2010-03-17[n年前へ]
■「生まれ変わる自分」と「付き合う相手」と「理系と文系」
「理系と文系」といった分類については、多くの人が一度は考えてみることがある話だと思っていますし、あるいは、一度は考えなければいけない時期があるのかもしれないとも、思っています。さらには、そんな二択の選択肢のどちらかを、選ばなければいけないように見えるときも、あるのかもしれません。
とはいえ、多くの人は、そういう話題・時期からは離れ・いつの間にか卒業していくものだとも、思っています。それでも、たまには、そんな話題を思い出し考えることもあります。
「理系女子向けのコミュニティ雑誌」を手に取り読んでいると、「生まれ変わるなら、理系と文系のどちらを選ぶか?」「付き合う相手は、理系と文系のどちらが良いか?」を男性・女性/理系・文系の計4種類の人たちに聞いたアンケート結果がありました。そのアンケート結果が、とても興味深いものだったので、その記事を撮影してみました。それが、下のスナップ写真です。
このアンケート結果を眺めたとき、そこから見えてくるのは、理系と文系という二者選択が仮にあったとするのなら、そしてそこに自分の好みというものがないのだったとするならば、文系を選んだ方が良さそうだということです。”いわゆる”理系と文系の男女比率がどのようなものであるかに寄りますが、そのような「答え」が自然に思われます。
この話は、忘れなければ、もう少し続けようと思います。もちろん、適当に、時間をおいつつ、になるとは思いますが…。
2010-05-27[n年前へ]
■人生の岐路である選択肢を選ぶということ
「彼女たちのドラマ―シナリオライターになった女性たち 」の中で、大石静が語る言葉から。
人生の過程で、人はいろいろなことをあきらめなければいけない。人生の岐路である選択肢を選ぶということは、その他の選択肢をすべて捨てるということを意味します。小さな子供のときにはいろいろ可能性があるように、大人は言いますが、実は無数の可能性を断念して生きていくのが人生なんです。
2010-06-03[n年前へ]
■「選ばなかった人の物語」
「選ばなかった道」
選ばなかった人の物語は、成功者や失敗者の物語に比べれば華やかさに欠けるかもしれないけれど、実際に分かれ道に立って選んだ時の葛藤に思いを馳せれば、同じくらい劇的な人生であるはずなのだ。成功者のわかりやすい物語よりも、一見「平凡」な人生に隠された、そういったドラマをもっと知りたいと思う。
成功者の視点から語られる物語は、たいていの場合、とても単純明快でわかりやすい。けれど、選ばなかった人の物語は螺旋階段のようにわかりにくい。「選ばなかった人」は「決断を容易にする人」を憧れと同時に冷めた目で眺め、決断を容易にする人は、「選べない人」を…じれったく情けなく思うのだろう。
Appleが華やかだった時代、Apple][のコンパチ基板が秋葉原にあふれていた時代、月に数度、秋葉原に行った。その後、NeXTが消える寸前になり(少なくとも、当時はそう感じていた)、Appleの株券が「燃えるゴミ」同然になっていた時も、秋葉原に行っていた。今この瞬間は、Appleは調子がいいようだ。
海辺の景色を眺めれば、毎日繰り返されてる「潮の満ち引き」が見える。テクノロジーとビジネスの世界も、たぶん、きっと同じなんだろう。
ただ、そんな風に、一歩ひいて眺めていたら何かを選ぶことはできないはずだ、ということもわかる。
2010-08-25[n年前へ]
■「自分が心動くものを追いかけていきたい」
「働かないという選択肢があってもいい」 "リア充ニート"phaが考える社会とのかかわり方
──将来に対してビジョンってあるんですか。
pha 動き続けていたいですね。今やっていることにこだわって、それをやり続けるとかじゃなくて、自分が心動くものを追いかけていきたいっていうのがあります。
2011-02-14[n年前へ]
■「何かを賭ける」と「誰かに向けたプレゼント」
初対面の知人と飲みながら、ふと考え込んでしまいました。間違いなく、この人にはとても能力があるのだろうと想像されたので、その人が持つ「ポテンシャル=潜在的な力」や「可能性」そして「選択」といった言葉を連想して頭が無限ループに入り込んでしまい、黙り込んでしまったのです。そして、無邪気に何かを言うこともできなくて・・・どうしても言葉が見つからなくなってしまったのです。
飲んだ後、しりあがり寿「人並みといふこと 」を読み直しました。
僕らはチップを手に「どの目に賭けたらいいのか?」ルーレットの前で途方に暮れている。・・・目の前のルーレットは、速度を増し、目を変え、回り続ける。時間ややる気はあっても、それを何に賭けたらいいのだろう?
…モノゴトは流行っては廃れ、盛者必衰はひっきりなし、善悪や好悪や敵味方やあらゆる価値観までもがルーレットの目の上に乗せられ、「ここに賭けて」と悲鳴を上げている。
そのうえ、いつだって賭けなかった方の目、失われた別の可能性の亡霊がボクたちを苛出せる。
しりあがり寿「人並みといふこと 」
十年ほど前、誰かが提唱したこんな遊びがありました。
「街のどこかに、見ず知らずの誰かに向けて、プレゼントを隠す。それを見つけてしまった誰かは、そのプレゼントを受け取る。そして、次の(会ったこともない)誰かに向けて、プレゼントをどこかに隠す」
もしも、初対面の誰かに向けたプレゼントを街のどこかに隠すなら、この「人並みといふこと
」にカバーをかけてどこかの隅に置いておこうか、などと考えます。
先に引用したのは「人並みといふこと 」の「おわりに」に書かれている言葉です。この本の「はじめに」の冒頭は、「もう十年近く前、会社を辞めた」という一文からはじまります。