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1998-11-13[n年前へ]

明るさを測ろう。 

新技術の女神

 今日は浜松ホトニクス(http://www.hpk.co.jp/hpkj.htm)が主催している浜松 PHOTN FAIR 98を見に行った。入場する際に、全員に粗品として、照度計を配っていた。もちろん、私ももらった。

 というわけで、今回はいろいろな場所の明るさを測りたい。というわけで、帰る途中、照度計を片手に測り続けてみた。周りから見ると「変なおじさん」に見えたかもしれない。

いろいろな場所の照度 (左:場所、中央:照度(lx)、右:コメント)、
および、いくつかの環境下における理想照度
日が照っている時の新幹線ホーム(日陰部)
 位置は胸の高さで測定
3500
雑誌、文庫本を読んでいる人が多い。
日が陰った時の新幹線ホーム(日陰部)
 位置は胸の高さで測定
2000
明るい景色が目に入らないので、目が痛くなるということがない。
新幹線の太陽と反対の窓側(12:30)
位置はPCの液晶の上で測定
4500
明るく、PCのTFT液晶も見づらい。
トンネルに入った時の新幹線の窓側
位置はPCの液晶の上で測定
200
PCの液晶が見やすく、目も疲れない。
新幹線の太陽と同じ側の窓側(12:45)
位置はPCの液晶の上で測定
4500
日が直接当っている所が目に入り、目が疲れる。
居間の理想照度
50-100
これは結構暗い。日本人の居間は普通こんなに暗くないだろう。
便所の理想照度
50-100
一体、どのような基準で決めたのだろう?
廊下の理想照度
100-200
実験室の理想照度
200-750

  理想照度の例によれば、製図作業の場合で750-2500 lxということだから、「日が陰った時の新幹線ホーム(日陰部)」で本を読んでいるのは、なかなか理想的と言えるだろう。ただし、勉強机の理想照度は500-1000lxとなっている。この勉強机と製図作業の差がどこから来るのだろう?

 また、「教室、実験室」の理想照度が200-700であるから、PCで作業をするにはトンネルに入った時位でないと辛い。バッテリー駆動で液晶が暗くなっているなら、なお更である。同じ窓側で、太陽と同じ側と反対側でPCの液晶位置での照度自体は同じだったのは少し意外である。ただし、その位置で同じであっても、直接日に当っている所が視野に入るか、入らないかが大きく違う。そのため、目の疲れ方が違うことになる。それは、新幹線ホームの例でも同じである。

 上の表の下部にいくつかの環境下における理想照度を示した。ぜひ、測って自分の快適度と重ね合わせて実感してみたい。ちなみに、私の居室は400 lxであるから、なかなか良い感じである。

 ところで、「浜松ホトニクスを創業したグループが高柳健次郎に師事した人達であった」というのを初めて知った。高柳健次郎というのはTVを発明した日本人である。前に、NHKの朝の連続TV小説で題材となっていたから、知っている人も多いだろう。そのTVドラマ自体もとても面白かった。もちろん、同じような業界なので、浜松ホトニクスと高柳健次郎の間にどこかで接点はあっただろうと思っていたが、浜松ホトニクスがここまで高柳健次郎に影響を受けているというのが新鮮であった。浜松PHOTOND FAIRでも浜松ホトニクスの歴史を展示するブースで高柳健次郎の作ったTVと同じようなものを展示、実演していた。あの有名な「イ」という文字を表示していた。

 そして、高柳健次郎が強く感銘を受けたという言葉が掲げてあった。こういった内容だったと思う。

 「新技術の女神は後頭部ハゲだ。新技術の女神を捕まえようとして、後ろから女神を追いかけて後ろ髪を捕まえようとしても無駄だ。女神の正面に先回りし、正面から前髪を捕まえなければ、捕まえることはできない。」




1999-01-10[n年前へ]

宇宙人はどこにいる? 

画像復元を勉強してみたい その1

 知人から「自称UFO写真」というのものが冗談半分(いや100%位か)で送られてきた。その写真はボケボケの画像なので何がなんだかなんだかわからない。そこで、ぼけぼけ画像を復元する方法を勉強してみたい。UFOは冗談として、画像復元において進んでいるのは天文分野である。そこで、このようなタイトルなのである。もちろん、画像復元の問題は奥が深すぎるので、じっくりと時間をかけてみる。今回はMathematicaを使って試行錯誤を行った。

 ボケ画像を復元するには、ボケ画像がどのように出来ているかを考えなければならない。そこで、ごく単純なぼけ画像を考えてみる。まずは以下の画像のような場合である。

左の点画像が右のようにボケる
画像:1
画像:2
 右の点画像が何らかの理由で右の画像のようにボケる場合だ。焦点のボケた写真などはこんな感じだろう。例えば、これはレンズの焦点合わせがおかしいカメラの画像だと思ってみる。そのカメラで風景を撮るとこのようになる。
本来、左のような風景がボケて右の写真のようになる。
画像:3
画像:4
 偶然、写真にカメラが写っているが、偶然である。別にそのカメラが焦点がボケボケといっているわけではない。今回、やりたいことは右上の写真(画像:4)を元に、左上の写真(画像:3)を復元したいということである。

 画像:1のような点画像が、画像:2のような分布のボケ画像になるとすると、次のような関係が成り立つ。

(式:1) 画像:4 = 画像:3 * 画像:2

画像:1のような点画像が画像:2になるなら、それを参照すれば、画像:3のような点画像の集合がどう
ボケるかは計算できる。つまり、それが画像:4になる。ここで、*はコンボリューションを表している。
 よくある信号処理の話で言えば、画像:2はインパルス応答である。といっても、これはごくごく単純な場合(線形シフトインバリアントとかいろいろ条件がある)の話である。まずはそういう簡単な場合から始めてみる。

 このようなごく単純な場合には

(式:2) 画像:3 = 画像:4 * (1/画像:2)

とすれば、画像:3を復元できることになる。

そこで、まずは単純な1次元データで考える。下の画像:5のようにボケる場合を考える。ここでは、ガウス分布にボケるようにしてある。

赤い線で表したパルスデータが水色で表した分布にボケる
画像:5
(式:1より) ボケ画像 = オリジナル画像 * ボケ具合
であったが、* すなわち、コンボリューションは
逆フーリエ変換(フーリエ変換(オリジナル画像) x フーリエ変換(ボケ具合))
と表すことができる。つまり、周波数領域で掛け算をすれば良いわけである。
左がボケ画像、右がその周波数領域(フーリエ変換)
画像:6
画像:7
 右のボケ画像の周波数表示を見れば低周波数の量が多いのがわかる。結局、このモデルではボケると低周波数を増やすことになる。逆に(式:2)では高周波数の量を増やすことに相当する。だから、Photoshopなどの「シャープ」というプラグインはラプラシアンを用いて、高周波を増やしてやることでボケ低減を行っている。それほど、不自然ではない。しかし、そう近い画像復元ができるわけでもない。

 それでは、試しに適当な1次元データをつくって、画像:6とコンボリューションをとってやり、ボケさせてみる。

左が原画像、右が画像:6と画像:8のコンボリューションをとったボケ画像
画像:8
画像:9
 画像:8のパルスデータは、画像:9ではボケてしまい、判別不能である。そこで、

逆フーリエ変換(フーリエ変換(画像:9) / フーリエ変換(画像:7))

= InverseFourier[Fourier[Image8] / Fourier[Image6]]; (*Mathematica*)

とやると、次のデータが得られる。

復元されたデータ
画像:10
 これがインバースフィルターによる画像復元の方法である。FIR(Finite InpulseResponse)フィルタなどだろう。ところで、

(式:2) 画像:3 = 画像:4 * (1/画像:2)

を見るとわかるが、画像:2が周波数領域で0になる点があったりすると、計算することができない。また、0に近いとむやみな高周波数の増幅が行われて使えない。

 そこで、この方法の修正として、ウィーナフィルターなどの最小平均自乗誤差フィルターがある。これにも多くの不自然な条件のもとに計算される(らしい)。しかし、infoseek辺りで探した限りでは、ウィーナフィルターを用いた画像復元の標準であるらしい。

この方法は先の逆変換に対して、次のように変形されたものである。Mathematicaの表記をそのまま貼り付けたのでわかりにくいかもしれない。

Noise ノイズのパワースペクトル
Signal 信号のパワースペクトル
Boke ボケる様子のインパルス応答
Conjugate 複素共役
BokeData ボケ画像
ResData1 計算した復元画像

Boke1 = (Boke^2 + Noise/Signal)/Conjugate[Boke]; (*Mathematica*)
ResData1 = InverseFourier[Fourier[BokeData] / Fourier[Boke1]]; (*Mathematica*)

である。Noise/SignalはS/N比の逆数であるから、SN比の大きいところではインバースフィルターに近づく。また、インバースフィルターの計算不能な点が消えている。

 これを使って復元してみたのが、次のデータである。

ウィーナフィルターを用いた復元
画像:11
 他にも、いろいろ変形っぽいものがあるが、とりあえず、1次元での練習はここまでにして、2次元で画像復元を行ってみる。

 まずは、ボケのフィルター(PSF=PointSpreadFunction(どのようにボケるかを示すもの)、2次元のインパルス応答)である。

ボケのフィルター(インパルス応答)
画像:12
 それでは、画像をボケさせる。右のボケ画像が全体的に暗いのは左とレンジが表示の違うからである。同じレンジにすると真っ白(真ん中辺りはちょっと灰色)になる。
左がオリジナル画像、右はボケた画像
画像:13
画像:14
 それでは、インバースフィルターを用いて画像を復元させてみる。
復元した画像
 うまく再現できている。今回はノイズも混入していないしPSF(PointSpreadFunction)もわかっているのだから、復元できて当然である。他の射影フィルタ、最大エントロピー・フィルタ、一般逆行列法、SVD法等については今回はまだ挑戦してみていない。
 その他線形の画像復元法をいくつか調べたが、ウィーナフィルターやインバースフィルターとほとんど同じような物が(素人目には)多かった。そこで、ウィーナフィルタなどとはやり方がかなり異なるものについて、いずれ挑戦してみたい。

 関係はないが、ウィナーと言えばサイバネティクスが思い浮かんでしまう。当然、ロゲルギストが連想されるわけだが、文庫本か何かで岩波版と中公版の「物理の散歩道」が安く売り出されないのだろうか?売れると思うんだけど。新書版は高すぎる。

 宇宙人はどこにいるか? そういった話は専門家に聞いて欲しい。わからないとは思うが。

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 さて、ここからは、1999.01.24に書いている。シンクロニシティとでも言うのか、今回の一週間後の1999.01.17に
日本テレビ系『特命リサーチ200X』で

地球外生命体は存在するのか?( http://www.ntv.co.jp/FERC/research/19990117/f0220.html )

という回があった。何とこの回のコメンテーターは先の専門家と同じなのだ。偶然とは面白いものだ。

2000-02-27[n年前へ]

「文学論」と光学系 

漱石の面白さ

 前回、

さて、モナリザと言うと、夏目漱石と「モナリサ」にも言及しなければならないだろう。
と書いた。何しろという具合に、「できるかな?」では漱石が結構レギュラー出演している(させている?)のである。当然、「モナリザ」ときたら漱石を出演させないわけがない。

 その漱石は「永日小品(リンク先は青空文庫)」(リンク先は青空文庫)の「モナリサ」中で

「モナリサの唇には女性(にょしょう)の謎(なぞ)がある。原始以降この謎を描き得たものはダ・ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」
と書いている。女性には興味がなかったとも言われ、ずっと付き添っていた男性との関係も噂されるダ・ヴィンチである。ここらへんは、果たしてどうか?とも思う。むしろ、新宿のホストクラブのホストの方が女性(にょしょう)の謎(なぞ)については詳しいのではないかとも私は考えたりもする。
 が、そんなことはどうでも良い。漱石はレオナルド・ダ・ビンチのモナリザに興味を持ち、小品を書き上げたのである。そこで、漱石とダ・ヴィンチの相似点を考えてみたい。

 レオナルド・ダ・ビンチの著作には「文学論」というものがある。漱石にも同じ名前の「文学論」がある。この「文学論」はこれまで読んだことがなかったのだが、

  • 「漱石の美術愛」推理ノート 新関公子 平凡社 ISBN4-582-82927-9
を読んで急に読みたくなった。それは、この本の中で
  • 遠近法
  • 漱石の文学論の「公式」
の関係について触れられていたからである。レオナルド・ダ・ビンチも遠近法についてはうるさかったが、漱石も何故か遠近法にうるさいとなれば、非常に面白い話である。そこで、図書館で漱石の「文学論」を借りてきて眺めてみた。

 これが、とても面白い。仮名遣いが古いため、なかなか目に入ってこないのであるが、とても面白い。これは絶対に文庫本にすべきである。眺めているだけでも面白い。

 まずは、冒頭のフレーズがいきなりこうである。

 およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。
 まるで、理系の教科書である。そして、目次(編)を大雑把にさらってみる。
  1. 文学的内容の分類
  2. 文学的内容の数量的変化
  3. 文学的内容の特質
  4. 文学的内容の相互関係
  5. 集合的F
 すごい。当時の文学論とは思えないような内容である。この「文学論」の中では先の公式(F+f)を軸として話が進んでいく。例えば、章のタイトルでいうと- 文学的Fと科学的Fとの比較一般 - といった感じである。
 また、「文学論」中では、例えば、浪漫派と写実派の違いについて数値的な比較を通じて述べられていたりする。実に「科学的」な思考による「文学論」である。いや本当に漱石は凄い。

 さて、中の文章を解説する力は私にはない。そこで、中の図表を示してみることにする。そこで適当に思うことなどを書いてみようと思う。

 次に示すのは、「文学論」の冒頭の方で「意識の焦点・波形」を説明した図である。
 

意識の焦点・波形

漱石全集第十一巻より

 この図は人間が何かを感じるときには焦点にピークがある、そして、その周りはぼやけたものが連続的に続いているということを示したものだ。これなど、

の時の「恋のインパルス応答」を彷彿とさせる。あの時の「恋のインパルス応答」を次に示してみる。
 
左:出会い(F)、右:それにより意識される恋心(f)

 この意識される恋心(f)は先の「意識の波形」と全く同じである。ある出来事(F)と、それに付着する情緒(f)を示したものとなるわけだ。付着する情緒(f)というのは中心が一番大きく、その周りにぼやけたものが繋がっているというわけである。人間の感じ方・情緒を光学系と結びつけているわけだ。
 いやはや、「恋のインパルス応答」と同じようなことを考える人はやはりいるものである。まさかそれが漱石だとは思いもしなかった。しかも時代を考えると凄まじい、としか言いようがない。

 そして、さらに次に示すのは

 およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。
ということを示す図である。先の - 「漱石の美術愛」推理ノート - ではこの図と遠近法の関連が述べられている。
 
「文学の焦点」

漱石全集第十一巻より

 ここで、縦軸は「時間」となっており、横軸は「色々な出来事」である。ある人が感じた「色々な出来事」を時間方向に収斂させていくと、そこには「作者自身の視点がある」というわけだ。これが漱石の言う「文学論」の中心である。

 この図などカメラや望遠鏡の光学系を彷彿とさせる。「光学系の一例」を以下に示す。
 

「光学系の一例」

 先の「文学の焦点」を示した図はレンズで光を焦点に集めるのと全く同じだ。いや、「焦点から光を投光する」のと同じと言った方が良いだろうか。以前、

で、
 景色に焦点を合わせて、フィルムに結像させるのがカメラだ。しかし、フィルムに写っているのは単なる景色ではない。カメラの光が集まる焦点にフィルムが位置していると思い込むとわからなくなる。逆から考えてみれば簡単に判るはずだ。カメラの視点にフィルムが位置しているのだ。フィルムに景色が写っているのではなく、フィルムが景色を選び、景色を切り取っているのである。

 写真に写っているのは、撮影者の視点なのである。写真を見れば、撮影者が、どこに立ち、何を見てるかが浮かび上がってくるはずである。フィルムに写っているのは撮影者自身なのだ。

と書いたのと全く同じである。その光学系には歪みもあるかもしれないし、色フィルターもかかっているかもしれない。しかし、とにかく焦点にはその人自身がいるのである。

 写真でも文章でもとにかく何であっても、色々感じたことを表現していく時、その焦点には表現者自身がいる。私の大好きなこの2000/2/25の日記なんか、実にそれを感じるのである。
 

2000-07-08[n年前へ]

うれし、たのしい、「大人の科学」 

エジソン式コップ蓄音機

 先日、町田の東急ハンズをぶらぶらとしていた時に、こんな本を見つけた。
 

学研の「科学」と「学習」編 100円ショップで大実験! 監修:大山光春
  • 学研の「科学」と「学習」編 100円ショップで大実験! 監修:大山光春
である。以前、でも学研の科学の付録で遊んでみたが、学研の「科学」(「学習」では断じてなくて)に影響されている人は多いはずだ。影響どころか、それで理系に進んだという人だって、きっといるはずだ。むろん、私も学研の科学が大好きだったので、学研の「科学」と「学習」編という名前だけで思わず購入してしまった。文庫本だし、実験材料が100円ショップで売ってる格安モノだし、いいことずくめだからである。

 そして、この本の中でも、特に興味を惹かれた実験がこの「ファイルシート蓄音機」である。ファイルシートでソノシートを作ってやろうというものである。軟らかくて、同時に少し硬い材質のもに音の振動を刻み付けて記録・再生するという、エジソンが発明した蓄音機そのものの構造の機械を簡単に作ろうという話である。
 

「ファイルシート蓄音機」 コップでシートに録音

 私は以前から、うれし懐かしの「ソノシート」を作ってみたいと思っていたので、この記事を見つけたときは思わず声が出そうになった。いやはや、さすが学研の「科学」編集部である。もしや、これは私のために?と思ってしまう程である。(学研の科学で育った人たちは、きっとみなそう思うことだろう。)

 ところで、もしかしたら「ソノシート」を知らない人がいるかもしれない。そこで、念のために辞書で「ソノシート」をひいたものを書いておこう。

ソノシート (商標名Sonosheet)音の出る雑誌「ソノラマ」用にフランスで開発されたビニールレコード。(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition)  Shogakukan1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988)
知らない人はほとんどいないとは思うが、ソノシートは見た目は赤や青の薄っぺらくてペラペラなレコードである。昔は雑誌によく付録でついていた。そこに録音されているものは、テレビの主題歌だったり、声のドラマだったり、色々なおしゃべりだったりした。そして、私の記憶が確かならば、確かどこかのコンピュータ雑誌でソノシートを使ってのプログラム配布なども行われたこともあったと思う。

 それはさておき、この「ファイルシート蓄音機」を私もぜひ作ってみよう、と思っていた。ただ、、この記事そのままだと録音可能な時間が短いので、それでは少しつまらない。そこで、そこをどうしたものかとずっと悩んでいたのである。そのため、なかなか製作に取り掛かることができないでいた。

 ところが、これまた先日面白いものを見つけた。それは

である。これは、学研の「科学」で育った大人に向けて、学研の「科学」と「学習」が贈る「大人の科学の付録」だ。科学が好きな人向けの「大人の科学」であり、「大人のおもちゃ」なのである。「大人の科学」とか「大人のおもちゃ」という言葉は、何か誤解されそうな響きがある。特に、「最近、話題の傾向が何か変!?」と言われている、ここで書くと絶対に誤解されてしまいそうである。

 しかし、そんな杞憂は無用のココロだ。これは、学研の「科学」と「学習」が、「昔子どもだった大人」に贈る、タイムカプセルなのである。あの頃と変わらない、「ワクワクする心」を思い出させてくれるプレゼントなのである。これは私達を、「昔、見ていた夢」がいきなり目の前に現れたような気持ちにさせるである。

 少し長くなったが、その「大人の科学」の第一作がこの「エジソン式コップ蓄音機」である。
 

「エジソン式コップ蓄音機」

先程の「ファイルシート蓄音機」からはるかに性能が改良され、なんと20秒近くの録音が可能なのである。もちろん、迷うことなく私は購入を決めた。そして、何日か前に、送られてきたものを今日の朝に組み立ててみた。製作時間は20分位である。作ってるときの気持ちは、もう学研の「科学」の付録で遊んでるあの頃と同じだ。

 その組み立ててみた「エジソン式コップ蓄音機」が次の写真である。上の紙カップの底に針が着いていて、下の回転する透明カップの表面に紙カップの底の振動を溝として記録するのである。もちろん、再生のときはその逆である。透明カップの表面に刻まれた溝の揺れを針がなぞって、そして紙カップの底を振動させるのである。
 

「エジソン式コップ蓄音機」を組み立てたもの

 この「エジソン式コップ蓄音機」の構造自体は、先の「ファイルシート蓄音機」とかなり似ていることがわかる。紙カップと針の部分など全く同じである。もし、「3000円程の「エジソン式コップ蓄音機」が高い」と感じるのであれば、100円ショップで材料を揃えて「ファイルシート蓄音機」を作製してみるのもきっと面白いだろう。

 「エジソン式コップ蓄音機」の針がコップに刻んだ溝をなぞっている様子を次に示してみよう。音を再生している時にも、溝を少し削ってしまい、削りかすが出ているのが見えるだろう。
 

「エジソン式コップ蓄音機」 コップに刻んだ溝を針がなぞっている様子

 というわけで、もちろん私もエジソンと同じく「メリーさんの羊」を録音してみた。大きい声で歌っても、再生される「歌声」はとても小さい。いや、再生される「音」はうるさいくらいに大きいのだけれど、「歌声」はかすかにしか聞こえない。それでも、雑音の遠くで聞こえる人の声は、とても懐かしくていい響きがする。もちろん、実際にはガーガーうるさくて、私の声なんか微かにしか聞こえないのだけれど、そんなことはどうでもいいのだ。だって、あの科学の付録なんだから。それだけで、十分だ。もちろん、これの改良作業は早速始めるつもりだ。もう「大人」だからね。
 

2000-08-30[n年前へ]

六の宮の姫君 

さがし続けても、見つからない

六の宮の姫君

 先日、創元推理文庫から出ている北村薫の「六の宮の姫君」を買った。日常の小さな(時には大きな)謎を解き明かして、そしてさらに奥深い何かを解き明かしていく「円紫師匠と私」シリーズの内の一作である。ハードカバーのものは既に買って持っていたのだが、文庫本についていた解説が面白かったので文庫版もついつい買ってしまった。

 この文庫版の解説の中で一番面白かったのは、創元推理文庫から出ているものにはどれも英文のタイトルも付けられているということだった。言われてみれば確かにその通りで、横文字のタイトルが付けられていたのであるが、それを今まで特に気にしたことがなかった。「目の前にあるけど気付かないこと」というのはいたるところにたくさん溢れていて、そういったことを気付かせてくれる解説というのはとても面白いと思う。

 北村薫の本で言うと「覆面作家の愛の歌」の角川文庫版の解説なんかもそうで、こちらでは文章の陰に隠れている「もう一つの物語」のことが書いてある。この解説を読まなければ、北村薫のさりげないけれどどうしても書かずにはいられなかった思いを汲み取ることはできなかっただろう。行間に隠されているからこそ、その思いの強さを感じるのだ。というわけで、こちらも当然のごとくハードカバーを持っているにも関わらず、文庫本もやはり買ってしまった。

 さて、北村薫の「六の宮の姫君」のもうひとつのタイトルは"A Gateway ToLife"で「人生の門出」である。そして、この話の中の主題の一つともなっている芥川龍之介の「六の宮の姫君」に描かれているのは「人生の中で何かをさがし続けても、見つからなかった人生の終わり」だ。

 今回は芥川の「六の宮の姫君」の中に登場する「言葉」を調べてみることで、「六の宮の姫君」の「何かが見つからない=何も見つからない」哀しいようすをそっと見てみたい、と思う。

 そこで、

から得た文章の中から「探しているものの答え・救い」などを意味するであろう「蓮華」の出現分布と、何かを探しても、「何も見つからない」ようすである「何も」の出現分布を比較してみることにした。今回も前回と同じく、wordfreqを使って解析を行ってみることにする。早速調べた結果が以下に示す二つの図である。左が「蓮華(=救い)」の出現分布で、右が「何も」の出現分布である。
 
「蓮華(=救い)」と「何も」の出現分布
「蓮華」の出現分布
「何も」の出現分布

 右が「何も」の出現分布を見れば一目瞭然だと思うが、芥川の「六の宮の姫君」では「姫君」は話の最初から最後まで「何もない・見つからない」ようすで哀しく生きている。ただ、話の終盤で一瞬その「何か」が見えかける。それが、左の「蓮華」である。ただ、それもすぐに「六の宮の姫君」には見えなくなってしまい、また「何もない・見つからない」まま「六の宮の姫君」は一生を終えるのである。

 こんな「さがし続けても、見つからない」というような話は、もちろん古い話に限らず現代の歌謡曲などでも数多くある。「探したけれど、見つからないのに...」とかすぐ口づさめるものがきっとあるはずだ。そしてさらにもちろん、そんな「さがしもの」は歌の中だけの話ではない。きっと百人の人がいたら百種類の「さがしもの」があるはずだ。そんな百人百様の「さがしもの」が見つかるか見つからないのか、それは誰にも判らない。
 



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