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2009-05-02[n年前へ]

独立感覚に優れた人 

 何度も何度も、さまざまな言葉を引用している、山田ズーニーの「理解という名の愛がほしい——おとなの小論文教室。II 」の最後の数ページから。

 どこにも所属せず、なんのうしろだてもなく、なんの権力にもおもねらず、北は新潟・盛岡から南は宮崎まで、「言葉」という刀ひとつを頼みにたったひとり、旅から旅へと渡っていきます。
 …成功しているか、していないかには関係なく、目先の成功のために、自分の感覚を売り渡した人は、一見ツルツルしています。一見ひらけていきます。揺れることもない。でも、目先の成功に、自分の感覚を売り渡した人は、品のない顔をしています。
 自分の感覚でやることだから、プレッシャーもやたらきつく、失敗の痛さもどでかい。だから、自分の感覚を疑い続けるのもあたり前で、悩み続けるのもあたりまえで。それは一見、くよくよと見える。
 それでも自分の感覚を売り渡さず、自分の感覚で最後まで、遠く、時間のかかるゴールを目指そうとする人だけが、独立感覚に優れた人なのではないか、私は、そう思うのです。