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2008-04-18[n年前へ]

「自分で作った道具」で「自分が作るもの」と「クラス分け」 

 よく、「使う道具次第で、作る内容は違ってくる」と言われる。インターネット上の道具で言えば、ネット関連の日記ツールの「指向性」次第で、そのツールを使って書かれる内容は異なってくる、と言われる。もしも、繋がりを作るのが容易なツールであれば、繋がりを意識した内容になるだろうし、「意識して作業しなければ繋がりが作られないツール」を使うのであれば、あまり繋がりを意識した内容にはならない。コメントを重視した道具であればコメント主体になるし、コンテンツ志向の道具であれば、当然コンテンツが充実してくる。それは、自然なことだと思う。

 なぜそれが自然かと言うと、多くの場合、道具が指向する方向を、それを使う人は意識するからだろう。その道具が得意な方向に、つまり道具が導く流れの(一言で言ってしまえば楽に作業できる)方向に、人の努力は向かう。だから、「使う道具次第で、作る内容は違ってくる」のだと思っている。

 少し前に、サーバアプリを(静的HTML+hns(hyper nikki system)から自作ツールに変えた時、つまりWEBサーバ側のコンテンツ作成ツールを開発しようとした際には、WEBサーバに「どんな内容のことを書き連ね・どんなものを溜めている(溜めたい)のだろうか」ということを考えた。「使う道具次第で、作る内容は違ってくる」のが真実だとしたら、どんな「道具を作るべきなのか=どんなことを(その道具を使って)作りたいのか」を考え直す作業をした。

 「自分が何かを書くために、そのためのツールを作る」というのはとても新鮮な作業だった。なぜなら、結局のところ、それは「自分が何をしたいのか」ということを考える作業でもあったからだ。

 サーバアプリはRailsを使って適当に作った。その構造を大雑把に言えば、画像アップロード・他サイトリンク(リンク先サムネイル作成/全文キャッシュ)などの機能を備えたContentクラスを作り、Contentクラスを継承して、Articleクラス(できるかな?)とMemoクラス(inside out)とBookmarkクラス(現状Tech-logs)があり、それら全てのContentを継承したクラス間をKeywordクラスが(Keywordクラス自身も含め)繋いでいる、という具合である。そういったクラス継承に頼った道具の造り・構造は、Ruby on Railsという道具をさらに使ったためである。(また、デザイン/CSSはtDiary系互換にし、自分でそういった作業をすることは止めた。)

 Article(できるかな?)とMemo(inside out)とBookmark(現状Tech-logs) という各クラス分けされた道具に影響され、それまでとは書く位置づけ・方向性はやはり異なってきたように思う。inside outからは、コメント程度のBookmark的要素(現状Tech-logs)が消え、その分、Articleクラス(できるかな?)に近づき、Articleクラスからは、Memoクラス(inside out)的に書いた小品は消える、という具合だ。

 とりあえず、自分のために作ったツールだから、自分が使うためには一番いい。けれど、クラス分けし過ぎたような気にもなる。本来、曖昧な境界線しかないものを、別なものとしてクラス分けしたことの弊害が、きっとどこかに出てくるに違いない。キーワードでその分離を補うことを狙ったのだけれど、キーワード連携ではどうやら力不足のようだ。

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