hirax.net::Keywords::「堀井憲一郎」のブログ



2003-05-26[n年前へ]

講談社文庫色占い 

 行きの新幹線の中で週刊文春の堀井憲一郎の「ホリイのずんずん調査道」を読む。すると、ちょっと豆知識のことがら書いてある。何でも、「講談社文庫の背表紙の色は著者が選ぶ」というのである。ナルホド、そうだったのか。いくつか、眺めるとなるほどー。~ 

茶色      蔵前仁一、下川祐二、阿部穣二灰色      京極夏彦、高村薫、森博嗣明るいオレンジ 赤川次郎、栗本薫、東野圭吾藤色      黒柳徹子、永六輔、宮本輝緑色      藤沢周平、井沢元彦、司馬遼太郎桃色      田辺聖子、平岩弓枝、山村美砂若草色     本田勝一、田原総一郎、大前研一空色      内田康夫、原田宗典、伊集院静明るいオレンジ 北方謙三、宮部みゆき、大沢在昌黄色      東海林さだお、椎名誠、村上春樹
 はてなのヘッダ色占いではないけれど、作家を確かに分類できるようなー。

2004-11-14[n年前へ]

日本プロ野球の永久欠番一覧 

 プロ野球の永久欠番

(永久欠番は)12球団のうち5球団にしかない。そして、この5球団には共通点がある。それは球団創立以来オーナー会社が代わっていないことだ。 逆に言うと、永久欠番は同じ会社じゃないと存在しないわけだ。つまり会社内表彰でしかない。… 早い話、会社が先にあって、野球チームは後ってことだ。見てる方は経営母体が代わっても同じチームだが、日本の経営者にとっては、経営が代わればチームも変えてしまいたいのだ。堀井憲一郎「ホリイのズンズン調査」 - 永久欠番とは何だったのか -

2006-01-17[n年前へ]

ヒューザー小嶋社長の教典は梶原一騎の「巨人の星」 

 小嶋進 ヒューザー社長がテレビで「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」と言うシーンをテレビで放映していた。あぁ、梶原一騎は偉大なんだな、とつくづく思う。梶原一騎の世界にはまっている人がここにもいるんだな、と思う。
WARNER HOME VIDEO 「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」という言葉は、「…死ぬときは、たとえどぶの中でも、前のめりに死んでいたい」という「巨人の星」の中のセリフに違いない。「巨人の星」の中で星一徹が飛馬に言う。「坂本竜馬はこういった。いつ死ぬかわからないが、いつも目的のため、坂道を登っていく。死ぬときは。たとえどぶの中でも前のめりに死んでいきたい…と」「つまり、かぎりなき目的への前進だ!たとえ、どぶの中で死んでも、なお、前向きで死んでいたいっ。…それが男だ!」…そして、星飛馬が大リーグボール3号を投げて左腕を壊すとき、やはりこのセリフを言う。「おれの青春を支配したこの坂本竜馬のことばにかけて、後退しての死よりも、前進しての死を選んだのだ」 しかし、この「坂本竜馬はこういった」というこの言葉の出典は、梶原一騎の「巨人の星」以前には遡れなかったという(堀井憲一郎『「巨人の星」に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。』)。「汗血千里駒」にも「竜馬がゆく」にも、…坂本竜馬を描いたどの本でもこの言葉は載っていないという。
『「巨人の星」に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。』 ということは、梶原一騎がこの言葉をどこから引用した(作った)かはさておき、ヒューザー小嶋社長にとっての、「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」の原典は梶原一騎が描いた「巨人の星」なのだろう。もしかしたら、本人は「坂本竜馬」に影響を受けたと思っているかもしれないが、それは実は梶原一騎が描く「巨人の星」の中の星親子が語る「坂本竜馬」なのである。「巨人の星」の中で描かれた「坂本竜馬の言葉」がヒューザー小嶋社長の教典であるわけだ…。梶原一騎に影響を受けた「日本の男」はとても多いに違いない。

2008-12-18[n年前へ]

「刺激的ニュースの寿命」 

 堀井憲一郎 「ホリイのずんずん調査」 671 「刺激的ニュースの寿命」

 ゲリラ豪雨という単語がリアルに使われたのが8月以降であることがわかる。(その後)遡って過去の雨もゲリラ豪雨と名付けられたのだ。
 歴史はうっすらとわかりやすいように塗り替えられていく。
 秋葉原がトップニュースだったのは6日間。それから7日は地震報道がトップになった。
 つまり、おれたちは、どんな大きなニュースでも、他人事であるかぎり一週間で消費してしまう、ということなのだ。
 ニュースは情報だから頭の中で処理される。頭の中は7日間で飽きる、ということだ。そういう21世紀を生きている。

2009-09-20[n年前へ]

「落語とは業の肯定である」 

 堀井憲一郎「落語論 (講談社現代新書) 」から。

 立川談志は「落語とは業の肯定である」と言っていた。落語の本質をひとことで言い表している。つまり、「落語が表現しているのは、人間のおこないのすべてである」ということだ。人のおこないを論評せずに引き受ける。それが落語である。



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