2002-03-16[n年前へ]
■あなたのとりこ
サントリー 緑水 光の中へ編。このCMとても好き。動画はリアルオーディオの方は私の環境ではパラパラマンガになってしまったので、メディアプレーヤーの方で見た方が良いかも。シルヴィ・バルタンのあなたのとりこがフルコーラスで聴けるのもありがたい。
主人公は女子大生。朝、陽光の射す駅のホームで人混みの中に最近知り合ったばかりの気になる男の子を見つけます。思わずこぼれる笑み。ところが次の瞬間、男の子の隣には親友の姿が…。そのまま列車に乗ると、いつしか列車は都会を離れ、郊外までやってきます。小さな駅に降りると周りは鮮やかなみどりにあふれ、太陽はなにもかもをキラキラと輝かせている…。(リンク)
2002-10-03[n年前へ]
■タダの新聞
今日のメモ。「日本でも初の無料朝刊メディア『HEADLINE TODAY』を発刊することとなりました。当初、首都圏を中心に、駅周辺での手配り、ラック設置に加え、他企業と連携しての配布など、これまで一般新聞がコストを強いられてきた宅配システムをあえてしない形で、普及を図る計画です。」(リンク)
2002-12-14[n年前へ]
■ぷちメディア雑感
少し前にぷちメディアというところから何やら宣伝メールが送られてきていた。面白いアイデアだとは思ったのだけれど、WEBサイト運営者には何らメリットが無いように思えたのでそのまま忘れてしまっていた。思うところを書くと長くなりそうだから、ゆっくりと書き加えてみようかな。
(中略)
結局のところ、少し毛色の変わったネットウォッチ板みたいなものか。それは、それでメリットがあるかもしれないが、そこに広告を出したりその広告料金で稼ぐということができるのか。
2002-12-23[n年前へ]
■「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか?
あなたが見たいものは何ですか?わたしは誰かに良い仕事をしたと言って欲しい。 from NEWS23 「あなたの物語」「誰でもない誰かの物語」 筑紫哲也はともかくも、この番組は見て良かったと思う。今から、再放送をして欲しいと強く願う。
大林宣彦の「私の視点」の一説を思い出す。「報道とは本来が客観的事実のみを伝えるものではなく、記者個人にとっての心の真実を伝えようと願うものであり、… つまりは、僕ら自身がメディアに何を求めているのかが、今問われている … 僕らメディアの受け手自身が、やじ馬ではなく署名入りの個人とならねばならぬ。僕らは、実は語る人間でもあるからだ。メディアもジャーナリズムも世論も僕ら自身であるからだ。」
だから、「テレビニュース」が世の中に与える影響は?とか、「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか?とか、そんな質問への答えは全て自分達に降りかかってくるに違いない。その「テレビニュース」の部分は全て「僕ら自身」と置き換えられるに違いない、と思う。そう思いながら、刻々流れる質問への答えを眺めている。
多かった答えは、
「テレビニュース」が世の中に与える影響は? -> 悪い
「テレビニュース」は信用できる -> No
「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか? -> Yes。
2003-01-03[n年前へ]
■キャッチボール その1
「わきめも」の「キャッチボール」を読みながら、ふとこんなことを考えた。
私にとっての私自身のWEBサイトは何だろうか。それは、多くの場合ひとりごとを漏らしてみる場のような気がする。公の空間の中で一人つぶやくひとりごとに似ているような気がする。
だから、私にとってそれはやっぱり「絵馬」とよく似ているように思う。それは、人のいる街中で、なのにその歩いているはずの人の姿がよく見えない街中で、たくさんの透明人間が生活をしているはずの人通りの中で、ひとりごとをつぶやいている感じによく似ているように思う。
そして、時折そのひとりごとに答えてくれる人がいる。ひとりごとに何処かにいる透明人間が答えてくれる一瞬だけ、透明人間は透明でなくなる。少なくとも、その瞬間には確かに目に見える人間が私のひとりごとに色んなアドバイスや返事をしてくれるように思う。その一瞬だけは透明人間ではなくて、そしてそれが繰り返されていると、それはいつの間にかれっきとした人間でしかなくなるように思う。そして、時にはそんな風に透明でなくなった人と実際に会ったりすることもある。
ボールをインターネットの霧の向こうに投げていると、不思議なことにたまにそのボールが返ってくる。人間同士のコミュニケーションとしてはとても洗練されていないぶん、とても不思議な気分になることがあるのも確かだと思う。飲み屋で例えるなら、偶然居合わせた何処かの誰かが突然私がつぶやいたひとりごとに割って入ってくる感じだ。一過性のそんなコミニュケーションと似ているような気がする。
ただ、とりあえずインターネットのキャッチボールで流れる時間の流れはとても速いようで、だけど、実はとてもゆっくりのような気もする。そしてまた、こんなメディアだからこそ、よく知っている人の意外な顔が見えたりもするのも、面白いところかも。