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1999-03-05[n年前へ]

できるかな 

ドアの向こうには、

本サイトとドラえもんの共通点

以前、「iMacはドラえもんの夢を見るか?-さようなら、ドラえもん -(1999.02.03)」 の時にドラえもんの話を出した。今回もまたまたドラえもんの登場である。私はドラえもんをさほど読んでいたわけではない。しかし、ここまでドラえもんにこだわるのは、高校時代のサミー本田先生の教育の賜物なのかもしれない。

今日(1999.03.05)の朝日新聞の朝刊に4面全面を使ってドラえもんの映画の広告が載せられていた。その内の1面を少し加工したものが下の写真である。

「できたらいいな」

できるかな」がメインテーマの本サイトとしては、この「できたらいいな」というのは非常に興味を惹かれるコピーである。また、下に示す面の広告のコピーは「iMacはドラえもんの夢を見るか?-さようなら、ドラえもん -(1999.02.03)」 の時に最後に浮かんでしまった疑問の一つの答えであるようにも思う。

「ドアの向こうに、いつも夢があった。」

「できたらいいな」という気持ちは、その答え故に起きるのであるし、だからこそ「できるかな」という考えが湧くのである。

ところで、本サイトの「できるかな」の名前の由来は「ノッポさんとゴン太くん」の「できるかな」、そして、西原理恵子の「できるかな」である。

もともと、「子供向け」の血は受け継いでいるのである。これら先達の名前を汚さないためにも、これからも、本サイトでは「できるかな」をモチーフに深く広く調べていくつもりである。

おまけ

こういう広告を眺めていると、
  • ドラえもん
  • パンドラの箱
  • 量子力学
からなる三題話も面白そうだと思った。高校、あるいは自然科学史を教える大学辺りの先生であれば、この三題話をレポートのテーマにしてみるのも面白いのではないだろうか。ところで、大学の学部授業の時のレポートで面白かったのが動物分類学のレポート試験の
「クジラは哺乳類か魚類か?、論ぜよ。」
という題目であった。この題目についてレポート用紙5枚位で説明できるとお考えの方は不可確実である。言い換えれば、自分なりの「動物分類学を構築せよ」と言っているのである。その人の姿勢まで問われる深い問題である。

1999-07-18[n年前へ]

hixの地図 

好きな話は何処にある?

  最近、本WEBのTopページが非常に読みにくくなっている。話題が多すぎるのだ。これでは、このWEBを見に来てくれた人がいたとしても、迷ってしまうだろう。きっと、好みに合うページを見つける前に他のWEBサイトにとんでしまうに違いない。自分の好きにやっているサイトとは言え、それは少し寂しい。そこで、自らhiraxサイトの内容について解説してみることにした。といっても、単に解説するのではつまらないので、多少の考察を含めながら、である。

 他の人のWEBなどを眺めながら、自分のWEBの特徴を振り返ってみると、下のような図を持ち出すのが一番良いような気がする。これは横軸を「技術度」、縦軸を「感性度(完成度にあらず)」にしたものである。ジャンル1,2,3,4は大雑把に傾向で分類しようとしたものである。

技術度と完成度の地図

 他の技術系サイトを見た後に本WEBを見ると、どうも本WEBは技術的でない話が多い。主観的な部分がかなり含まれているのだ。他の技術サイトでももちろん主観的な部分はある。しかも、(私にはまだまだ出来ないのだが)説得力があるのだ。すなわち、ある程度の客観性が感じられる。しかし、私のサイトの中にある主観的な話は他の人に説得力があるとは思えないのである。妙な感覚的な話と技術的な話のカクテルみたいなのである。そこで、上のようなグラフが登場するわけである。

 科学という立場から考えれば、客観的であり技術的にも高度な「ジャンル-2」が望ましいだろう。しかし、本WEBには技術的には高度でないし、客観性もない、という「ジャンル-3」も多い。例えば、
iMacはドラえもんの夢を見るか? -さようなら、ドラえもん - (1999.02.03)
などがそうだ。そして、その極限として「Scraps」がある。こういった状況が良いのか悪いのかよくわからないが、とりあず、それもまた個性ということにしておこう。

 「ジャンル-4」の代表的な話としては
鴨川カップルの謎 -そうだ、京都、行こう-(1998.11.29)
というところか。「ジャンル-1」としては
コピー機と微分演算子-電子写真プロセスを分数階微分で解いてみよう-(1999.06.10)
というところで、「ジャンル-2」は
夏目漱石は温泉がお好き? -文章構造を可視化するソフトをつくる - (1999.07.14)
という感じだろう。まずは、自分の好みとあった所から眺めてみて頂きたい。また、裏で繋がっている話も多いのでそういう伏線を探してみるのも面白いのではないだろうか。

 なお、私の書く文章ははどうも「本当に言いたいことを行間に隠してしまう」ようなので(表現力がないとも言う)、行間に隠れている(作者も気づいていない)応用など読みとって頂けたら幸いである。それを私に教えていただければ、なお良い。

1999-08-09[n年前へ]

色を伝える時に、考え忘れていたこと(色弱と色空間 その1) 

We can work it out!

 オプトニューズ (1999) No.4の光の話題に三楽病院の岡島修氏が「レーザポインタと色覚異常」という小文を書いている。色弱の人の感じ方とプレゼンテーション(特にレーザポインタの色)に関する提言である。それを読んであることを思い出した。何年か前、Labofinder(Macintoshを科学分野で使うユーザーグループ)でプレゼンテーションについて特集していた発表会だったと思う。どなたかが発表を行った後に、次のような質問があった。

 「私は色弱なのですが、プレゼンテーションを行う際に使う色などについて、そのような人を意識して作成されているでしょうか?」

 恥ずかしいことに、私はあまり考えたことがなかった。そして、本WEBを作るに際してもそういった点はおろそかになっていると思う。そういう自分自身への反省を込めて、色弱と色空間について考えてみたいと思う。

 まずは、色弱に関する情報を調べよう。

といった辺りから簡単な知識を得る。

 それでは、私なりの理解と考察を始めてみたい。
目に映る明るさって何ですか? - 君は天然色- (1999.07.05)
の回で触れたが、人間が光を感じる網膜内の光受容器には錐体と桿体がある。この内、色(すなわち光の波長方向に関する感じ方)を感じるのは、錐体の働きによるものである。錐体には3種類有り、

  • L錐体 -> 赤
  • M錐 -> 緑
  • S錐体 -> 青
という波長感度を持っている(それぞれの波長感度については
目に映る明るさって何ですか? - 君は天然色- (1999.07.05)
を参照のこと)。それらの錐体に異常がある時に、色弱もしくは色盲が発生する。
色覚異常の種類
L錐体 (赤)M錐体S錐体先天性色覚異常の分類
OOO正常
XXX桿体1色覚 (全色盲)
OXX錐体1色覚 (赤)
XOX錐体1色覚 (緑)
XXO錐体1色覚 (青)
XOO第1色盲 (赤色盲)
OXO第2色盲 (緑色盲)
OOX第3色盲 (青色盲)
OXOO第1色弱 (赤色弱)
OOXO第2色弱 (緑色弱)
OOOX第3色弱 (青色弱)

 この図中でOは正常、Xは欠損、OXは機能低下である。

 M,L錐体に関する異常はX染色体劣勢遺伝をする。また、錐体1色覚、および、S錐体に異常がある第3色盲・第3色弱は比較的少ないという。

 それでは、これらの錐体に異常があるとどのような色を識別できなくなるのだろうか? 私は先に挙げたようなWEBを読んだくらいの知識がないので、数学的な考察をおこなってみる。現実をよく知らないため、実際の症例とはかなりの違いがあるかもしれない、ということは先に断っておく。

 現実の症例の参考としては、岡島修氏の「レーザポインタと色覚異常」中に挙げられているCIEXYZ表色系における強度色覚異常者(第1異常、および、第2異常)の混同色を用いる。その図を加工し、XY色度図を重ねたものを以下に示す。それぞれの図において、白い直線上の色を混同してしまうのである。

CIE XYZ表色系における強度色覚異常者(第1異常、および、第2異常)の混同色
第1異常
第2異常

 今回は、通常の(Red,Green,Blue)データを基本として考える。PCなどで表示を行う際に一番よく使うからである。任意のRGBデータをCIEXYZ表色系に直すためには、
WEBページは会社の顔色 -WEBページの色空間を考える2- (1999.04.26)
で用いたハイビジョンTVの色空間を例に用いて、

  • X= 0.412391R + 0.357584G + 0.180481B
  • Y= 0.212639R + 0.715169G + 0.072192B
  • Z= 0.019331R + 0.119195G + 0.950532B
というRGBから3刺激値への変形を行い、その後に
  • x=X/(X+Y+Z)
  • y=Y/(X+Y+Z)
という式を用いて、xy色度座標への変換を行う。なお、x,y色度座標では座標が一つ減っていることでわかるかと思うが、xy色度座標だけでは明るさが違う色が同じ点に存在することになる。そこで、今回は一番明るい条件の色を用いている。

 それでは、通常、第1色盲(赤色盲)、第2色盲(緑色盲)の3種類についてxy色度図の計算例を示してみる。ある錐体に異常が存在する場合に、どのような色空間が再現されるかの計算を行ってみる。通常のxy色度の位置において、ある錐体の刺激を無くした場合に色がどう変化するかを示したものである。であるから、第1色盲(赤色盲)、第2色盲(緑色盲)においては通常使われるxy色度図とは異なるものになる。また、ここで示した色が色弱の人が見ている色という意味でもない。

 単純に、ある錐体が得るであろう情報を無くしたときに、情報の識別がどのように困難になるかを確認した、と言った方がいいかもしれない。

 また、本来3錐体の波長感度特性はRed,Green,Blueの単波長というわけでもない。しかし、今回は簡単のために、3錐体の波長感度特性はRed,Green,Blueの単波長であるという仮定の元に計算を行っている。そのため、かなり現実とは違う結果になっている。近々、きちんとした計算をするつもりである。

xy色度図の計算例
通常
第1色盲(赤色盲)
第2色盲(緑色盲)

 ここでは、Z方向(明るさ方向)に対して無視を行っているので、かなりの誤差が存在すると思う。また、計算の中で一つの錐体に異常があるときの、RGBデータの再配分を計算する部分に極めて大雑把な近似をおこなっているので、その部分でも誤差が大きいと思う。

また、Red,Green,Blueの三色により色空間を形成しているため、各点を頂点とする三角形内に色空間は収まることになる。

計算ノート(Mathematica)はこんな感じである。

この計算結果を眺めながら、岡島修氏の「レーザポインタと色覚異常」中に記述されている色弱における混同しやすい色の例、

  • 第1色盲
    • 赤と黒
    • ピンクと青
  • 第2色盲
    • 赤と緑
    • オレンジと黄緑
    • 緑と茶
    • 青と紫
    • ピンクと白
    • 緑と灰色
というものを比較すると、割に納得できるのではないだろうか?

例えば、通常の色空間において赤(すなわち右上)の場所を第1色盲の色空間の中で見て欲しい。黒との識別が困難なのは一目瞭然だろう。また、下の図に示すように、通常の色空間でピンク(1)と青(2)が第1色盲の色空間の中でどうなっているかを見れば、

通常と第1異常の色空間におけるピンク(1)と青(2)
通常の色空間
第1異常の色空間

これも1と2の識別が困難であることが容易に想像がつく。第2色盲でも同じように見てみて確認して欲しい。

なお、上の図中で中心部が暗くなっているが、それはグリッド線のためであり、本来の色はもっと白っぽい色である。また、今回は岡島修氏の「レーザポインタと色覚異常」中の図と比較するために、CIExy色度図を用いたが、もともとxy色度図は人間の感じ方とは結びつけにくい。いずれ、均等色空間における解析を行うつもりである。また、先に記述したようにきちんと錐体の波長感度特性を考慮に入れた計算をするつもりである。今回はあくまでごく簡単な実験である。

 というわけで、今回は色弱の方がどのような色空間を感じているかを考察してみた。今回の話中には色々間違いもあると思う。なにか訂正すべき情報を見つけてくださったら、教えて欲しい。

画像出力に携わる方でこのWEBをご覧になっている人もいるはずだ。色を正しく伝えることを日夜考えている人もいるだろう。しかし、色を正しく伝えることを考えるときに、考え忘れていることはないだろうか? 「正しい伝え方」は、誰にとって「正しい」のだろうか?私達が当然のように感じている色についても、異なる感じ方をする人のことを考え忘れてはいないだろうか?
 そういった人は少数だと言われる方もいるかもしれない。しかし、あなたが当然の権利のように享受しているものは果たして全ての人が得ているものだろうか? もしかしたら、その権利を享受している人の方が少数派であるものもあるのではないだろうか?

 やることは至極簡単なことだ。技術的に言うならば、人の知覚も「デバイスの一部」として考えた際に、「人の知覚」が数種類あるものとして、異なるデバイス間のカラーマッチングを考えれば良いだけのことだ。もちろん、一筋縄ではいかないだろうが、得られるものの大きさからしたら、やってみる価値はあるだろう。

 プレゼンテーションソフト、あるいは数多くのソフトウェアにそういったことをきちんと考えたテンプレートが現れ、WEBサイトの色、画像機器のカラーマネジメントにそういった「全ての人(健常者と呼ばれる人のモデルだけでない)の感じ方まで含めたカラーマッチング」が適用されていく日も必ず来るはずだ。もしかしたら、このWEBサイトに来ている人の中には、今すぐにでもそういうことを始めることが出来る人もいるかと思う。果たして、そんなことが「できるかな?」と思われる人もいるかもしれないが、きっとできる筈だ。

 こういったことは色覚に限る話ではないと思う。考え忘れていることは数多くある。できることも数多くある、と私は思う。

2000-02-21[n年前へ]

「私の心」の円グラフ 

私と好みが似てる人 その4

 これまで、「できるかな?」では

というようにHIRAX.NETのアクセスログを解析してきた。私の好みが端的に現れているHIRAX.NETに訪れる人は、「私と好みが似てる人」であると考え、それにより、「私と好みの似てる人」の解析を行ってきたのである。

 前回から半年以上の時間が経ったので、今回も、「私と好みが似てる人」の解析を行ってみたい。今回の着目点は次のようなことである。

 HIRAX.NETで記録されるreffer_logはHIRAX.NETへリンクが貼られているサイトのアドレスが記録されている。例えば、

http://umz.pos.to/Link/info.html -> /index.html
というものであれば、「果テシナク続ク複数ノ零 」(きっと、Think Difficultを読んでいたのだろう。)を読んだ後にHIRAX.NETに訪れた、ということがわかるし、
http://www.hirax.net/index.html -> /dekirukana/moire2/index.html
であれば、HIRAX.NET内の移動であることがわかる。また、
bookmarks -> /index.html
であれば、ブックマークを使うことで、HIRAX.NETへ訪れたことが判るわけである。
 また、実はリンクもブックマークでもなくて、「単に前にただ読んでいただけ(他のWindowで開かれているサイトでリンクが貼られていた場合など)」というものもたまには記録される。

 このようにして、「私と好みが似てる人」達がどんなサイトを読んでいるかがわかるのである。最後に書いたように、reffer_logに記録されるのは、HIRAX.NETへリンクを貼っているサイトだけではないので、訪れる前に読んでいたサイトが(ある程度だであるが)わかるのである。

 前回の、

では「HIRAX.NETへリンクを貼っているWEB作者を探る視点」から眺めた。今回は「私と好みが似てる人達がどんなサイトを読んでいるか」という視点から眺めてみたい。そして、「私と好みが似てる人」=「私」と考えて、私の好みを第三者的に考えてみたいのである。

 話が変わるように思えるかもしれないが、私は「結果が全て」であると考えている(少なくとも、今の瞬間は)。「心の中で思っていて」も、口に出さなければ「思っていない」のと同じである。「掌の中の答え」は掌を開いてみなければわからない。
 だから、他の人が自分に対して抱くイメージとは違う「ホントのオレ」があると主張してもしょうがない、と思うのである。「他の人が自分に対して抱くイメージ」=「ホントのオレ」であると思うのである。もちろん、「他の人が自分に対して抱くイメージ」をどう変えるかは自分次第だ。「掌の中の答え」は自分が決めるのだが、「掌の中の答え」を他の人に見せて、やっと「答え」になるのである。

 話が長くなったが、「自分の好みはこうだ」と自分で言うのもなんなので、第三者的に「自分の好み」を探ってみることにしたのである。その材料はHIRAX.NETを読んでいる方(つまり、あなた)の読んでいるサイトである。これを読んでいるあなた自身がリトマス紙なのである。「私の好み」は「あなた自身の好み」でもあるのだ。

 というわけで、今月前半のreffer_logよりHIRAX.NET外からリンクされた(あるいは移動してきた)、3276アクセスに対して解析を行った。reffer元を私が読んで、大雑把な分類をしてみた。用いた分類は、

  • 読み物
  • 検索
  • コンピュータ
  • 日記
  • 雑情報
  • エロ
  • ニュース
  • 画像
  • 音楽
  • ランキング
  • 科学
  • 深津絵里
  • 製品情報
  • イントラ内サイト
  • 自然
  • 文学
  • ゲーム
である。極めて大雑把な分類だし、私の主観に基づいたものである。自分でも、「読み物・コンピュータ・日記・科学」などは極めて分類が曖昧だと思う。しかし、「てきと〜」に私が決めてみた。
 例えば、
  • 読み物 今日の必ずトクする一言 etc.  
  • コンピュータ お笑いパソコン日誌 etc.
  • 雑情報 Fast & First etc.
と言った感じである。「日記」と「読み物」なんて区別があまりつかなかったのだが、「作者自身」を語る部分が多いものは「日記」と考えた。それでは、結果を示す。それらの分類がどのような割合を占めているかを解析したものだ。言うならば、「私と好みが似てる人」=「私」の好みである。私の心の中における、好みの円グラフである。これを、「私の心の円グラフ」と称することにしたい。
 
私の心の円グラフ

reffer_logのreffer元がHIRAX.NETでない3276アクセスを分類したもの

 なるほど、「読み物(あぁ、なんて大雑把なくくりだ)」が三分の一を占め、以下「情報検索サイト(infoseekなど)」が1/5程を閉めている。そして、コンピュータ情報等だ。なるほど、それが「私の心の中の興味」と言われれば納得するものである。「科学」や「自然」がずいぶんと下位であるのが不思議なところであるが、まぁしょうがない。まぁ、こんなところだろう。

 が、問題は次である。何故か、「エロ」サイトが6位にいるのである。これは、「IO= アイオー」ではない。「エロ = えろ=すけべぇ」である。
 

何故か、「エロサイト」が6位に?

reffer_logのreffer元がHIRAX.NETでない3276アクセスを分類したもの

 これは、困った事態である。私としては、「オレはエロサイトよりニュースサイトの方をよく見るぞ!」と主張したいところである。いや、ホントに。しかし、先ほど

他の人が自分に対して抱くイメージとは違う「ホントのオレ」があると主張してもしょうがない
と書いた所でもあるし、黙って受け入れなければならないだろう。何か、最近「できるかな?ってあれでしょ。ミニスカートの研究をしているスケベサイトでしょ。」と言われてたりするような気がしてしょうがないのだ… それも、また受け入れなければならないのだろうが…少し、悩んでしまう。

 それとも、エロサイトを読んだ後に、心の清涼剤として「できるかな?」を読んでいるのだろうか?なるほど、それならわかる。納得だ。  うん、そういうことで納得しておきたい。

 というわけで、先のグラフがが「私=これを読んでいるあなたの心の円グラフ」である。私の悩み=あなたの悩みでもあるはずだ。あなたの心の中には「エロ」が堂々6位に登場しているハズである。あなたの心はニュースより「すけべぇ」が好きなのだ。がんばれ、「私と好みが似てる人」。せめて、「ニュース」の方が上位に来るようにしてくれ…
 

2000-02-27[n年前へ]

「文学論」と光学系 

漱石の面白さ

 前回、

さて、モナリザと言うと、夏目漱石と「モナリサ」にも言及しなければならないだろう。
と書いた。何しろという具合に、「できるかな?」では漱石が結構レギュラー出演している(させている?)のである。当然、「モナリザ」ときたら漱石を出演させないわけがない。

 その漱石は「永日小品(リンク先は青空文庫)」(リンク先は青空文庫)の「モナリサ」中で

「モナリサの唇には女性(にょしょう)の謎(なぞ)がある。原始以降この謎を描き得たものはダ・ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」
と書いている。女性には興味がなかったとも言われ、ずっと付き添っていた男性との関係も噂されるダ・ヴィンチである。ここらへんは、果たしてどうか?とも思う。むしろ、新宿のホストクラブのホストの方が女性(にょしょう)の謎(なぞ)については詳しいのではないかとも私は考えたりもする。
 が、そんなことはどうでも良い。漱石はレオナルド・ダ・ビンチのモナリザに興味を持ち、小品を書き上げたのである。そこで、漱石とダ・ヴィンチの相似点を考えてみたい。

 レオナルド・ダ・ビンチの著作には「文学論」というものがある。漱石にも同じ名前の「文学論」がある。この「文学論」はこれまで読んだことがなかったのだが、

  • 「漱石の美術愛」推理ノート 新関公子 平凡社 ISBN4-582-82927-9
を読んで急に読みたくなった。それは、この本の中で
  • 遠近法
  • 漱石の文学論の「公式」
の関係について触れられていたからである。レオナルド・ダ・ビンチも遠近法についてはうるさかったが、漱石も何故か遠近法にうるさいとなれば、非常に面白い話である。そこで、図書館で漱石の「文学論」を借りてきて眺めてみた。

 これが、とても面白い。仮名遣いが古いため、なかなか目に入ってこないのであるが、とても面白い。これは絶対に文庫本にすべきである。眺めているだけでも面白い。

 まずは、冒頭のフレーズがいきなりこうである。

 およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。
 まるで、理系の教科書である。そして、目次(編)を大雑把にさらってみる。
  1. 文学的内容の分類
  2. 文学的内容の数量的変化
  3. 文学的内容の特質
  4. 文学的内容の相互関係
  5. 集合的F
 すごい。当時の文学論とは思えないような内容である。この「文学論」の中では先の公式(F+f)を軸として話が進んでいく。例えば、章のタイトルでいうと- 文学的Fと科学的Fとの比較一般 - といった感じである。
 また、「文学論」中では、例えば、浪漫派と写実派の違いについて数値的な比較を通じて述べられていたりする。実に「科学的」な思考による「文学論」である。いや本当に漱石は凄い。

 さて、中の文章を解説する力は私にはない。そこで、中の図表を示してみることにする。そこで適当に思うことなどを書いてみようと思う。

 次に示すのは、「文学論」の冒頭の方で「意識の焦点・波形」を説明した図である。
 

意識の焦点・波形

漱石全集第十一巻より

 この図は人間が何かを感じるときには焦点にピークがある、そして、その周りはぼやけたものが連続的に続いているということを示したものだ。これなど、

の時の「恋のインパルス応答」を彷彿とさせる。あの時の「恋のインパルス応答」を次に示してみる。
 
左:出会い(F)、右:それにより意識される恋心(f)

 この意識される恋心(f)は先の「意識の波形」と全く同じである。ある出来事(F)と、それに付着する情緒(f)を示したものとなるわけだ。付着する情緒(f)というのは中心が一番大きく、その周りにぼやけたものが繋がっているというわけである。人間の感じ方・情緒を光学系と結びつけているわけだ。
 いやはや、「恋のインパルス応答」と同じようなことを考える人はやはりいるものである。まさかそれが漱石だとは思いもしなかった。しかも時代を考えると凄まじい、としか言いようがない。

 そして、さらに次に示すのは

 およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。
ということを示す図である。先の - 「漱石の美術愛」推理ノート - ではこの図と遠近法の関連が述べられている。
 
「文学の焦点」

漱石全集第十一巻より

 ここで、縦軸は「時間」となっており、横軸は「色々な出来事」である。ある人が感じた「色々な出来事」を時間方向に収斂させていくと、そこには「作者自身の視点がある」というわけだ。これが漱石の言う「文学論」の中心である。

 この図などカメラや望遠鏡の光学系を彷彿とさせる。「光学系の一例」を以下に示す。
 

「光学系の一例」

 先の「文学の焦点」を示した図はレンズで光を焦点に集めるのと全く同じだ。いや、「焦点から光を投光する」のと同じと言った方が良いだろうか。以前、

で、
 景色に焦点を合わせて、フィルムに結像させるのがカメラだ。しかし、フィルムに写っているのは単なる景色ではない。カメラの光が集まる焦点にフィルムが位置していると思い込むとわからなくなる。逆から考えてみれば簡単に判るはずだ。カメラの視点にフィルムが位置しているのだ。フィルムに景色が写っているのではなく、フィルムが景色を選び、景色を切り取っているのである。

 写真に写っているのは、撮影者の視点なのである。写真を見れば、撮影者が、どこに立ち、何を見てるかが浮かび上がってくるはずである。フィルムに写っているのは撮影者自身なのだ。

と書いたのと全く同じである。その光学系には歪みもあるかもしれないし、色フィルターもかかっているかもしれない。しかし、とにかく焦点にはその人自身がいるのである。

 写真でも文章でもとにかく何であっても、色々感じたことを表現していく時、その焦点には表現者自身がいる。私の大好きなこの2000/2/25の日記なんか、実にそれを感じるのである。
 



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