hirax.net::Logos::2011-02

2011-02-04[n年前へ]

今の非常識が未来の常識 

 今からちょうど31年前、西武百貨店は、糸井重里が書くコピー「不思議、大好き。」を1981年のテーマにしました。

 「どんなにコンピュータが発達したって、人の心はわからない。誰かのことを好きだとか、誰かといると楽しいとか、自分でも理由なんてわからないもの。どうしてから、不思議だな。
 いつの間にやら、「発達したコンピュータを介して、人の心がわかる」なんてことも、珍しいことではなくなったようにも思われます。カメラに内蔵された計算装置が「笑顔」を検出したり、コンピュータが「人の心」のつぶやきを伝える時代になりつつあります。

 時に、今の非常識が未来の常識、になったりもします。凝り固まらない「やわらかあたま」で眺める未来は、一体どんな世界なんでしょうか。

2011-02-05[n年前へ]

「そこで働く奴がいる。それを思うと、僕は口惜しい」 

 1985年、アートディレクター石岡怜子事務所のデザイナー募集の「募集要項」が小さく書かれたその上に、大きく書かれた「(リクルート)週刊 就職情報」の広告コピー。

 この広告の読者のなかに、石岡怜子さんと働く奴がいる。それを思うと、僕は口惜しい。

2011-02-06[n年前へ]

サラリーマンという仕事はありません。 

 西武セゾングループの糸井重里のコピーから。

サラリーマンという仕事はありません。

2011-02-09[n年前へ]

「勝負」と「勝ち・負け」 

 from 「n年前へ」  「勝ち・負け」と書いて、「勝負」と読みます。けれど、それはいわゆる勝ち負けだけではないのかもしれません。

 コンピュータと戦ったチェスチャンピオンのカジムダノフが「人間とコンピュータの対決」に関して、かつて、こう語っています。コンピュータの街でもあるサンノゼで知った、このカジムダノフの言葉はとても噛みごたえのある・力強い言葉です。
 Sports are not about reaching a result. Sport is about developing your inner qualities.

 競技(スポーツ)は記録や勝ちを手に入れるためのものではない。それは、私たちが自分の中にある価値を成長させるためのものだ。
 たいていのスポーツは、勝った試合より負けた試合から多くを学ぶもんだろ。

あだち充 「H2 」
 

2011-02-12[n年前へ]

「人々が豊かになる仕組み」 

 大竹文雄 「こんなに使える経済学 」から。  

 経済学の本質的な面白さは、社会の仕組みを考えることで、どうしたら人々が豊かになるかを考えることだ。

序 「経済学は役立たず」は本当か

2011-02-13[n年前へ]

「社会をよくできる論理」の魅力と危険性 

 「社会をよくできる論理」の魅力と危険性〜小島寛之、から。

 僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の”こうあってほしい世界観”に近くて、あこがれとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。
 そこで思ったのは、自分がほしがっている”あまりに魅力的な結論”を与えてくれる適度な理屈・ロジックに飛びついちゃったんじゃないか。胃の痛くなるような検証をするとか、自分に最も不都合なケースを想定するとか、科学的検証の基本中の基本を無意識に避ける性癖が、あの人たちの中にあったんじゃいかな、って思ったのです。そして、それは僕の中にあるかもしれない、という恐怖感が起きました。

2011-02-14[n年前へ]

「何かを賭ける」と「誰かに向けたプレゼント」 

 初対面の知人と飲みながら、ふと考え込んでしまいました。間違いなく、この人にはとても能力があるのだろうと想像されたので、その人が持つ「ポテンシャル=潜在的な力」や「可能性」そして「選択」といった言葉を連想して頭が無限ループに入り込んでしまい、黙り込んでしまったのです。そして、無邪気に何かを言うこともできなくて・・・どうしても言葉が見つからなくなってしまったのです。

 飲んだ後、しりあがり寿「人並みといふこと 」を読み直しました。

 僕らはチップを手に「どの目に賭けたらいいのか?」ルーレットの前で途方に暮れている。・・・目の前のルーレットは、速度を増し、目を変え、回り続ける。時間ややる気はあっても、それを何に賭けたらいいのだろう?
 …モノゴトは流行っては廃れ、盛者必衰はひっきりなし、善悪や好悪や敵味方やあらゆる価値観までもがルーレットの目の上に乗せられ、「ここに賭けて」と悲鳴を上げている。
 そのうえ、いつだって賭けなかった方の目、失われた別の可能性の亡霊がボクたちを苛出せる。

しりあがり寿「人並みといふこと

 十年ほど前、誰かが提唱したこんな遊びがありました。
「街のどこかに、見ず知らずの誰かに向けて、プレゼントを隠す。それを見つけてしまった誰かは、そのプレゼントを受け取る。そして、次の(会ったこともない)誰かに向けて、プレゼントをどこかに隠す」
 もしも、初対面の誰かに向けたプレゼントを街のどこかに隠すなら、この「人並みといふこと 」にカバーをかけてどこかの隅に置いておこうか、などと考えます。

 先に引用したのは「人並みといふこと 」の「おわりに」に書かれている言葉です。この本の「はじめに」の冒頭は、「もう十年近く前、会社を辞めた」という一文からはじまります。

2011-02-15[n年前へ]

「無限の欲望を持つみんな」が「豊か」になるための方法 

 「経済学って何なのさ?」「経済学って役に立つの?』というのは、誰もが一度は持つ疑問なのではないか、と思います。

 私は、「経済学とはみんなが豊かになるための仕組みを考える学問だ」と学びました。自分たちが「この先生に教えを請いたい」と選んだ先生に向けて自分たちが常々思う疑問をぶつけ、その先生の答えを聞いて、その答えを人に伝えるために咀嚼した結果として、そんな風に感じたのです。そしてまた、無限の欲望を抱える人類が"その自らの欲望"に対して未来永劫悩み続けなければならない以上は「経済学」というのは人にとって役に立つ学問だと、これまた同じ理由で信じています。

 何かのきっかけで、大竹文雄先生の「こんなに使える経済学 」を読み直しました。

 本書を最後まで読んでいただけた方は、「経済学はこんなに使えるのか」という感想を持たれただろうか。それとも、「やっぱり、経済学は役立たずだ」と感じられただろうか。
 経済学は、そのような現実の実務の細部にわたって答えを足してくれるものではない。そこまで経済学に期待する人にとっては、「経済学は役に立たない」ということになる。しかし、「これをすると失敗する」というような大まかな方向性を示してくれるという意味では「経済学は役に立つ」。

 「大きなことはできないかもしれませんが…小さなことからコツコツと…」そんな言葉が好きな人は、きっと経済学が好きになるだろう人だと思います。

2011-02-20[n年前へ]

カメラマントーク「宮嶋茂樹 v.s. 高橋邦典」前編 

 「同じ道を極めた3人のプロフェッショナルが司会なし台本なしで語り合う」という、「ディープピープル」という番組の「#8 戦場カメラマン」を観る機会がありました。それがとても興味深くて、思わず語られていた内容を(少しマニアックかもしれませんが)メモしてしまいました。…というわけで、そんなメモの「前編」です。

宮嶋茂樹「高橋さんの写真は、私も何度も拝見させて頂いているんですが、どうやって撮ったかわからないですね。(たとえば、リベリアの写真)あのRPG(対戦車兵器)出してる一人だけだったら、俺でも何とか撮れるかもしれないけれど、手前の人をスローシャッターに入れた辺りは、いまだにどうやって撮ったかわからない」
高橋邦典「あれは、手前の人が(ただ)入ってきたんです。橋を隔てて、反政府側と政府側とが撃ち合いしてたんです。僕らは(当然)政府側の方から撮っていたんですが、10〜15人ぐらいの兵士が入れ替わり立ち代わり、隠れたところから走って来て道の真ん中に出て、ボーンと撃ってまた向こうに行くわけです。その人たちに僕らはくっついて出て行って、撃つ瞬間にパパパパッと撮って、また隠れに戻るということを繰り返していたんです。それ、僕は当然RPG撃ってる奴を撮っていたら、(手前の)彼がシュッと(ファインダーの中に)入って来たという・・・だからたまたまのラッキーなんですよ」

宮嶋茂樹「高橋さん、ワイド系がお好きなんですか?」
高橋邦典「はい。最近はもう24mm-105mmのズームレンズが多いんですよね。使い勝手が良くて、これ一台で90パーセント撮りますね」
宮嶋茂樹「私は良く使うのは24mm-70mm、それと70mm-200mmのスームレンズで、すぐ撮れるようにしているんですけど、高橋さんは16mm, 35mm, 24mm-105mmの他に、もうちょっと望遠はないんですか?」
高橋邦典「70mm-200mmを持ってます。それは、必要な時は持って行きますよ」
宮嶋茂樹「高橋さんは、ワイド系中心だと言うけど」
高橋邦典「やっぱり、撮った時に自分が近づいてると、その写真を見た人も同じ距離感になると思うんですよ。そう思いません?ワイドで撮ったら、撮られた写真を見た人もその距離感で写真を見ると、ぼくは思うんですよね。それだけ現実感があるっていうかね、伝えられるんじゃないかっていうのはありますね」
宮嶋茂樹「私から言わせると、他のカメラマンにアングルを譲らない、ってのはありますよね」
高橋邦典「それはありますね。16mmとかでガッと迫るやつとか」
宮嶋茂樹「他に3,4人カメラマンいて、16,35mmで一番いいアングル取って占めちゃったら、譲りたくないですもんね。私ら写真週刊誌出身だったんで、16mmっていうのは、犯人送る車を撮る時に一番撮りやすいんで(笑)」
高橋邦典「(窓ガラスにカメラ押し付けて)ガシーンとやるやつですね(笑)」
宮嶋茂樹「どうしてもあのイメージしかないんですよね、16mmって(笑)」
高橋邦典「あと、そういう時はちょっと(他のカメラマンの)首根っこを引っ張ったりして(笑)」
高橋邦典「被写体の感情が強ければ強いほど、構図とか光とか関係無しに、そのままストレートに撮っても強力な写真になると思うんですよね。自分の中では、一番大事なのは感情。感情が第一で、その後、光と構図が三本の柱なんですよ、僕の中では。その三つが揃った時パーフェクトな写真になるんですけど、滅多にそういうことはないじゃないですか。ただ、構図は100パーセント、カメラマンがコントロールできるんですよね。だから、実力が一番出るのは構図だと思うんですよ。そういう意味で、構図は大切だと思います」
 さらに、続きます(カメラマントーク「宮嶋茂樹 v.s. 高橋邦典 v.s. 渡辺陽一」中編)

2011-02-21[n年前へ]

カメラマントーク「宮嶋茂樹 v.s. 高橋邦典 v.s. 渡辺陽一」中編 

 カメラマントーク「宮嶋茂樹 v.s. 高橋邦典」前編の続きです。前回分では、ほぼ狂言回しに徹していた”戦場カメラマン”渡辺陽一も、最後の一言がいい。

高橋邦典「今僕らが怖いのは銃撃とかではなくて、誘拐と群衆が怖いんですよね。群衆って、たとえ50人でも、1人、敵意持った奴が「(ぼくたちを指差して)うわぁ、この外国人だぁ」と言っただけで襲われるでしょう? ソマリアなんか、それで相当死んだでしょう」だから、群衆の中にいる時に、孤立しない」
宮嶋茂樹「目立たない」
高橋邦典「そう、目立たない。だから、そういうヤバい時には一人で行かないですよね」
宮嶋茂樹「フリーって言っても、本当、お金からはフリーになれないですからね」
高橋邦典「ここに行きたい、と思ったって、先立つものがなければ結局行けないわけじゃないですか、現場にも。今、僕自身は大手メディアからフリーになったんで、その辺は凄くわかるんですけど、もうニュースとかでは勝負できないですよね。フリーランサーになると。使える金がないじゃないですか。大手メディアだと、ネットワークとかニューヨークタイムズとかはボンボン金を使って、ニュースの取材を最前線でやっていくわけですよ。そうすると、もうフリーの財力では勝てない。だから、フリーになったら、特に若い人だったら、そういった大手のメジャーなメディアが撮らないものを独自の視点で撮っていかない限り、これからサバイブしていくのは難しいんじゃないかなと思いますね」
宮嶋茂樹「いい時 right time、いい場所 right place にいれば、それで仕事はそこそこ半分以上成功したようなもので、同じ時期でも違う場所にいたら全然ダメですし、同じ場所でも一歩遅れたり・一歩早すぎたら全然ダメなケースもあるんでね」
高橋邦典「まぁ、そうですよね。だから、right place, right timeに行ければそれでほとんど撮影終了、…まぁ(笑)、終了じゃないですけど、八割がたはね(終了みたいなもので)」
渡辺陽一「僕自身、今まで振り返って行きますと、right place, right timeと真逆のwrong place, wrong timeばかりだった記憶があります。今でもright place right timeに突っ込んで行こうとしているんですけど、 今だに間違えてしまうことが多々あります。ただ、気をつけていることは、…とにかく、成田から出ちゃうこと」

2011-02-22[n年前へ]

誰かに何か伝える時、あなたはどんなことを考えますか? 

 「小学一年生に向けて、何か書いて下さい」と言われたら、あなたは一体何を書きますか? 「誰かに向けた言葉」…しかも、それが小学一年生に向けてなんて、そんな質問への答えは思いつかないと感じる人も多いかもしれません。

 次の一文は、西原理恵子が、小学館「小学一年生」の依頼を受けて書いた文字です。

「どこがわからないの」と先生は訊く。
「わからないところがわからない」この言い方が一番正しいとわかったのは、ずいぶん大人になってから。
 この実直な言葉を「小学一年生」に向けて投げかける生真面目な意思・誠実さと、そして無茶な不器用こそが西原理恵子の魅力です。

 二十世紀が終わり、もうすぐ次の二十一世紀が始まろうとする西暦2000年に、西原理恵子が小学一年生に向けて書いた文章は次の言葉で締めくくられます。

 私は、できる子の気持ちはわからないけど、できない子の気持ちはよくわかるので、できない子をできないまま育てるのは、きっと人よりうまいと思う。

 十年くらい前に、インターネットというメディアで何かを書こうとする時の心得として「見抜く目を最高にもった人を想定読者にするのが、このメディアを続けていくための秘訣でもあります」という言葉を、ある人から頂きました。

 その言葉は、とても腑に落ちる言葉であると同時に、完全に消化するまでにはとても時間がかかるだろう、そして、他の誰かにもお裾分けしたいと思う言葉です。

 誰かに何か伝える時、あなたはどんなことを考えますか?

2011-02-25[n年前へ]

「一人でも笑ってくれたら、それでええわ」 

 ナインティナイン、岡村隆史の言葉。

 「一人でも笑ってくれたら、それでええわ」

2011-02-26[n年前へ]

「汚れちゃったのは、どっちだ?」 

 藤原基央 BUMP OF CHICKEN "ギルド"( amazon )

汚れちゃったのは、どっちだ。
世界か?自分の方か。

美しくなんかなくて、優しくもできなくて。
それでも呼吸が続く事は、許されるだろうか?

汚れちゃったのは、どっちだ?
その場しのぎで笑って、鏡の前で泣いて。
汚れたって、受け止めろ。
構わないから、その姿で生きるべきなんだよ。
いずれにせよ、その瞳は開けるべきなんだよ。

 海抜ゼロメートルの辺りから、標高1000mを超える場所まで行き、青空や星空をよく眺めました。そんなとき、いつもMDに録音されたBUMP OF CHICKENの「天体観測」を聴いていました。

2011-02-27[n年前へ]

「ここは人間が工場の主人公だ」 

 「下丸子にある町工場で電車で通うようになって…」から始まる一節が、多摩川を眺めたことがあるガテン系なぼくらにとても印象的な、 小関智弘「町工場で、本を読む 」から。

 世界の工場になろうという中国の産業の躍進ぶりは、テレビや新聞・雑誌でよく伝えられてきた。…どうせ行くのなら(中国の)町工場がいい。そこで働いている旋盤工と話がしてみたい。
 優秀な機械を買い揃えて、安い労働力をふんだんに使って…というイメージとはほど遠いその現場では、現場の若い技術者や技能者が額を寄せ合って、日本ならとっくにスクラップになっている門型のプレスを改良して、電気部品の深絞りに挑戦していた。
 いま管理のゆき届いた工場を見学すると、その職場の空気があまりに無機質なことに落胆してきた。それに比べるとここは人間が工場の主人公だ。