hirax.net::Keywords::「電話」のブログ



2010-04-29[n年前へ]

歌詞で眺める「時代の風景」 

 Barbee Boysを聴きながら、「負けるもんか」の歌詞が耳に引っかかる。あぁ、ここにも技術の進歩で意味不明になりつつかる歌詞がある。この歌の頃は、硬貨を入れる公衆電話しか(多分)なかった時代だった。

 夜、公園の近くにある公衆電話に10円玉を入れて長電話する、そんな時代があったような気がする。歌詞は世相を映すというけれど、歌詞はその時代の技術や道具も的確に写しこんでいるものだなぁ。

近くまで来てるのよ。泊めてくれる?
いきなりで悪いけど、帰れないの。
ねぇ、いいでしょう?コインが無いわ。
詳しく話すから、着替えでも捜してて。

2010-12-12[n年前へ]

東京の街に出て来ました。 

 音の重なり鳴る音に、ただ心動かされる、くるり「東京

東京の街に出て来ました。
あい変わらずわけの解らない事言ってます。
恥ずかしい事ないように見えますか。
駅でたまに昔の君が懐かしくなります。
ついでにちょっと君にまた電話したくなった。
君がいるかな。でもすごくつらくなるんだろうな。

2011-08-06[n年前へ]

「地デジ化で消えた時報」と「3分10円の公衆電話」 

 TVのアナログ放送が終了し地デジに移行するとともに、TV放送からピッ・ピッ・ピッ・ポーンという時報も消えていきました(参考:携帯電話の同時性?::(2000.02.19))。デジタル放送になると…映りが悪いということが無くなって…ゼロかイチかで映るか・映らないのどちらかになってしまったり、チャンネルを変えても画面が映り・音声が再生されるまでに時間がかかったりします。だから、「時報」の意味がなくなって、TVの画面から「時報」の時計が消えました。

 時刻を電波で受信して自動的に時間を合わせ続ける時計が使われるようになったり、あるいは、ネットワーク経由で時刻を修正するということが普通に行われる時代になりました。そして、それとともに「時報」のように身の回りから消えていくものが多くあります。技術革新が進むと、かつてあったはずの「生活必需品」のことを、私たちは忘れていきます。

 1986年…今から25年前=四半世紀前の、種ともこの(小刻みに転調が繰り返されるのが印象的な)「10円でゴメンねHOT CHOCOLATE MIX はこちら)」を聴いていると、こんな歌詞が出てきます。

十円でゴメンね。言葉が出てこない。
ピンチのウルトラマンみたいさ。
制限時間、3ミニッツ。
 もしかしたら、いえ、もしかしなくても、もう解説無しでは…意味不明なのかもしれません。

 昔は、街の中には公衆電話があって、家以外からは公衆電話でしか電話を掛けることができなくて、電話の”親機”とか”子機”なんていうものは一般的ではなくて(「電話の歴史」のその3あたりです)、だから、好きな人の”家”に(他の人に聞かれずに)電話を掛けようとするなら、まずは公衆電話という時代でした。十円玉を入れ、市内電話なら3分まで話すことができる…というわけです。だから、地球上では3分までしか活動できないウルトラマンと同じ「制限時間、3ミニッツ」と歌い上げられているのです。もちろん、十円玉を投入し続ければいくらでも電話できるわけですが(相手に電話を切られない限りは)、3分10円、30分で100円、1時間で200円…ということは、1日話すと24時間で4800円というわけで、いつまでも(電話で)話すことができるわけではないのです。…当時は、なかなか「定額制」のラブコールができる時代ではなかった、というわけです。

 しかし、よくよく考えてみれば、直接会いながら話すのでなく、公衆電話から話すシチュエーションというのは、そもそも、あまり「芳(かんば)しい」状況ではないわけで、それはまさにピンチのウルトラマンでもあるし…もしかしたら、ウルトラマンというより(歓迎されないにも関わらず)地球にやってきた怪獣のような状況だったりしたように思われます。…つまりは、ウルトラマンに3分10円ナリの短い時間に「倒される運命の(歓迎されざる)怪獣」というわけです。

 地デジとともにTV画面から時報が消えました。そんなことを考えながら、TV画面の中で地球上から毎週のように消えていた「(3分10円の公衆電話で戦う)ガオーと叫びつつ倒される怪獣」を思い起こしました。技術革新とともに、かつての生活を、私たちは忘れていきます。…たまには、忘れかけていた「昔の生活」を、ふと想い出してみたくなりもします。

2014-02-10[n年前へ]

佐村河内という名字で考える「名字・地域分布」 

 「佐村河内という名字は珍しい」という話を聞いたので、電話帳を元にした名字/住所データベースを眺めてみると、確かに中国・九州の狭い地域に、ごく少数の世帯数だけが表示されます。

 名字の地域分布で遊んでみると、これが意外に面白いものです。たとえば、日本でトップクラスのメジャー感を誇る鈴木で検索すると、「そうか、静岡辺りから日本に進出した、まるで徳川一族みたいな名前だな!」とか、これまた数多そうな佐藤で検索すると、「そうか、佐藤は東北地方の名前だったか!」などと気づかされます。

 ためしに、自分の父方・母方の名字で検索してみると、出身県の長野県辺りの住所が見事にズラズラ並びました。名字→出身地域推定・解析は、何かしらの工夫をすると推定精度を上げることもできたりしそうで、ちょっと面白そうです。

 …ところで、日本で一番珍しい名字ってどういう名前なのでしょう? 減ることはあっても増えることはない名字。保護してやらないと消えてしまいそうな絶滅危惧種的名字って、一体どんなものがあるんでしょうか?



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