩、それに異なるものの見方の混合が、個々の作者の夢にも思わなかったものを産み出した。

 「旧約聖書を推理する—本当は誰が書いたか
 R.E.フリードマン P.323



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