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2009-08-03[n年前へ]

「うつくしいのはら」と「パーマネント野ばら」 

 ほぼ同時期に書かれた、西原理恵子の「うつくしいのはら」、そして、「いけちゃんとぼく 」、そして、「パーマネント野ばら 」は、同じひとつのモチーフが繰り返し繰り返し書かれていて、その繰り返されるモチーフに、どうしても心動かされてしまう。

 私は私の空豆をみつけることができて、
うれしくてしかたがない。

2009-08-25[n年前へ]

「ナナ」と「ハチ」という分身の物語 

 小倉千加子と中村うさぎの「幸福論 」から。矢沢あいのマンガ「NANA 」に関する、中村うさぎの鋭い言葉の羅列。

 私は、あの作品が若い女の子に支持される理由がわかる。だって、自分のことを本当にわかってくれて、ずっと一緒にいたいのは恋愛相手じゃないって、皆思っている。
 私はあれを「分身」の物語だと思いました。
 そして、自分のことをすごくわかってくれるというのは、自分の分身なわけですよ。違う生き方ができる分身ね。

2009-08-30[n年前へ]

「愛よりももっと深く」愛すると同時に「憎しみもかなわぬほどに」憎んでいた 

 永井均「マンガは哲学する (岩波現代文庫)」の、下記の(萩尾望都「半神 」の言葉を使った)文章から始まる数節がとても面白い。

 (松本大洋の「鉄コン筋クリート 」の)クロはシロを「愛よりももっと深く」愛すると同時に「憎しみもかなわぬほどに」憎んでいたはずである。

 この後に続けられていく文章を読みながら、「ナナ」と「ハチ」という分身の物語に引いた、中村うさぎがNANAを語る言葉を思い出した。

2009-09-01[n年前へ]

哲学をすること 

 永井均「マンガは哲学する (岩波現代文庫)」の「あとがき」から。

 世の中にすでに公認されている問題に置いて一方の側に立ってしまいがちな人は、それがどのような問題で、どちらの側に立つのであれ、哲学をすることはまず不可能である。
 哲学は、他にだれもその存在を感知しない新たな問題をひとりで感知し、だれも知らない対立の一方の側にひとりで立ってひとりで闘うことだからである。

2009-09-02[n年前へ]

次は、その悔しさを、上手に描いてごらんよ。 

 西原理恵子の「上京ものがたり 」第50話から。

 出版社で女の子が
わんわん わんわん 泣いていた。
 でも わるいのは あんただよ。
 あんたが つまんないから わるいんだよ。
 この くやしいの。
今度 上手に かいてごらんよ。



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