hirax.net::inside out::2010年08月25日

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2010-08-25[n年前へ]

もしも「ケータイ向けのエディタ」で書いたなら 

 電車に乗ると、ケータイの画面を見つめている人の多さをいつも感じます。そんな風に感じつつ、自分自身ケータイをポケットから取り出し、メールを読んでいたりします。

 新聞や文庫本や新書やケータイ…それらは画面の広さや文字の大きさやレイアウトや見やすさが違うわけですから、自(おの)ずと読み方も違ってきますし、当然それらのデバイスに書かれている内容も異なっているのだろうと思います。

 「ケータイ向けのエディタ」というものはあるのでしょうか?さまざまなケータイ機種の画面と同じ表示をしてくれて・その画面上でWYSIWYGに文章を作り・編集することができるというような文章作成エディタです。いわば、各ケータイ機種のスキンを適用することができるエディタです。

 この文章はブラウザ上のフォーム中で書いています。もしも、この文章を「ケータイ向けのエディタ」で入力するのであれば、自然と、違う形式の文体で、少し違う内容のものに変化してしまうような気がします。

 既存の「ケータイ向けのエディタ」を、もしそういうものがあるとしたら、入手して使ってみたり、あるいはそういうものがないとしたら、自分で作って使ってみたりすると、どんな風に変化するだろう?と思います。

 右の画面は、列車に乗り旅をする、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」をケータイ風画面で眺めてみたものです。電車の中でケータイ画面を眺めるとしたら、もしも、宮沢賢治がそんな人たちを相手に文章を書き連ねていたとしたら、一体「銀河鉄道の夜」はどんな文体のどんな内容の物語になっていたのでしょうか。

星座の絵を指さし、教師が言った。

「この白い川みたいに見えるのは、 本当は何だか知ってますか」

カムパネルラや、何人も手をあげたから、-----自分も手をあげようとしたけれど、やっぱり止めた。

 本の中で読む物語と、ケータイの中の物語というものは、それぞれどんな姿をしているものなのでしょうか。

「ケータイ向けのエディタ」