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2011-08-16[n年前へ]

2011年夏に、人々が眺める「送り火」を見る 

 8月16日の日暮れ過ぎ、時計の針が19時30分を回る頃、街の灯りと夜空を見渡すことができる場所に行きます。なぜかと言えば、20時過ぎから、(日本の古い街のひとつ)京都の街を囲み照らす「送り火」を眺めることができるからです。

 下の写真に映っているのは、左京区浄土寺の「大文字」に次いで、点灯された松ヶ崎西山・東山の「妙法」が京都の街を照らし始めた頃、朱色の送り火を見つめる人たちです。夜の地平線を眺めている人たちは、眼下に広がる街灯りや山肌に燃えさかる文字を眺めています。

 「送り火に込められた想い」を直接見ることはできません。…直接見ることができないからこそ、送り火を眺める人たちを見れば、「送り火を眺める人たち」通して送り火を間接的に眺めれば、「送り火に込められた想い」を実感する・感じることができるように思われます。

 直接見ることができないものは、たくさんあります。…実際のところ、私達が直接目にすることができるものを数え上げてみれば…それはとても数少ないような気もします。直接見ることができないものは、私達は間接的にしか眺めることができません。けれど、間接的に眺めるのだからこそ、「見えないけれど確かなもの」を感じることができるにも思われます。

 今日見た景色は、2011年の夏、「送り火」を見つめる人々です。

2011年夏の「送り火」