2005-12-31[n年前へ]
■今年書いた「12のこと」
今年一年12ヶ月、その中で書いたものを眺め直して、その中から「12のこと」を拾い直してみました。
1.『「四捨五入と五捨五入」』
2.『続「変わらないということは、変わるということ」』
3.『「マクルーハンから鴻上尚史」再び』
何かのための「スペース」を作ること、何かを指した「名前」をつけること、というのは似ています。もちろん、そういった要求があるから、でしょうけれど。
4.『紙と仕事や伝言の量』
5.『「狭い世界(せかい)」と「世間(せけん)が狭い」』
6.『自分の力と自分の個性』
7.『「過去」の長さと同じだけ先の「未来」が見える』
8.『「ルートを外して、色んなものを眺めてみたい」』
9.『「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」、続「井の中の蛙(かわず)」』
10.『「長い文章を書くということ」』
11.『「想像力」と「創造力」』
12.『「WEBコンテンツの変化」と「悪は滅びる」』
2006-02-26[n年前へ]
■コミュニケーションの距離感覚
from n年前へ.
「電話は生々しくうっとうしく、メールの距離こそが気持ちいい」と感じる人は間違いなく増えています。それは、電話が普及した当時、「直接会って言うより、電話で話す方が楽で話も弾む」と感じる人が増えていった流れと同じです。 鴻上尚史「ドン・キホーテのピアス」
2006-04-05[n年前へ]
■「今や、数の原則がメインカルチャーを担っている」
各種締め切りに追われていた。気づくと、ポケットにたくさん破った紙が入っている。移動途中などに雑誌を読んで、「気になったページ」を破りとったするからだ。というわけで、ポケットの底に入っていたのが、この「今や、数の原則がメインカルチャーを担っている」 ホリエモンと数の原則について、何回か連続して書かれたうちの一回。
数に還元しないもうひとつの世界観があるんだということを知らない世代は、そもそも、どうして演劇ジャーナリストがぼやいているのかも分からないでしょう。 人は、数の原則をメインカルチャーの基準にしようと願ったのではないかと思います。中途半端な数だと、サブカルチャーになるけれど、圧倒的な存在はメインカルチャーになる。 鴻上尚史 「ドン・キホーテのピアス」555回
2006-04-11[n年前へ]
■各種ツールとネーミングセンス
今日の「n年前へ」は『「マクルーハンから鴻上尚史」再び』『製造業のネーミングセンスはどうにかならんものか。』など、です。
コメント欄が溢れる各種ツールを使っていると、自分がすぐに「コメントをつけるだけの人」になってしまいそう。
2006-08-08[n年前へ]
■「信じることと問いかけることの違い」
いつものように週間SPA!を買い、鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」を読む。一人暮らしの女性が少ないことに鴻上尚史が驚いたところから始まり、カルト宗教などまで。
信仰が人を育てるのは、信仰が「信じること」ではなく「問いかけること」だからです。神の言葉を伝える人はいても、神そのものが語らないから、人は「問いかけ」るしかなく、そこで思索的になり反省し思慮深くなるのです。 簡単に結論のでないやっかいな問題を、神の一言で片付けることは、思考し、反省し、成熟するきっかけを手放すことです。 「問いかける」対象が、簡単に答えを言うようになれば、人間は思考を放棄しバカになるのです。 「今の若者は孤独と不安への耐性がない」
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