hirax.net::Keywords::「雑誌」のブログ



2005-01-02[n年前へ]

紙媒体とWEB媒体 

 今日思い出した去年の話。

紙でなくWEB媒体になって、雑誌(サイト)デザインのリニューアルにずいぶんと時間がかかるようになった。

2005-01-04[n年前へ]

「津波と人間」 

 新聞やテレビといった報道機関、あるいは、ネット上のさまざまなサイトでスマトラ沖地震に関する話をみる。「地震・津波に関する知識や予報・警告環境の整備によって災害を未然に防ぐ」というような言葉をよく見かける。来月の今頃は、そんな言葉をどのくらい見ることができるのだろうか。来年ならば、どうだろうか。再来年ならば、どうだろう。

「科学と科学者のはなし」 1933年3月3日、三陸沖地震が起きた。3千人の命が消えたこの地震・津波の直後に寺田寅彦が雑誌に発表した文章が「津波と人間」だ。この文章中で、寺田寅彦は「地震・津波に関する知識や予報・警告環境の整備によって災害を未然に防ぐ、という論」を挙げた上で、「しかし、年月を経るうちに人はその災害を忘れ、世代も移り変わり、その教訓は容易には生かされないだろう」と書く。つまり、「地震・津波が次にやってくる時には、人は前回の教訓をすでに忘れている、だからこそ災害が繰り返し起きるのだろう」と書く。その寺田寅彦が繰り返し唱えた思想を、一言で言えば、「天災は忘れた頃に来る(天災は忘れた頃にやってくる)」ということになるのだろう。

 「地震・津波に関する知識や予報・警告環境の整備によって災害を未然に防ぐ」というようなことは遙か昔から(寺田寅彦でさえ70年以上前だ)、何度も繰り返し言われたことだと思う。何度も繰り返し言われても、それは人はいつも忘れ続けるのかもしれない、と思う。「天災は忘れた頃に来る」という言葉、言い換えれば、「忘れなければ、天災は来ない」という言葉、は何度も繰り返し口に出されるべきだろうと思う。忘れさえしなければ、天災は来ないのだ。

 しかし、その一方で「忘れる」ということは人にとって自然で、何かしら生きて発展していくための原動力であるだろうとも思う。数ヶ月先、あるいは例えば来年に、地震や津波のことなんて忘れ去られ、今回の被害地が同じように人で賑わっているとしたら、それもまたとても自然なのだろうと思う。人が忘れることが「自然」であるならば、人が忘れることにより生じる災害はやはり「人災」でなく「天災」なのかもしれない。だから、「天災は忘れた頃にやって来る」のだ。


2005-03-26[n年前へ]

北米で英語版少女マンガ雑誌"SHOJO BEAT" 

日経プレスリリースVIZ, LLC . downloads . boys over flowers online mangaSeeing Japan through Comics

2005-05-28[n年前へ]

整髪剤の散布図 

Untitled 最近、良い感じに作られたグラフを見かけるようになった。大雑把な印象では、広告や雑誌で、散布図を特に多く見かけるようになった気がする。
 というわけで、これが今日見た「整髪剤の散布グラフ」


2005-06-11[n年前へ]

「本の雑誌社 8年振りの社員募集」 

 本の雑誌社が8年振りに社員募集する。



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